出張日記


2004年


10月7日

午前中、横浜の山本事務所でペナンのコンペの打合せ。山本さんとは先日まで福生のコンペを競っていたので昨日の敵は今日の友といった感じ。12時半に山本事務所を出て羽田空港へ。今、ソウルは本当に近い。羽田からキンポ空港へ毎日便が飛んでいてその便数も確実に増えている。現在ソウルの国際便はインチョン空港が中心である。インチョンはソウル市からは相当離れている。キンポは以前の国際空港でソウル市からは便利だ。羽田、キンポ間のフライトはほぼ感覚的には羽田−鹿児島といった所か。
羽田には午後1時前に着くASIANA航空で14:10発。16:00ソウル着。ホテルには17:30にcheck in。ウェスティン・朝鮮ホテルはアメリカ的なホテルではなく落ち着いたいいホテルで格式も高い。
部屋で荷物を解いた後真っ直ぐに二階のスイミングプールに行く。久しぶりだ。25mプールだが往復すると結構きつい。100m程泳ぐと休憩。ジャグジーが二つある。一つは熱い湯でもう一つはぬるい湯である。壁面は全面ガラスで眼下にソウルの夜景が望めて快適である。合計で400m程泳いだ。部屋に戻って着替え、しばらくベッドに横になって休む。血圧計を持ってきていたので計ると120-70だった。驚くべき効果。気持ちが良い。
20:00から2Fで歓迎レセプションがあるので下りていくと既にもう始まっていた。川口先生、渡辺真理、木下庸子の各氏が既に来ていた。キム先生が「どこに居たのか。随分と探した」と言われてしまった。各国からのスピーカーがそれぞれスピーチをして名刺を交換。夕食はビュッフェスタイルで特に変わったものはなかったが一つだけホヤの刺身が美味しかった。それも実に新鮮なものでホヤ独特のにおいもない。このように新鮮なホヤは日本では三陸でしか食べることはできないだろう。しかも新しい発見だったのはホヤにしょう油ではなく韓国のコッケジャンをつけて食べることだった。これが実に良く合う。うまい。好奇心でイギリスから来ているスピーカーに勧めた所、予想に反して「Very Delicious」。
これにはやや驚いた。


10月8日(金)

7時45分起床。荷物を用意した後レストランへ行く。
お粥を食べる。ここのお粥は日本的で野菜を含んだややおじや風。味はまあまあだが酒で疲れた胃にはやさしい。いつものように果物を食べる。
8時半に集合。会場は最近できたソウル市内の大きなミュージアムの大会議場。午前中4人、午後4人のスピーチ。オープニングセレモニーには新首都開発庁や韓国住宅公団のエグゼクティブがウェルカムスピーチを行う。昼食は会場でビュッフェスタイル。会議が終わったのは18時半。バスに乗り込み夕食会の会場へ向かう。夕食会の場所はKorean House。
一見クラシカルな建物に見えるが実は1980年代に再建されたもの。
中央に広いマダン(中庭)を持つ。周囲に個室が置かれる。長いテーブルを皆で囲む。隣席にHelen Parkが座り、料理の説明をしてくれる。彼女はハーバード出のインテリ女性。韓国語は強いアクセントを持ち、僕達日本人からするとややきつい言語に聞こえるが、彼女の話す韓国語は上品でエレガントである。キム先生風に言えば「アリストクラスィー・クラス」の出身なのだろう。酒は二種類出された。一つは安東(アンドン)ソジュ(ソジュとは米で作った韓国の酒)。これは極めて強いもので40度。もう一つはサンサチュンというやや甘い女性向きの酒とのこと。
ここの料理は李王朝の宮廷料理を当時のレシピ本を元に復元したもの。そのためいわゆる焼肉料理ではない。席に座ると既にテーブルの上には前菜が置かれている。中央に八角形の食器が置かれその回りに韓国式に数多くの前菜が盛られた小さな食器が置かれている。勿論そこにはキムチもある。日本で馴染みの赤い白菜キムチの他に一見スープに見えるが水キムチもある。この水キムチは王宮料理の一つで辛くないキムチである。
中央の八角形の食器に盛られている料理はクジョールパンという。
クは九で九つの種類の前菜が盛られている。中央に一ケ、周囲に八ケ、計九つという訳である。中央には生栗が置かれている。パリパリしていて美味しい。



その周囲にはほうれん草、玉子焼きの黄身と白身を焼いた物、細い根っこを煮付けたもの、わらびなどが見た目にも美味しそうで目を楽しませてくれる。
最初に出されたものがホーパクジュクでその意味はホーパクとはかぼちゃ、ジュクとはスープのことでかぼちゃスープである。
ねっとりしていて甘くて自然な味であるが僕にはやや甘過ぎ。しかし以外にも安東ソジュに合う。
次に出されたものが野菜の千切りの酢漬け。くらげ、きゅうり、にんじんが盛られ頂部に小エビが盛られている。これは日本料理に近い。どちらがオリジナルなのだろうか。
次に出されたのがヤンクンとチヂミの盛り付け。ヤンクンとは蓮根(レンコン)で油に揚げたようなものだが色は緑色である。味はさっぱりしている。チヂミと思ったものはセンサンジョンといい、魚のすり身を揚げたもの。ここで初めて焼肉が出される。二種類あって一つは骨付きカルビのプルコギの味付け。もう一つは通常のカルビ焼肉。実にさっぱりしていてまあまあ美味しい。この辺でおなかは一杯になる。タイミングよくここで出されるのがムクックでムは大根、クックはスープで大根スープこれは冷たいスープで様々な料理を味わった後で頂くのはさっぱりしていて気持ちが良い。
ここでご飯が出される。ご飯に前菜やキムチをのせて食べる。この辺で酒も相当に入っているのでそろそろ終りに近い。
やがてデザートが出される。カンジュンという米から作られるまゆのような形をした、白いデリケートな味のお菓子である。これは美味である。
ポップライス(ポップコーンを想像してみればよい)というから完全に乾ききっていてその乾ききった甘さがユニークである。と同時に甘酒のようなものも出される。シッケーといって掬の味が強いいわゆる日本でいえば甘酒である。
しばらく話込んだ後夕食会は終。その間中各国から参加したスピーカー達が互いに各国の乾杯の言葉を発して随分と飲み交わしたものだった。
7時過ぎから始まった韓国式の夕食会は9時半には終わった。
このコリアハウスは典型的な観光客相手のレストランで余り期待をしていなかった。その割にはそんなにまずくはない。ソウルには随分と来ていたが実はこのコリアハウスは初めてである。
友人のキム先生がいつも観光客が行かないグルメレストランに連れて行ってくれるので来る機会がなかったのである。その意味でもキム先生にはあらためて感謝。 ホテルへ戻り、カウンターに行って日本からのFAX、MAILの確認。隣に黒い帽子を被った若い男性がレセプションで話をしている。何気なく見るとどこかで見た顔である。日本人のタレント草_剛であった。
それにしても流暢な韓国語を話せるのでやや驚いた。
その後ホテルのロビーで川口先生、渡辺、木下さん達と飲む。草_剛は僕らのテーブルの隣に座っていた。11時頃三宅理一が到着。三宅さんはチェックイン後、そのまま僕らのテーブルにジョイント。しばらく話し込む。12時頃例のTVタレントが戻ってきた。時刻も遅いので部屋に戻る。


10月9日

7時半に起床。朝食は昨日と同じメニュー。
昨日と同じように会場へ向かう。磯崎さんが日本に台風が来ているので来られるかどうか分らないとのことで皆気をもむ。僕は午前中にプレゼを行う。内容はワシントンから始まり、それらがモデルになってブラジリア、チャンディガール、といったモダニストによるアーバン・デザインが作られ、更にワシントン、ブラジリアの延長上で僕が1980年〜1985年に丹下事務所で担当したナイジェリアのアブジャの計画を説明する。20世紀新首都はストラクチュア・ゾーニングといった具合に視覚的な効果によるポリティクスの表現。それらの20世紀都市に対して21世紀の新首都はいかにあるべきかを提案。それは視覚に頼る物ではなくITによるものだろうということでユビキタス・カンポン(マレー語でvillage)というテーマで講演、その後自らの仕事を紹介して終了。ナイジェリアのアブジャは計三年程滞在したことになるが、当時の現地での生活やアフリカン・アート、ダンス、衣装といったものは聴衆にとっては新鮮だったようだ。
昼食はいつものように食堂で。今日は日本式弁当だった。康先生と朴先生、川口先生と同じテーブルで食べる。韓国の二人の先生とも日本語はペラペラである。ロビーに出た所、新首都開発庁の役人数人に取り囲まれ、アブジャの新首都計画に対する質問やコンペの進め方などを質問された。しばらく話し込んでいると磯崎さんが入ってきたので食堂へ案内。午後は三宅さん、キム先生、磯崎さんのスピーチ。その後何人かによるディスカッションで終了。 ホテルへ戻り、一泳ぎ、プールには全く誰も居なく、本当に気持ちが良い。
20:30ホテルのDinner Partyに向かう。料理はフランス料理。ソウルに来てフランス料理はないだろう。Dinner終了後、磯崎さん、川口先生、渡辺真理、木下庸子両氏、ヨーロッパ、ソウルの建築家と連れ立ってワインバーへ。このバーのオーナーは建築家とのこと。その後、キム先生の自宅へ磯崎さんを案内する。キム先生の自宅は韓国の伝統式住宅である。中庭で話をした後ホテルへ戻る。


10月10日

今日はいよいよ新首都建設予定地公州(コンジュ)へ向かう日だ。天気は良好。午前中は宗廟、秘園を歩きまわる。起伏が多くしかもかなりの距離で疲れる。その後北村を訪れる。北村はソウルの北方にあり、伝統式住宅を保存、修復、復元をしている所で、ここは昨年NHKの西松さんと来たところで二回目だ。昨年と同じ極めて良く作られた二軒の住宅を見学する。その後、キム先生の自宅を見学する。そこで思わず眠り込んでしまう。
その後近くのレストランへ行く。ここは典型的な韓国料理で秘園のすぐ近くにある。観光客も多そうだが、地元の人も多いので安心。ここの料理はまあまあである。
最初に出されたのがChombo-Chu(チョンボ・チュー)というスープである。これはライスが入ったスープでさっぱりした味である。
次がChang-Po Mook。Chang-Poとは水生植物の葦を乾燥させて粉にした後水を加えて作るものと説明された。かんてんのような舌ざわり、それをMookというらしい。それを中心にかぼちゃ、きゅうり、ごま油を加えた料理で思い出せなかったがかつて日本のどこかで食べた気がする。このMookはこんにゃくに近い。次に出てきたものがコッチャリーという野菜サラダ。ごま油と何かの粉をまぶした独特のドレッシングである。これは西洋料理である。
次は韓国料理定番のプルコギ。しかし日本に比べると肉が細かく切られている。一般的に言えることだが味付けは日本よりはさっぱりしている。日本の韓国料理の方が日本人向けに味付けに凝っていて美味に思えた。
その次はチェイユッポ・サムという珍しい料理。皿に盛られているのは豚肉とキムチと小皿に入ったタレ。ユッポとは包むという意味で聞くのを忘れたが何かに包んでボイルした豚肉をスライスしたものにキムチをのせてタレをつけて食べる。単純な食べ方だがこれは意外と美味しかった。次はコーチ。いわゆる日本式焼鳥。日本に比べると味は濃い。
次はチョラン・トック・クック。チョランとは小さいという意味でトックは日本の韓国料理でも馴染みの韓国風もち。クックはスープで直径1cmにも満たないトックのさっぱりしたお雑煮と思えばよい。お雑煮はおそらく韓国から来たものだろう。スープも鶏のスープだった。その次がミュンテ。ミュンテとはたらのことでたらを皮に包んで揚げたもので個人的にはあまり美味しいものではない。味のベースが乏しいのだ。
やがてデザート。梨とメシールトック。韓国の梨はうまい。日本ほど品種改良されていないので素朴な味である。日本は品種改良をやりすぎる。韓国の梨は日本ほど甘くもないし、水気もなく自然でさっぱりした味である。メシール・トックとは麦のもち。メシールとは麦。トックはもち。甘く粘り気がある。素朴な味である。デザートの後に冷麺がでた。順序が逆のようだがこれが韓国式なのかも知れない。冷麺はややべったりとしていて麺きれが悪い。冷麺は韓国ではネンミュンという。ミュンは麺のこと。最後に出されたのがメシール茶。梅干の茶らしいが甘い味付けがしてある。以上でランチは終了。
ランチ終了後、公州に向かう。



バスの中はひたすら眠り続ける。3時にソウルを出て現地に着いたのは5時半。日も落ちかけている。



この敷地は中国から来た四神相応の思想に基づいて選ばれているのである。それは古来都市を作るのに際して、北(玄武)に高山、南(朱雀)に沢畔、東(青龍)に流水、西(白虎)に大道という原則が必須であった。唐の都長安、漢減(ソウル)平城京、平安京、更に言えば江戸という都市を作る際にも応用されている。
余談だが江戸だけはややまやかしがある。東に利根川、南に東京湾、西に東海道という図式は良いのだが、厳密に言えば北に当たる高山がなく実は西方の富士山をそれに見立てている。そのため江戸城の南に虎ノ門が作られた。
今回新首都移転先に選ばれたコンジュは東を流れる河がやがて南に回り、大きな大河となっている。そして北方に高い山々が連なる。西には主要な街道がある。その意味でこれは四神相応の模範的な例に思えた。
日本の平安京などの敷地選定にもこのような調査が十分行われたことであろう。
新首都開発庁の総裁と、地元の新聞記者が待ち受けていた。敷地の山々を背に総裁が新聞記者の要請でヨーロッパからのスピーカー達と写真を撮っていた。
現在の中国、かつての日本もそうだったがやはり欧米にある種の憧れ、コンプレックスが

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