出張日記


2004年


9月2日

19:10シンガポール航空成田発シンガポール行に乗る。
今回の目的は9月3日ASIA DESIGN FORUM主催のDISCOURSE。講演者はペナンコンペに参加する建築家達、そして翌日の9月4日にペナンコンペの各チームによる中間プレゼ。


9月3日

到着はカレンダーの日付が変わり翌日の午前1時。
タクシーで空港と市街地の中間にあるパラマウントホテルに向かいそこで宿泊。といっても午前5時起床だから睡眠は3時間程。シンガポール空港にはトランジットホテルがありそこに宿泊できればベストなのだがあいにく満室。
午前6時半シンガポール発K.L(クアラルンプール)行きの飛行機に乗る。7時半着。ASIA DESIGN FORUMは9時からK.L市内で始まる。タクシーではラッシュアワーのTraffic Jamに巻き込まれそうなので新しくできたAirport Expressに乗る。15分間隔でK.L駅まで30分。
これがなかなか乗り心地が良かった。パームトゥリーの林の中を走る。
K.L駅でタクシーを拾おうとしているとペナン島のK.L.Wong君に偶然に出会う。彼と一緒にForum会場のF.W Mariott Hotelに向かう。会場ロビーは多くの人々でごった返していた。後で知ったのだが聴衆は900人とのこと。マレーシアではこの種の会議は多い。
マレーシアの建築家はこの種の会議に熱心だ。経済力が為せる業であるが、ほとんどの建築家達がA.Aスクールやバートレット校といったOB、OGが多いのでヨーロッパとの距離感が日本と比べると格段に小さい。それに学生や若い建築家達にも情熱がある。
会場で山本理顕さんに会う。彼は昨日のフライトでK.Lに来ている。
今回の参加者はモルフォシスのトム・メイン、The asymptoteのハニ・ラシッド、OMAのコールハースのパートナーのオル・シェーレン。彼はCCTVやプラダなどを担当している。(彼に聞いたことだが、北京のCCTVの着工が決まったとのこと。9月中に起工式を行うことが近々に正式にアナウンスされる。)他にパリ在住でコーネル大学で教えているナスリン・セラジ。彼女はイランの出身である。AAスクールの学長だったモーセン・ムスタファビーもイラン人で現在コーネルのデーンである。
それにしても最近のイラン人建築家の活躍は目覚ましい。FOAのムサービ、ラシッドもそうだし、NY在住のハリリ・ハリリもそうだ。ハニ・ラシッドもそうだと思っていたが彼はエジプト国籍らしい。彼とはゆっくり話す機会があった。彼の父親はエジプト人、母親はイギリス人とのこと。
両親ともアーティストで建築家になったきっかけは両親の影響とは本人の弁。カナダで教育を受たけた後クランブルックでリベスキンドの下で学んだとのこと。ハニ・ラシッドのあの派手なデザインに比べると本人は物静かな人間という印象を持った。マイケルソーキンスもNY出身だが、彼のプレゼはハニ・ラシッドと対照的にバナキュラーを思わせる個性の強い派手な色彩を使ったプレゼンテーション。
山本さん、僕も講演を行い、結局Discourseが終わったのは夜8時過ぎ。
それから場所を変えてクライアント主催の夕食会。何とこれがフランス料理。フレンチ・オニオン・スープなどメニューは確かにフランス料理なのだが何か違う。セラジのパートナーのフランス人に彼の意見を求めたら、彼曰く「仏料理ではなくコンチネンタルフードだ。」とのこと。言われて見れば成程確かに最近の世界のエスニックフードは全てコンチネンタル化しているのかも知れない。例えば寿司にしても各国のオリジナル伝統食文化が混じり込んだりと、あらゆる料理がそれまでの伝統スタイルを守るのは難しくなっているのかも知れない。食文化の分野でも確実にグローバル化は進んでいるのだ。これは喜ぶべきことなのか?
12時に山本さんとスタッフの妹尾君とホテルに戻る。ケン・ヤンに会うと「これから外に出ないか?」と誘いを受ける。前マレーシア建築家協会長のデビッド・テーも一緒。行ったところが場末の飯屋。冷房もなくどことなく薄汚い。しかしこれが美味しかった。メニューは焼そば。デビッド・テーによるとK.Lで最もうまい店とのこと。確かにうまい。シンガポール、ホンコンもそうだが本当にうまい中華は屋台やこのような場末の店であることが多い。ホンコンの金持はロールスロイスで汚い屋台に行くという話を聞いたことがある。それにしても確かにここの焼そばは一味違う。独特の香辛料が入っている。具も良かった。つい先程夕食(フランス料理もどき)で満腹なのに結構食べてしまう。結局ホテルに戻ったのは午前2時半。昨夜はシンガポールで3時間しか眠っていないのでさすがにこたえた。Mariott Hotelは禁煙フロアが満室ということで強く文句を言ったら喫煙階のスイートルームに普通料金のまま変更してくれた。バス・トイレが二室、寝室も二つ。広いリビングがあり、ホームバーも付いている。せっかくのデラックス部屋なのに何と部屋に戻るなり正面に見えるペトロナス・タワーの夜景をチラッと見た後、洋服を着たまま眠りについてしまった。


9月4日

目が覚めると8時。
シャワーも浴びずに朝食へ。
しかし僕がいつも東南アジアのホテルで楽しみにしているお粥がダメ。第一セサミオイルが無い。豆腐の塩漬けもないし、お粥そのものの味も良くない。
しかしフルーツはまあまあ。
朝食を急いで終え、9時にホテルのロビーに行く。昨夜クライアントと話していた時に大統領府や政府中枢機構があるプトラジャヤの話になった。見たことがあるか聞かれて見たことが無いと答えたところ、今日の午前中上空からK.L市街、プトラジャヤ上空を見る為にヘリコプターを手配してくれたのである。スーバン飛行場(かつてのインターナショナルエアポート)に行き、そこで招待建築家を二班に分けてヘリコプターに乗る。これがなかなか面白かった。K.L上空の超高層ビルが並ぶ街区を旋回する。空から見るとペトロナス・タワーが圧倒的に周囲を支配しているのが分る。プトラジャヤへはセキュリティの理由からゾーンの内部へは入れないので境界線上を飛ぶ。
25分程のフライト。
昼食はK.Lでも人気の台湾料理へ行く。蓬来(FONG LYE)という。外部から見ても内部に入っても特に特徴のある店ではない。山本さんと妹尾君とで食べたメニューは以下の通り。
まず台式昌魚(まなかつお)タイスーツァンイー。これはまなかつおの甘酢かけ。さっぱりしている。僕にはまなかつおよりは淡白な淡水魚のように思えた。中華で甘酢かけはほとんど淡水魚だと思っていたのだが。
メニューは福建省から来たという女店員からいろいろ説明してもらった。彼女が言うには在K.Lの日本人も多くここを訪れ、彼等から日本名を教えてもらったとのことである。
次に牡蠣油芥闌(ハウユー・チェーラン)。この料理は東南アジアの中華ではお馴染みのものでオイスターソースのカイランである。カイランとは野菜の茎のようなもので、アスパラのやや固いものに近い。歯触りがよく、僕の好物だ。味の付け方はいくつかあるが、やはりオイスターソースに限る。この店のカイランはやや固いように思われた。女店員の話では東南アジアのカイランはやわらかすぎるので香港から輸入しているとのこと。しかし僕にはやわらかい東南アジア産の方が美味しいと思われた。
次に果律蝦(ゴーリースヤチュー)。これはえび(といってもシュリンプ。日本では海老とひとまとめにしてしまうがこれは誤りで伊勢海老のように大きい物がロブスター、天婦羅で食べるのがプローン、カレーなどにはいっている小さい物がシュリンプである)をマヨネーズで炒めたもの。
これは美味しい。マヨネーズなど中国にあるはずがないからこれは中洋折衷だろう。
青山通りにかつて僕が通った桂斐園という店があったがここのマヨネーズ風えび料理も美味しかった。
次の料理は百合蔬菜、(ハイハースーチャイ)、chestnut、asparagus、snow piece、carrotなどの野菜炒めである。
さしずめ五目炒めといったところであろうか。中に百合の根が入っていて美味しい。モroot of lily?モと聞くとsnow pieceとのこと。
次のメニューは錦炒飯(スーチンチャオファン)。つまりチャーハンのこと。チャーハンは日本に比べると東南アジアの方がカラっとあがっているように思える。日本の米飯はスティッキー(粘り気が強い)といわれて東南アジアの人たちはあまり好きでないようだ。確かにチャーハンをつくるとよく分かる。勿論日本食には米飯がスティッキーであることは大事なのだが。
かつて日本の米が足りなくなった時、タイが好意で米を日本に送ってくれたことがあった。しかし日本人はタイ米はまずいなどと言ってタイの人たちを怒らせたことがある。これは非常識で単なる文化の違いなのである。どうも日本人は全てメード・イン・ジャパンが最高だと思っている節がある。僕は海外での経験を言えば必ずしもメード・イン・ジャパンがベストとは思えない。電子機器など精密で高性能だけれどもそこまで精度を求める必要もなく、そんなに多くの機能を入れなくとも十分でほとんどの付属機能が不要の場合もある。
次に三杯鶏(サンペイチー)。鶏肉を油で香辛料、砂糖を加えた炒めものである。鶏肉は日本のブロイラーに比べると固め。(というよりも自然な味。日本の鶏肉はやわらかすぎる)
中には緑と赤の香辛料が入っている。東南アジアの中華料理店でよくそれらが醤油に味を加えるために添えられているのを目にするが赤よりも緑の方に気を付けなければならない。このサンペイチーで僕は運悪く緑の方をかんでしかも食べてしまった。口の中は火の車。水を飲んでも治らない。辛さというよりは激痛にちかい。でもこのサンペイチーの味は見た目よりもさっぱりしていていカラッと仕上がっている。
次に(菜圃昼)ツァイブータン、いわゆるオムレツ・チャイニーズ。
ここまでくるともう満腹状態なのだがこのオムレツは追加メニューで遅れてきたため、少し食べるのがやっと。味はやや濃い。
最後のメニューは肉燥(ローザァオ)。ひき肉料理であった。
昼食を堪能した後、Hotelへ戻る。昨夜、今朝ともシャワーを浴びる時間がなかったのでゆっくりとシャワーを浴びた。気持ちが良い。Mariottのこのクラスになるとバスローブが付いている。このバスローブが付いているかどうかでホテルのランクが決まる。乾燥しきったバスローブを今しがたまで浴びていたシャワーがまとわりつく体に巻きつけるのは快感である。
3時にチェックアウトをし、5時半からのコンペの中間プレゼのための準備をする。プレゼは各チーム30分のはずがそれぞれ1時間以上になり僕達のチームが終わったのは8時過ぎだった。本来はシンガポール経由で帰るはずだったが間に合わず、しかもクライアントがチケット代を支払ってくれることになり、マレーシア航空23時30分、KL発に乗ることとする。空港に着いたらびっくり。大勢の人達が青い旗を振り誰かV.I.Pを待っている様子。僕達はマレーシア航空でチェックインを済ませた後、山本さんはショッピング、僕は野次馬根性で先程の大観衆の人混みの中に入る。やがて誰かV.I.Pが到着。空港内はとんでもない騒ぎになった。テレビカメラや報道カメラのフラッシュが光り、チェックインカウンターに上がったりと大混乱。遂にV.I.Pの顔は見えなかった。中の一人に聞くとイブラヒという人物でかつてマハティールの下でNo.2と言われた男とのこと。
余りにも国民に人気があったためマハティールが6年間も投獄してしまい、その結果、彼は背骨を痛めてしまい、これからドイツの病院に入院するために空港に姿を現わしたらしい。
結局人ごみの中彼の姿を見ることはできなかったが、パスポートコントロールエリアの中で彼を待っていたら車椅子に乗り多くの警官に守られ観衆に手を振りながら現れた。大変な人気である。
そのまま飛行機に乗り込む。ビジネスクラスで山本さんと隣同士に座り、酒を飲み、中間プレゼの反省点を話しながらやがて眠り込んでしまう。


9月5日

よく眠れた。目が覚めたのは到着の20分前。 空港からまっすぐ大学へ行き、ゼミ。

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