出張日記


2004年


2月13日

教授会を17:00に終えて成田空港に直行。18:25発のUA875便で北京へ向かう。大学が津田沼にあるので事務所の車を待機させておけば早い時には30分程で成田空港に着く。北京空港に着いたのは夜の9時40分。
空港でいつものようにホテルの客引きの中から値段交渉をして一番安い北京航旅大飯店を選びオンボロ車で(Limousine Bus)そのホテルへ行き宿泊。外は相当に寒いがホテルの暖房は効いていた。入浴で暖まった後すぐ眠る。



2月14日

6時半起床。7時50分発のCA1403で一路雲南省の昆明に向かう。飛行時間は3時間余りだから距離は大分ある。到着後機外へ出て驚いた。本当に暖かい。さすがに常春の国だ。北京のあの寒さに比べると天国。ここは世界の中でも最も桃源郷に近い所なのだ。夏冬でも平均気温17℃前後。真夏でも27℃前後。こんなに恵まれた所は世界広しといえどもここだけだ。HotelにCheck in (Room No.2508)後symposiumの会場に向う。最初間違えて別の会議場に入ってしまった。しばらくそこにいたがなにやら雰囲気が違う。あわてて外に出る。どこぞの会社の記念パーティーだったようだ。中国ではこの種の会議がごまんとある。
今度は本当の会場に入る。既に三宅理一さんたちは前日昆明入りしていて会議の真っ只中であった。会議の内容は東アジア歴史都市会議である。 中国の人達のプレゼンテーションが面白かった。中国では今保存流行りだが、この種の保存は恐らくここ10年位の動きである。シンガポールなどに比べると開発がほとんど進んでいないことがかえって保存に期待を抱かせるのである。特に興味を持ったのは浙江省の石浦の保存計画。石浦は上海から南へ下ったところにある。密集した市街の中、長く続く通りのあちこちに防火壁が作られている。通りに突然割って入る防火壁。ややシュールでデザインも面白い。
もう一つ面白かったのは雲南省の北、麗江近くの白沙、束川。
街の中を豊富な水が流れる堀が貫通する。その水を生活用水として用いている。そこに残る集落も昔のままであるが近年急速な観光化が進み、その保存に取り組んでいるのである。シンポジウムが終わったのは夕方。
その後街の中のダンスシアターに連れて行かれる。雲南省の伝統舞踊を見ながら食事をするのだがどうもこの手の観光客相手のものは好きになれない。 伝統舞踊はこのような近代都市では余りにも観光化しすぎて本当の伝統舞踊にはまずお目にかかれない。しかし酒はうまかった。本当の食事と舞踊は麗江に行ってからのお楽しみ。
食事の後、旧市街へ行く。旧市街の繁華街もすっかり近代化していてつまらないが場末の路地に入っていくとこれが素晴らしかった。
第一薄暗いのが良い。北京も瀋陽もそうだが明るい表通りよりは裏通りの方がはるかに良い。そこはいつでも薄暗く何やら怪しげな雰囲気が期待を増させる。
茶葉屋に入る。さすがに雲南省。すごい数の茶の種類と香りに圧倒されてしまった。
特にすごいのはプーアル茶。プーアル茶はここ雲南省が本場なのだ。
おかみが僕達日本人の為に試飲させてくれる。珍しさも手伝って12缶も買ってしまい。Hotelに戻った時にpackingをどのようにしてよいのか呆然自失の有様だった。


2月15日

Hotelで終日会議。僕のlectureは午前中。Edo Horizontalを発表する。これは3月25日LondonのAAスクールでのGround Planeというタイトルのlectureシリーズの一環の為に準備しているものである。勿論ケースバイケースなのだが特にアジアの諸都市のでの超高層ラッシュは目に余る。高さを競うのは中国、台湾、東南アジアが中心でやはり開発途上国と言われる国が多い。かつてベトナムのハノイで仕事をした時にも人々はシンガポールのような超高層都市に憧れていた。歴史、伝統とModernizationをどこで折り合いをつけるかは難しいが、これだけ地球環境が叫ばれるなかで超高層礼賛でもないだろう。建設時に膨大なCO2を出し、ランニングの面でも赤道直下でガラス張りの建築でがんがんと冷房するのも考えるべき時代だろう。江戸の街をたまたま調べていたらsuper ecologicalな都市であることが理解できた。食料供給から糞尿処理のシステムまで徹底した管理がなされていて無駄がないのである。都市から建築に至るまでインフラを含めて全てがうまくできている。 その中には現代でも十分採用できる叡智が多くある。 それらをpower pointにまとめたのを発表した訳である。 昼食をとった後、(食事に関しては色々と書きたいのだが、特にこれといったものにも会えなかったのでここでは書かない)韓国のキムさんと外に出てみる。2月中旬なのに完全に春である。ちょっと歩くと汗ばむ位。湿度も高くなく本当に気持ちが良い。東京はまだ十分に寒い。 午後会議を抜け出して円通寺に行く。円通寺という名前が気になった。京都の借景で有名なあの円通寺を思い出したのである。これがなかなか良かった。何が良いかというと大通りに面した山門を入ると予想に反して参道は下り勾配になっているのである。参道の途中いくつもの門が用意されていてはるか向こうに本堂が見下ろせる。そしてその背後には岩山が控えている。それを入口の山門から見る光景は悪くない。この敷地を見つけた人物は優秀な建築家、かつランドスケープデザイナーであったに違いない。参道を抜け最後の門を入ると正面に太鼓橋、そして目の前全体に池が広がる。本堂は池の中に浮いているようにも見える。帰りは上り勾配で少しづつ階段を上って行くというアプローチは新鮮だった。 会議場に戻り、最後のパネルディスカッションに参加し、その後は恒例の夕食会。その後ホテルのロビーで遅くまで日本人仲間で飲む。


2月16日

早朝起床。7時半昆明発の飛行機で8時半に麗江に着陸。途中で機内から山脈が続くのが見える。谷間に沿って走る道がかつての茶の道だろうか。やがて巨大な雪に覆われた大きな山が眼下に見える。異様な迫力を持った鬼気迫る感じの山である。これがあの玉龍雪山である。ヒマラヤ山脈の東端で、麗江はその麓の街である。



空港から市街地までは随分と離れているのは後で分かった。
タクシーを拾い、麗江市街地に向かう。途中の景色が素晴らしかった。起伏に富んでいてあちこちに真黄色の美しい菜の花畑。子供の頃、よく春になると郷里で見た風景でなつかしさを感じる。両側に並ぶ伝統的住居がまた興味をそそる。予約したホテル、官房酒店は超近代ホテルで僕が泊まった部屋は18階の何と真正面に玉龍雪山が望める部屋である。思わずシャッターを切りまくる。時間はまだ午前10時。荷物も解かず、夢にまでみた旧市街へ向かう。
入口に水車があったのは興ざめ。入り口に右の小高い山の道と左側の平地の道があるが迷わず上る道を選ぶ。これが正解だった。いきなりかつて映像や写真で見たあの街道の風景が目に飛び込んでくる。どの店もみやげもの屋になっていたのは少々がっかりだがそれでも十分に魅力的である。ゆっくりゆっくりと歩く。麗江市街地へは新市街地から行くと旧市街地の西方を南北に走る山の北の方の斜面から入ることになる。斜面といってもゆるやかなものだが。この斜面上の道と平行に幅3m程の用水路が流れ、その向こう側を更に平行にみちが走る。
市街地は概ねフラットなのだがこの西側だけが斜面になっていて瓦屋根はフラットな市街地から延々と斜面にまで続く為、この街の屋根全体がまるでうねる大地のように見え、水平に広がるその有様はダイナミックで美しい。




途中で斜面のみちから用水路沿いのみちに下りてみる。水辺のみちに面してゆっくりと流れる水はあくまでも清い。それもそのはずでこの水は玉龍雪山から流れ出たものでこれらの用水路がまちのあちこちを網の目のように流れ、この都市の平面形態を作り出している。このことが分ったのは随分と麗江市街を散策した後だった。みちから対岸の建築へは板橋がかけられている。これらの建築はほとんどが食堂やみやげものやであるが、間口もさ程大きくないため川に直行する板橋がリズミカルに置かれていて得も言われぬ水辺の空間を作り出す。



更にうまい具合に味付けをしているのは水辺に植えられた柳の木と水の中で川下にゆれる水草である。
一軒の茶屋に入る。ナシ族の民族衣装を着た小学生位の女の子と思ったら20歳とのこと。ナシ族の少女は若く見えるのだ。彼女にすすめられて名物の雲南コーヒーと麗江シャンチーという菓子を食べる。この菓子は麦、雲南スタイルのシャンチー、砂糖、サンショをまぶして鍋で焼いたもので麗江の街中ではどこでも見かけることができるもので美味しい。
うまい具合に水路に直に面した椅子に座ったがこの席から水路は左手の向こうにゆるやかに湾曲しているのでそこにかかる板橋群が川面で照らされ逆光に影によって浮かび上がり、得も言われぬ美しい光景を見せてくれる。2月中旬だというのに何と言う気持ちの良い気候だろう。まさにここはシャングリラ(失われた地平線)桃源郷なのである。



店を出て運河を歩いていくとやがて中央の広場に出る。水路は広場で幅が楕円状に膨れ、ちょっとした池になっている。そこに水に触れられる程の高さのベンチが置かれている。広場ではナシ族の女性が輪になって民族舞踊を楽しんでいる。ナシ族独特のスタイルの民族衣装を着て踊っているのだが別にお金を集めている訳でもない。本当に楽しんでいるのだろう。麗江はかつてのヒマラヤ山中のチベットやネパールと中国の江南を結ぶ交易ルートの要衝として栄えた。その主な交易物は茶であったため、茶の道とも呼ばれる。茶の中でも雲南独特の保存が利くプーアル茶が主であった。このプーアル茶はあちこちで見かけた。硬い石のような茶をかなづちで叩いて必要な分だけ割って使用するのである。
広場から路地に入りあちこちと巡る。
この用水路の水は生活用水なのだ。しかも場所と時間が厳格に決められているようで、ある時間帯は野菜や食器を洗ったり、時間帯によっては洗濯をしている。そのためほとんどの家々はこれらの水の恩恵を受けるため、これらの水路に面することになる。これらの曲がりくねった水面と平行して走るみち、処々に架けられた石のアーチ橋、柳、縁台が生き生きとした生活空間を作り出し、それらは観光で訪れた者をも幸福にする。
みちに面した建築の庇が両側を覆っているが軒の出が統一されているのでみちの曲がりくねった形状がそのまま上部の庇の曲線となって現れる。道幅は3〜4m程しかないので軒の出が70cm位とすると両側の軒の出によって切り取られる空の幅は1.6mから2.6m程と細く、その細長く切り取られた空がみちの上部を龍のように踊るように延々とはるか向こうまで伸びているのは圧巻である。まさに玉龍雪山と呼応しているようでもある。街の西側の丘に上ると展望台になっていてそこからはるか玉龍雪山、そしてふもとから麗江の街まで連なっているのがよく分る。ヒマラヤ山脈の東端の玉龍雪山、そしてその水によって作られた麗江。
昼食を水辺のレストランでとった後随分と街中を歩いた。処々でシャンチーを食べたり、雲南コーヒーを飲んだりしながら時々は水辺で洗濯風景などを楽しみ、気が付くと午後4時。麗江からタクシーを拾い白沙、束河の街へ行く。この白砂、束川は昨日のsymposiumで雲南省の建築家がスライドプレゼンテーションをしていたものを見て興味を覚えたもの。玉龍雪山と麗江の中間にある日本の山間の村そのものでなつかしさを覚える。村中に川が流れている。水が驚く程きれい。
夕方で夕食の支度に余念がない。昔どこかで見た風景と重なり、郷愁に襲われる。旧家らしい家の中庭をのぞいていたら人なつっかしいおばさんが中に手招いてくれ、お茶をごちそうになる。ここでもお菓子が出た。それにしてもこのスマイルは何なのだろう。皆会う人、会う人気持ちが悪い位に微笑むのだ。
タクシーの運転手のおばさんはやたら陽気で漢字でコミュニケーションをとりながらあちこちと回る。
ホテルに一旦戻り、シャワーを浴びた後、夜の7時半から一時間程有名な麗江の伝統音楽を聞きに行く。結構楽しめた。その後用水路に沿って歩いたのだが息を飲む美しさだった。全体のほの暗さのなかにカンテラ(アセチレンガス燈)の光がぽつぽつと浮び上る。それらが水面に照らし出され、光の群が揺らぎ動く造形美を作り出すこの一瞬は美しい。桃源郷である。2月中旬の夜にしては寒くないから、水辺で飯を食う。雲南料理の汽鍋鶏を注文する。汽鍋鶏という蒸気が回る雲南独特の鍋に鶏肉と葉材を入れたもので結構さっぱりとしていて美味しい。ここのマイルドな気候にはうってつけの料理だ。しばらく麗江の街中を歩き、街のはずれから斜面を見上げた時は息を飲んだ。各家屋から照らし出されるほのかな赤い光が暗闇とのコントラストで得も言われぬ。まるで絵画のようなパターンを作り出しているのだ。
しばらく歩き回ると既に午後11時。街の処々の灯も消され麗江は闇の世界に入っていく。ホテルに戻る。


2月17日

早朝起床。朝食をとりに麗江市街に行く。逆光の中を進んでいくと様々な朝食をあちこちで楽しむことが出来る。それにしても朝の光に包まれる麗江はおすすめだ。



世界90カ国を回った僕が世界から三つの場所を選べと言われたら迷わず麗江を挙げよう。次にイエメン。最後の一つは悩む所だ。朝日は東から水平に入ってくる。 強い陰影を生み出す。水辺にキラキラと反射し、やがて水面から水蒸気が上り、朝早く来たつもりだが麗江の朝は夜明けと共に始まるので10時頃にもう洗濯が終り、11時位になるともう水辺では昼食の準備。昼食は水辺のレストランの屋外テーブルで食べる。店員にすすめられて待っていたら北京ダックが出てきたのには驚いた。これも雲南名物なのだそうである。悪くない。午後の3時の飛行機に乗るため午後1時に麗江を去る。帰りの飛行機からが残念ながら玉龍雪山は見えなかった。 昆明着後、北京行きの飛行機に乗って北京には夕方の8時に着く。恐ろしい寒さだ。 先日予約してあった空港花園酒店がマイクロバスで迎えに来ていた。 最近の中国はこの辺が昔と随分違ってだんだんと信用できるようになってきた。 湯船につかって暖まる。この辺が随分と雲南と違う。


2月18日

起床7時半。8時にホテルを出てすぐ空港に着く。
チェックイン後、ラウンジで本を読む。9時50分発。UA876便。
機中で麗江で買い込んだ様々な地図、書物、写真集をじっくりと読み込む。そして機内で整理していたら隣の席のアメリカ人が話しかけてきた。彼も麗江を良く知っていて、It's my dreamとのことだ。成田には午後2時に到着。今度は夏の麗江を訪ねてみよう。

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