出張日記


2004年


1月3日

成田11時25分発、ウィーン行きのオーストリア航空に乗る。
今回の目的地はギリシャ。少し寒いのは覚悟で、アクロポリスの丘、パルテノン、サントリーニ島、ミコノス島を訪れる。アテネはかつて二度行っているのだが、サントリーニ島、ミコノス島は初めて。それにしてもギリシャは20数年振り。やはりハイライトはアクロポリスの丘。コーリン・ローの「ラ・トゥーレット」やコルビュジェの「建築をめざして」を再読。コルビュジェの文章を頭に入れて又アクロポリスの丘に登るのは楽しみである。
ウィーンには午後4時着。ホテルにチェック・イン後、国立歌劇場へ。7時半開演なので7時過ぎに予約していたチケットをロビーで受け取る。演目は「セビリアの理髪師」開演前の前奏曲の演奏が素晴らしかった。バリトンも良かった。
それにしても日本人が多い。考えてみれば丁度正月休みの期間なのだ。
中国人のグループが僕らの後ろに座っていたがとにかくマナーが悪い。まだオペラには馴染みが無いのだろう。唯珍しさから一度覗きに来るのだろうか。
終わったのは夜の10時。丁度日本の朝6時。眠いのは当たり前だ。


1月4日

起床後、ホテルで朝食をとり、予約してあったタクシーに乗り空港へ。10時半ウィーン空港発で午後2時アテネ着。アクロポリスの丘の下のホテル、「ヘロディオン」にチェックイン後、アクロポリスへ向かうがもうすでに午後3時を過ぎていて入れなった。
ホテルへ戻り、簡単な食事を済ませた後、ホテルの屋上へ上るとアクロポリスのライトアップが素晴らしい。アクロポリスの丘の擁壁が照らし出されて闇に浮かぶ様は船の様だ。
明日が楽しみだ。


1月5日

午前アクロポリスの丘へ上る。コルビュジェの文章を反芻しながらゆっくりゆっくりと上る。特に上りきったところの視線の第一印象は大事にしたい。
上りきった門がオリンピック前の修復工事中で足場とテントに囲まれて入口が狭くなっているので通路の幅は行きと帰りの人がやっとすれ違うことができる位になっている。そのことがかえって劇的なシークエンスのドラマを生み出している。
アクロポリスの丘は突然眼前に現れるのだ。コルビュジェが言う、アクロポリスの様々な建物を造りだしている白大理石を産出する山々からピレウスの海までの軸線を本来アテナイの像があったはずのポイントを確認しながら前後を振り返りながら確かめていく。門を入った所から見るパルテノンの現れ方を吟味して高さと角度の振れ方、レベル差を確認する。すると最も良い位置に置かれているのが分る。
これが少しでも違う角度、違う高さにあった場合の像を頭の中で想像してみる。確かにもう少し高くとも低くとも角度の振れ方が向こうを向いてもこちらを向いても今の姿より良いとは思えない。軸線上を一歩ずつ進む毎にパルテノンとエレクティオンの見え方を注意深くチェックしていく。そして二つの間を抜け、端の展望台に行くと山が正面に現れる。そしてコルビュジェの言うエーゲ海への連続を頭の中で図像を結ぶ。
次にパルテノンの妻側の立面を確かめていく。端部の柱の太さ、端部のスパンが中央部のスパンに比べて小さくなっているのを目を凝らしてみる。黄金分割を探そうと、頭の中で創造した黄金分割のフレームをあちこちにあてはめてみる。
確かに目を凝らしてパルテノンを見ていくと両端のスパンは小さくなっている。再び正面のファサードを離れて見てみると全て均等スパンに見えてくるから不思議である。モダニズムの基本は幾何学である。その意味でアクロポリスの各建物の配置は幾何学にのっていない。あくまでも移動する人間の視線に合わせて計画されている。その点では日本の桂離宮の建物の配置、回遊動線の作られ方、敷石のデザインなどと共通されるものを多く発見できる。アクロポリスも実は桂同様、人間が移動するラインがあらかじめ予定されていたに違いない。コルビュジェの言う軸線上を何度となく往復していくと山々からピレウスの海への軸線が徐々に理解されるし、パルテノン、エクレクティオンの配置、角度の振れ方も理解できてくる。
途中、アゴラの方へ行き午後の陽射しに合わせて再び戻ってくる。一日中ぶらぶらとアクロポリスの近辺で時を過ごす。夕方5時にホテルに戻り、荷物を受け取り、アテネ空港へ。午後6時45分発の飛行機でサン・トリーニ島へ。8時頃にサントリーニ島のフィラの街に到着。



タクシーで予約していたホテルへ。エーゲ海とはいえ相当に寒い。幸い暖房がよく効いていた。チェックイン後、荷物を部屋に置き、ホテルで聞いた近くのレストランへ。このレストランは良かった。エーゲ海の魚貝をふんだんに使ったシーフード。特にたこが美味しかった。10時にレストランを去り、風呂に入り、就寝。


1月6日

8時起床。予約していた朝食が8時半に来る。この朝食はなかなか豪華である。野菜料理、卵料理、フレッシュオレンジジュース、パンも旨い。
窓を開けると雨はあがり、部屋が二階なので青空が見えていた。後で分ったことだがこのホテルは有名なフィラの街がへばりつくような傾斜地(というよりも崖というべき)の一番上部、尾根の部分にあった。



朝食を終え、外に出てみると気温は随分と低い。ホテルの前の車がやっと入れるような道から坂を下りてしばらく行くと急に視界が開けあっと息を飲んだ。眼前に広がる広大なエーゲ海、そして急斜面に立つ白い集落が眼下に広がる。丁度すりばちのようにエーゲ海を囲んでいる。前方には小島がいくつかエーゲ海に点在している。よく見るとそれらはこの島を含めて円周を形成しているのが分る。そうカルデラによって作られた海なのだ。このサントリーニ島を含むキクラディスの集落一帯は僕が学生の頃先輩の畑さんたちが盛んにデザインサーベイをやっていた所で多くの話を聞いていた。ここへ来るのは長い間の夢だったが随分と時間がかかってしまった。眼下に広がるまちをまるでいろは坂のようにジグザグと下る路地を歩いていく。かつて様々な本や雑誌で見たままの世界が広がる。それにしても海の青さと空の青さに映える色は白以外に考えられない。ここの人達があくこともなく南世代にも渡って白い漆喰を塗り続けたのは快適な街空間を作り出すという美的な意図があったに違いない。スイスのあの憂鬱な黒の世界から来たコルビュジェがこの白さに魅せられ、白を使い続けたのはよく理解できる。このような街空間は本当に感動的だ。
しかし現代の特に日本の建築界ではものに感動するということが失われて久しい。斜面に立ち並ぶ複雑な断面構成の街は現代建築にも随分と応用されてきたが、ここほど魅力を持ちえないのは何故だろう。スケールとかテクスチュアとかいったものでは説明できない何かがある。平らな路地が無いことも手伝っているのかも知れない。自然のコンターに忠実に街が作られているので歩きやすいし自分が今どこに居るのかも知覚しやすい。人為的な計画の前にコンターが存在するので否が応でも豊かな空間が生まれるのだ。現代の人間、建築家は新しいものを作ることができないでいる。それは余りにも自分達の世界のゲームに埋没し、ますます理念だけが先走り、その結果ものが付いて来れないのかもしれない。豊かさが無くなっているのかもしれない。
途中、教会でミサをやっていた。中に入ると人の良さそうな老人がにこにこと手招きしてくれる。ギリシャ正教の内部は圧倒的だ。ICONが建築の内部の装飾にもなっている。勿論信者にとってはICONは信仰の全て。神との対話の仲介としてのICONOLOGY。分りやすい。イスラムは全くICONを認めない。アラーという太陽神だけが信仰の対象となる。そしてコラーンが全てを説明してくれる。キリスト教はキリストを主役とした壮大なドラマなのだ。その脚本が、シナリオがバイブルであり、そこから様々な物語が生み出され、それらがICONを作り出し、絵画、彫刻、建築を生み出した。西洋社会に於けるおよそ芸術というものはルネサンスまではえんえんとそのドラマを表現するものだったはずだ。ギリシャ正教教会は信者にとってはヴァーチュアルなキリストのドラマを再現するシアターなのである。壁にかけられた多くのICONがそれらのシーンを人々の脳裏に再現させるのだ。
しばらく街を歩いていくとロープウェイに出くわした。このロープウェイは昔は存在しなかったはずだ。かつては、はるか200mも下の港からロバに乗って長い時間をかけてこの街まで上ってきた苦しみを随分と聞かされた僕にとっては意外でもあった。この日はギリシャ正教の行事に当たる日で冬期間は運転をしていないロープウエイが動いていたのはラッキーだった。しかも下へ降りていく窓から見えるサントリーニの街が次々と表情を変えていく様は圧巻であった。
港には小さな教会があって、黒装束の司祭が祈りを捧げていた。
午後遅くなって島のはるか反対側にあるイアの街へも足をのばす。



町へ行く途中の断崖に作られた道路が圧巻であった。欄干も低く幅も狭いため車輪が道路からはみ出してしまうような恐怖の中やっと平地に着いてしばらく行くとそこがイアの街だった。こちらの方が空間は豊かだ。しかもあまり観光化された様子もなく、フィラに比べると人々の生活の息吹を感じることができる。帰りのタクシーを待つ間、町の入り口のカフェでコーヒーを飲むがこれが独特のコーヒーでかなり苦いものだが美味しかった。
フィラに戻り、レストランに入る。ホテルの主人から聞いてきたメニューを頼む。魚が旨い。揚げたものと焼いたものの二種類出されるのだが、両方ともいける。ワインも旨いし、言うことはない。かなり酔っ払った頃、タクシーが迎えに来る。夜8時の飛行機でアテネに戻る。


1月7日

アテネ市内の見学。本来はサントリーニからミコノスへ直接飛びたかったのだが冬期間の為便が無いのでやむなくアテネ→サントリーニ→アテネ→ミコノス→アテネという具合に動かざるを得なかった。おかげでエーゲ海を二回も往復するはめになってしまった。昼間はアテネの旧市街や美術館めぐり、オリンピック間近の為、街中工事だらけで本当にうるさい。再びアテネ空港へ。本当にあわただしい旅になってしまったがそれはそれなりに楽しめる。夕方6時の飛行機でミコノスへ飛ぶ。7時過ぎに着き、予約したホテルへ行くと真暗。誰も居ない。オーナーは別の場所に住んでいるらしく貼り紙がしてある。そこへ電話をするとおかみが息せき切って走って来た。人の良さそうなおかみで鍵をあけてくれたまでは良かった。だがしばらく使われていないらしくホテルの建物全体が冷えてしまって暖房のスイッチを入れても全く効かず、息が白い有様である。
とにかく暖まろうとして港へ出てみると、レストランが何軒かあいていた。その内の一軒へ入ると地元の漁師風の男達が酒を飲んでいる。やや躊躇をするが、席に着くと案外人懐っこい田舎の人でワインをしきりに勧めてくれる。
そこのウェイトレスの女の子にRecommendしてもらうと蛸、焼貝、サラダが出てきた。たこは足一本まるまる油で揚げたものだが柔らかくて食べやすかった。十分暖まってきたので再び寒いホテルに戻り、着ているもの全てをコートまで着たまま眠りにつく。途中寒くて何度も目が覚めるのには参った。


1月8日

朝起きると体は冷え切っていた。
外へ出るとあの写真で見た光景が眼前に現れてくる。細い路地に二階へ通じる白い石段の階段が両側に点在するあの光景である。



思わず寒さも忘れ一時間ほど興奮して街中を歩く。サントリーニよりはこのミコノスの方が路地もはるかに狭く、タイトなスケールで気分的にも入りやすくなじみやすい。丁度京都の先斗町の路地幅を思えばスケールがイメージができるかもしれない。スケールはやはり大事なのだ。住宅のスケールが全ての街を覆いつくしていると思えば良い。しばらく行くとコーヒーショップがオープンしている。中へ入ると天国だった。暖かい。暖房が体中に染み渡って行くのがはっきりと感じ取れる。ここでもフレッシュのオレンジジュースは美味しい。マヨルカ島もコルテカ島もそうだが地中海の島は冬訪れるとオレンジの美味しいものに出会うことができる。一時間ほど十分に暖まりながらゆっくりと朝食をとる。
そしてしばらく街中を歩いていく。ミコノスはサントリーニのような断崖に建つ街ではなく港からゆっくりと上り勾配の土地にできた街である。そのため歩いていてもそれほど疲れない。白い階段のデザインは実に多彩であり、見ていて飽きない。階段が不法占拠のように路地に飛び出しているものもあるので路地の幅も一定ではなく処々で狭くなったり広くなったりしていて楽しめる。くもの巣のように網状に広がる路地を地図を頼りに歩きつぶしていく。面白い路地空間や、白い石階段を見つけるたびに、適度な段差を見つけそこに座り込んで空間を楽しむ。やはり空間はできるだけ体験しなければダメだ。



斜面を上っていくと風車がある。ミコノスではお馴染みのもので観光ポスターやTVのコマーシャルなどにもよく利用されているものだ。そこへ上がると街が一望できる。港を囲むように作られた街。建物の高さや、スケール、仕上げ材、色が統一されているので目に心地よい。敢えて斜に構えて難しく見る必要もないだろう。左手の方向の街が途切れた所に風車がまとまって建っている。その辺まで足をのばしてみる。
レストランは港に面した所に集中しているようでそこで遅い昼食をとる。
空港に戻り、午後7時の飛行機でアテネに戻る。


1月9日

午前中アテネの街で買い物をするが、なかなか気に入ったものが見つからない。オリンピックのポスターが面白いので数枚買い込む。アクロポリスの丘やアゴラ、あるいはクレタ島のクノッソス宮殿など貴重なアイソメ図、イラストを買い込む。
ギリシャ最後の夜なので午後一番有名なアテネプラザホテルにチェックインする。
しばらくホテルで仮眠をとるがうるさいのには閉口した。
オリンピックをあてこんでホテルの拡張工事をしているらしい。
フロントで文句を言うと広場側の部屋に移してくれた。
夜はすし屋で久しぶりの日本料理。


1月10日

午前中街をぶらぶらした後、午後3時のウィーン行きの飛行機に乗るためホテルを午後1時に出発する。今夜はウィーンでミュージカル「エリザベート」を見る予定だったのだがこれが大誤算。飛行機の出発が大幅に遅れてしまい、結局アテネ空港を発ったのは午後7時半であった。オリンピック前ということでセキュリティチェックが異常に厳しく、一度全員機内に座ったのだが突然警察が機内に入り込んで来て二人のアラブ人が機外に連れ去られたのである。
後で航空会社の人に聞いたところ、一人は逮捕されたとのことでぞっとしてしまった。その後が大変で機内の手荷物を全て各自持って出るように言われ、おまけにチェックインした荷物も全てエプロンに放り出され乗客全員がポイントアウトしていく有様で、延々と時間がかかる。昔よくアフリカのナイジェリア航空でもテロを警戒してよく目にした光景だが、アテネまで来てこのような目に会うとは。
予定した「エリザベート」は残念ながら取り止め。結局ウィーンに着いたのは9時過ぎ。、ホテルに着いたのは10時近かった。
しばらくウィーン市内を散歩。


1月11日

午前中、いつも立ち寄る建築専門の本屋に立ち寄り、三冊程購入。
アドルフ・ロースとウィーン現代建築マップ等々。
その後ウィーン国立歌劇場のMusic Shopに立ち寄り、CD探し。前から探していたブラームスの交響曲の幻の名盤を購入する。
12時に予約していたタクシーがホテルに迎えに来る。そのまま空港へ。途中いつものように右手にガスメーターの建物群が見える。こおはかつてのガスタンクを外周を保存したままリニューしたお馴染みの有名な建築。
空港に着きすぐにチェックイン後、ラウンジのファックスマシーンを占領。書き溜めたスケッチや施工図のチェックバックを東京の事務所へ送り続ける。
午後2時発の飛行機に乗り込み一路東京に向け出発。


1月12日

午前8時半成田着。
そのまま大学へ行き卒業設計を進めている研究室の学生を指導。
午後4時位には終了し、そのまま事務所へ行き夜遅くまで打合せ。

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