出張日記


2005年


4月30日

成田空港10時30分発のオーストリア航空に乗る。
今回の旅は北仙家茶道のメンバー(石井和紘、堀越英嗣)と一緒でウィーンのアカデミー・オブ・ファイン・アーツで講演会、及び茶会を行う計画で、その後フランス、スコットランドを訪れる。
機中で講演会で使うパワーポイントの整理をする。時間はたっぷりあるので順番を変えたり、画像の拡大、縮小を行う。
ウィーンには16時着。Driendl氏が迎えに来てくれた。彼の車で市内のホテルまで送ってもらう。ホテルはいつものようにウィーン常宿のPension Neue Markt。荷物を解き、シャワーを浴び、着替えて19時半からのコンサートを聞きにMusikverein(ウィーン楽友協会)に行く。今日のプログラムはウィーンフィルの演奏、サヴァリッシュ指揮の「チャイコフスキーピアノ協奏曲1番」と「ベートーベン交響曲7番」。


ステージ横で控える楽団員

Driendlさんが席を取ってくれた。直前でしかも余りにも人気のあるプログラムなのでPodium席(ステージ上横で、ニューイヤーコンサートでお馴染みのところ)。


ステージ横のPodium席

ピアノコンチェルトのピアノ奏者Rudolf Buchbinderは特に良かった。しかも滅多に聞けないコンサートであった。それは舞台の横で、いわばスピーカーの片側のみを聞いているような錯覚に陥る。特にチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番は金管が強い。我々は舞台の右側に座っていたので、金管が響いてくる。それもかなりの大きな音で。これはかなり衝撃的であった。しかしそれにも負けず、ピアノは力強かった。ベートーベンの7番になると、一変。音が片側のスピーカーではなく、舞台横の席にも関わらず、見事にブレンドされている。楽団員もリラックス。サヴァリッシュの指揮も動きが少なく、左手でやや抑えるように演奏を進めていく。そのため他の指揮者であれば普通の演奏になる身振りでも十分に大きな音を作り出していく。ウィーンフィルはチャイコフスキーよりもベートーベンの方がはるかに合っている。このホールでベートーベンはどのくらい演奏されたのだろうか。本当に音もしっくりいっている。特に第2楽章は圧巻で、ストリングスの音も本当に美しい。
ここに来ていつも思うのだが、インターミッションのためのラウンジやロビーがオペラハウスに比べると、小さい。しかも休憩時間も短い。9時半には終了。ホテルへの帰途、ケルントナー通りのセルフサービスのレストランへ立ち寄り、夕食。コンサートの内容で話が弾む。
ホテルの建物の1階にあるアドルフ・ロースのアメリカンバーへ立ち寄るが、中は満席で入れず。外から内部の写真を撮る。


5月1日

今日はグラーツへ。天気は最高。町の人々は半そでで夏服だ。
雲ひとつない青空。ヨーロッパでもベストシーズンだ。
Driendl氏が迎えにくる。今日は、メーデーなので、車が市内に入れず、しばらく歩く。やがて明日講演、茶会を行うウィーンアカデミーの前に来る。このアカデミーの建築学科はオットー・ワーグナーの時代に設立され、ワーグナー自身もここで教壇に立った。教え子はアドルフ・ロース、ヨゼフ・ホフマン、シンドラーなどがいる、歴史的な名門校。正面にははるか向こうに連続する緑の公園が広がる。アカデミー正面には詩人のシラー像、そして向こうにはゲーテの像が立っている。明日の講義を考えると、やや緊張する。
通りを越えると、Driendl氏の奥さん、Adrianaさんが待っていてくれた。彼女の運転でウィーンを出発。グラーツまでは280km。Adrianaさんの運転だと4時間。
午後1時半にグラーツ着。そのまま広場に面したカフェでコーヒーを飲む。そこから街の中を歩いていく。街全体が世界遺産になっている。
やがて流れの急な川に出る。そして正面にピータークック設計の美術館が見える。曲面で覆われた外観がやたら目立つ。そこからトップライトがにょきにょきと角のように出ている。しかし写真で見たときに感じた違和感はさほど感じない。表面はつるつる光っているのだが、深い緑が混じった青色のせいだろうか、街には調和している。


美術館外観

川の向こうに渡る前に、川に浮かんでいるようなカフェ、小さな野外劇場を持った不思議な建築に立ち寄る。川のこちら側と向こう側からブリッジが伸びて、繋がっている。水位によってこの建物のレベルも変わるようだ。それに従って、飛行場のホーディング・ブリッジのようにブリッジのレベルも変わる。この川に浮かぶような施設は思ったよりも内部が充実している。完全にインドアのカフェも入っている。カフェ内部は川に面したところは曲線で連続する椅子になっていてそこから川の流れが手にとるようだ。驚いたことにこの中にプールがある。夏は川の水を取り入れ、しかも上部からウォータースライダーが着水する小さな野外劇場もしつらえられていて、十分にこの川を楽しむ装置になっている。流れは相当に速いのでこの川の両岸には親水空間を作るのが難しいのだが、この施設によって川は身近なものになっている。


水に浮かぶ施設

ブリッジから川の反対側に移動すると、やがてPeter Cookの美術館が眼前にせまる。思ったより威圧感はない。以前Peter Cook自身からユーモラスに聞いたのだが、古臭い街に対して尻を突き出したイメージなのだそうだ。近代的な三次曲面の不思議な塊が空中に浮いているように見える。1階はエントランスホールなのだ。受付でチケットを買って動く歩道で2階にアプローチする。このアプローチは船内に入っていくような感じで面白い。2階は天井一面に蛍光灯が斜めに規則正しく並べられているが、これはなかなか新鮮で面白かった。


斜めに規則正しく並ぶ蛍光灯

そこに垂直の厚い展示壁がアトランダムに置かれている。さらにもう一層、上っていくと、曲面の外観がそのまま内部に天井となって現れている。その半階上部は直線の休憩ラウンジになっている。かなり難しい形態の割には全体的に破綻がなく、よく出来ている。Driendlさんに聞いたところ、ドイツ人のパートナーがかなり優秀だとのこと。ディテールをうまく納めている。これだけ強い形を持っていても、ディテールがうまく納まっていれば、良質な建築になるのだ。地下のトイレも色々なユニークなアイデアが盛り込まれていて見ごたえがあった。ミュージアムショップでこの美術館のコンペ作品集を購入する。
その後、市街地を見下ろす高さ100mほどの丘に上る。そこまではエレベーターで上れるようになっている。上部は公園になっていて、下方の旧市街地から見える時計台が置かれている。帰りは歩いて下りる。途中の階段から美術館を見ると視点を変えるごとに表情を変えて現れる。やはり目立つ。


美術館遠景

そこから街中の広場に向かいそこでワインとピザの昼食。グラーツを5時に出発。やがてウィーンの手前のEisenstadtに行く。そこでDriendl氏の恩師を偲ぶパーティーが開かれるそうで、僕達も招待されているのだ。森の中を、草を踏み分けて行くと自然の中にすっかり溶け込んだ小さなヴィラがあった。築50年でワンルームのダイニング、リビング、ベッドルームが入っていて、そこに面して壁が伸びて気持ちの良い中庭やパーゴラ空間を作り出している。パーティー参加者は30人から40人も居るだろうか。
この近くにBourelandという良質な赤ワインの産地があるので多くの赤ワインが出される。夜は電気がなく、ろうそくだけというのも良かった。感心したのは皆めいめい小さな苗の入った木箱を持ってくることだった。実はそれらの苗はすべて野菜や果物のもので、この住宅近くに植えられるのだそうだ。ホテルに戻ったのは深夜12時を過ぎていた。


5月2日

今日も本当に良い天気だ。
午前中Driendlさんのスタッフが車で案内してくれる。最初に行ったのが、以前からずうーっと見たいと思っていたヴィトゲンシュタン邸。外観は思ったより大きい。現在はブルガリアの文化センターの施設になっているらしい。縦長のボリュームを強調した外観が印象的だ。その縦長さは開口にも徹底されていて、しかもガラスのサッシュにも徹底して、縦割りにされている。不思議な感覚を与える建築だ。正面の玄関を入るとそこは前室になっていて階段を上るとホールになっている。


エントランスホール

そのホールは階段の両側の通路に連続し上部、つまり玄関前室上部の両側の部屋へと連なっている。階段の両側は列柱になっていて、進行方向を強調し、周囲の柱は垂直性を強めている。階段を上った上部のホールから振り返って見る玄関は圧巻だ。玄関ドアも2階の左右両手の部屋のドアサッシュも垂直性を強調する縦長のデザインになっていて、そのプロポーションも美しい。ホールの向こうに連なる廊下をさらに進んでいくと、階段とそれに囲まれて中央にエレベーターシャフトが作られている。エレベーターシャフトは全面ガラス貼でサッシュは細いスチールで作られている。窓のスチールサッシュも全て極端に細い。エレベーターのメカニズムも全てエクスポーズされていて、これが80年前に作られたものとは信じ難い。


ガラス張りのエレベーター

全体は3層構成になっていて、インテリアは全て白い塗装仕上げ。大きな部屋はアコーディオンカーテンで仕切られている。ドアノブも細い。全てのピースが神経質なくらい、細く作られている。窓という窓及びドアもスチールサッシュで作られているので、垂直線が数多く重なり合って見える。柱の上部もやや細くなっていて、天井とアーティキュレートされていてそのことがかえって柱の自立性、垂直性を強調している。


リビング内観

1時間半程で去り、堀越氏がワーグナーの郵便局を見ていないので、立ち寄るが、なんと工事中で、ガラス天井のホールは見れずじまい。彼にとっては3度目で全て内部は見れずじまいというから、ついていない。その後Driendl氏の設計のオフィスビルを見る。12時半には今日の講演会のアカデミーの建物に着く。150年前に作られたもので、とても大学には思えない。毎年5人ほどが入学できるというからスーパーエリート校なのだ。
建築学科の学科長の部屋に通される。しばらく歓談。
その後、最上部に作られたレクチュアホールに行き、レクチュアの準備。告知期間が短かったにも関わらず、会場は超満員で立席も出る有様で、Driendlさんや担当のHelmut Heistinger教授も大喜び。一人40分ずつ行う。


ウィーン・アカデミーでの講演会

その後3人で茶会を行う。


同茶会

茶会の準備に40分もかかってしまったにも関わらず、皆残らず見てくれた。教授や学生諸君も木床の上に赤い薄い布を敷いただけの茶席に正座したのは驚き。一つ一つの動作を説明していく。茶碗を何故回すのか、道具の配列、立居振舞全て合理的に考えられているのに一同納得した様子。終了後質問攻めで、着物を洋服に着替える時間もあわただしくホテルに戻り、そのままオペラハウスへ。
今日のプログラムは「トスカ」。僕はここの会員になっていてウィーンに立ち寄るときは必ずここに来る。ウィーンのオペラハウスといっても毎回素晴らしいという訳にはいかず、時にはがっかりさせられることもあるのだが、今回のトスカはまれにみる素晴らしいものだった。電話で東京からチケットを申し込んだのが直前だったために席はばらばら。しかし全員二階のバルコニー席の最前列でしかも舞台寄りというから会員の威力は大きいものがある。


ウィーン・ステート・オペラハウス

ソプラノ・トスカもテノール・カヴラドッシ、バリトン・警察署長の三者とも全て良かった。しかも一幕のサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ、二幕のパラッツォ・ファルネーゼ、三幕のサンタンジェロの舞台も最近流行りの手抜きアブストラクションではなくリアルな作りで十分に聴衆を魅了した。特にトスカの涙ながらに歌う「歌に生き恋に生き」には思わず何度聞いても目が潤んでしまうのは文楽「傾、阿波の鳴聞」と同じ。このウィーン・ステート・オペラハウスがイタリア・オペラハウスと異なるのは「ブラバー」の少ないこと。やはり素人の観光客が多いので止むを得ない。ちょっとトスカが気の毒になり、「ブラバー」を四回も連呼してしまった。そのせいか拍手が鳴り止まない。指揮者も手を上げ続けていたがあきらめて拍手が鳴り止むのを待っている有様だ。
三幕のカヴラドッシの歌う「星は去りぬ」も良かった。終了後カーテンコールは何度も続いた。観客の3分の1くらい残っていて、僕のいるボックスは自分一人。最後にトスカが舞台から僕に手を振ってくれた。舞台のすぐ近くで「ブラバー」を連呼したのがトスカにも聞こえたのだろう。
幕間は例によってホールでシャンパン。今日は夏のような日なのでテラスまで開放されている。それにしてもこのホールの壁上部に掛けられている音楽家の胸像は驚きだ。ウィーンに生まれ、あるいはここに住んだり、ゆかりのある作曲家ばかりである。ベートーベン、モーツァルト、ブラームス、ヨハン・シュトラウス、ワーグナー、ウェーバー等々。それにしてもこのフォワイエ、ラウンジの豊かさはなんだろう。東京の第二国立劇場のフォワイエの貧しさばかりが思い出される。
オペラハウスを出たのは10時。その後ウィーンアカデミーの主催でディナー。何とHelmut Heistinger教授が設計したイタリアレストランであった。それにしても今日は一生でもまれにみる充実した一日だった。


5月3日

午前中サンステファン教会の周辺をぶらつく。モンブランで買い物、そして近くのオープンカフェで昼食。
ウィーン工科大学の網野君が途中からジョイン。
その後Driendlさんのオフィスへ。彼の事務所は新しい大きなプロジェクトが入り、いくつかのプロジェクトが進行中で大忙しとのこと。そう言えば昨年の7月に来た時と比べると随分と人も増えている。その後彼の案内で彼の作品、Solar Tubeを見せてもらう。


Driendl氏設計−Solar Tube

石井氏、堀越氏も彼の作品の密度にかなりショックを受けたようだ。
そこからウィーンの森へ行き、ドナウ河を見てまわり、やがてクロイツェン城に行く。この城は上部が美術館になっている。マリア・テレジアの父カール5世が築城したが完成後すぐに亡くなってしまった。宮殿内部はシエーンブルグ宮殿に劣らず豪華絢爛である。王は何と一日しか宿泊しなかったとのこと。その娘マリア・テレジアはここに住まないでシェーンブルン宮殿に移ってしまったために地下(といってもレベル差があるためドナウ側は地上になっている)はレンガブロックを積んだまま280年間も放置されていたとのこと。一部はワイナリーとして利用されている。そこをDriendlさんがビジター用にエントランスホール、レストラン、ワインミュージアムにリノベーションするのだそうで、オープンは来年の5月1日。その空間には圧倒される。
その後近くのワイナリーで、ワインのテイスティングおよび地下のワイナリーを見学。地下に下りた正面にハプスブルグ王朝最後の皇帝フランツ・ヨゼフ1世及び妻のシシ―(エリザベート:ミュージカルですっかり有名になったが)の肖像がかかげられている。それにしても広い。
十分に見学した後、城を後にして、Driendl氏の設計のSolar-Boxを見学に。石井、堀越の両氏、ここでも絶句。


Solar Box

堀越氏の質問に対する回答。図面は全て原寸でかくとのこと。奥さんのAdrianaによれば、Driendle氏は最後の3日間は一言もしゃべらずに、ひたすらスケッチを続けるとのこと。
その後Driendl氏の友人の彫刻家Behruz Heschmat氏のアトリエへ。彼のアトリエを見学。
ここはアトリエというよりは工場のようだ。天井も高く、一部が2階になっている。 


Behruz Heschmat氏のアトリエ

彼はイラン人でもう30年以上もウィーンで活動している。作品を見せてもらったが、シンプルでアブストラクトで魅力的だ。Driendl氏と気が合うのはよく分かる。
その後彼の手料理のイラン料理で僕達の歓迎パーティー。トルコ人の画家と話し込む。Solar-Deckの壁に掛けられているのは、彼の絵であった。2週間後、イスタンブールの展覧会の準備のためトルコに戻り、しばらくはそこに滞在するので盛んにイスタンブールに来いという。夏にダマスカスに行くかもしれないと話すと、帰途必ず立ち寄るように約束させられる。午後10時半にはホテルに戻る。


5月4日

朝8時半にホテルを出る。10時半発のオーストリア航空で、パリのCDG空港に12時半着。そこからTaxiで真っ直ぐにジャン・ヌーベル事務所を表敬訪問。
アリアン女史が事務所の中をくまなく案内してくれる。36のプロジェクトが進行していて、昨年1年間の設計料が、24億円とのこと。カタールのドーハのコーニスのプロジェクトは面白かった。特に航空写真を見せられたときには、僕が28年前に長期滞在した記憶が戻り懐かしかった。スタッフは120名で、フランスでも大きな事務所とのこと。各地にブランチ事務所を置いている。最後にパワーポイントで現在進めているプロジェクトを見る。とにかくそのパワーには圧倒させられる。帰り際、以前大林組の川瀬氏に紹介された吉田君と早稲田の古谷研究室OGの山添さんに挨拶する。
ジャン・ヌーベル事務所を後にし、Taxiでモンパルナス駅へ。TGVが混んでいて、結局、午後5時15分発のTGVに乗る。ファーストクラスといってもボックスではないのでやや興ざめ。各駅停車に乗ってしまったのでボルドーに着いたのは午後9時15分。そこからTaxiでジャン・ヌーベル設計のサン・ジェームス・ホテルに行く。三人の部屋のタイプが皆異なっていて面白い。堀越氏の部屋は一番奥が三角形状にせばまっているし、石井氏の部屋は逆に手前が細く一番奥はベッドルームになっている。僕の部屋はといえば、三つのブロックの一番奥のブロックで矩形である。手前はテーブル・デスクがあるリビング。中央にバス、洗面、トイレ。(特にバスは全面ガラス貼り)その一番奥は三面ガラスのベッドルーム。日が長いのではるか眼下にボルドーの夕景色が見える。
かばんを置いて近くのレストランへ。このレストランはサン・ジェームスが経営している。当然のことながらワインが美味しくステーキもうまかった。食後ホテルに戻り、自分の部屋の写真を撮りまくる。それからゆっくりバスタブにつかる。眠るのが惜しくて結局眠りについたのは午前2時半。


5月5日

午前9時起床。
カーテンを上げ、全面開放するとワイン畑の向こうにボルドーの街が広がる。この部屋は最上部の三階なので本当に景色が良い。ベッドにしばらく横になる。ベッドの高さと窓の下端が同じ高さなのでベッドからでもパノラミックビューが楽しめ本当に気持ちが良い。


下枠と同じ高さのベッド
はるか下にボルドーの街を見下ろす

9時半にレストランへ。朝食が驚きだった。20ユーロという決して高くはない朝食にしては豪華で美味である。


ホテルの豪華な朝食

その後外観、内観をじっくりと回る。外部は既存のメインの建物に三つのブロックがパラレルに増築されている。三つのブロックは、平面形(幅、長さ)及び立面上の高さ、屋根の形、全て異なっている。全てスチールのルーバーの格子によって覆われている。ワイン畑の下の方から見上げると三つのボリュームがすくっと立って見える。ボリュームとボリュームの間は無造作に見えるが内部から見ると微妙に計算されて角度が振られているのが分かる。三つのブロックをつなぐコリドールは一階のみで斜面に従って段差がついている。そこから各ボリュームにアクセスし、階段を上って上階に至る。三人の部屋の他にも異なったルームタイプを見せてもらう。


先端が極端に細くなったルームタイプ

午前中十分にこの建築を楽しみ、昼過ぎチェックアウトをし、タクシーを呼んでコールハースのボルドーの家に行くが外観も見れずじまい。あきらめてサン・ジェームス・ホテルに戻り、そこで昼食。やはりうまい。このホテルはむしろレストランの方が有名だそうだ。もちろんワインの美味しいのはいうまでもない。


色とりどりのナプキン

十分に堪能した後、太陽が出ているのに気付き、再び外観を撮影する。妻側のファサードは西に向いているので午後日射しが回るので陰影がきれいに出るのだ。


サン・ジェームス・ホテルの外観

その後タクシーをチャーターしてペサックへ。コルビュジェの集合住宅を見る。半分位はきれいに修復されていて創建当時の姿が偲ばれる。面白いのは勝手に増築されたものがあり、その結果一つのプロトタイプから様々なバリエーションが生み出されている。色彩もまちまちである。しかし流石にオリジナルのプロポーションは美しい。


未修復のものや様々なバリエーションのあるPessacの集合住宅

息を飲むほどだ。事務所で模型を作ったことがあるので内部空間は大体想像ができる。二層構成の建物に住む主人が庭掃除をしていて内部や屋上を見せてくれた。 ぺサックを後にし、午後5時27分発のTGVに乗る。今日はボックスでしかもノンストップ。パリに着いたのは午後8時半。
モンパルナスホテル近くのホテルに荷物を置き、近くの中華料理屋へ。これが当たった。かつてパリには丹下事務所時代オフィスがあったせいで200回以上も出入りをした。その時の経験からするとパリの中華はうまい。聞くところによるとパリ市内全体で2000件以上の中華レストランがあるのだそうだ。特にスープ・ペキノワ(北京風スープ)は日本(ペキンでさえ)では味わえないものだ。酸味と辛味の取り合わせが魅力的なのだ。
十分に堪能してホテルには11時に戻る。


5月6日

昨夜は帰ってすぐベッドに横たわり、眠りに入ってしまった。目覚めたのは8時なので9時間も眠ったことになる。
朝食後、コルビュジェのビラ・ロッシュへ。ここは何回来ても気分が良くなる。写真を撮ってみて気付くことは本当に構図がさまになるのだ。プロポーションは言うに及ばず、空間の構成、階段等の位置が絶妙なのだ。


プロポーションの美学-Villaロッシュ邸

丁度ボジャンスキーの展覧会が開催されていた。予定をはるかにオーバーしてしまう。
Taxiに飛び乗り一路ピエール・シャローのグラス・ハウスへ。1977年に行ったきりだから実に28年ぶり。11時45分にベロニク・ベルモンさん夫妻と待ち合わせているのだ。大幅に時間に遅れてしまったが前の見学グループが遅刻をしてくれたおかげで間に合う。ドイツの学生達と一緒に見学をする。
残念ながら写真の撮影は禁止。スケッチをメモ代わりに描く。内部をくまなく見せてもらう。前庭側のガラスブロックは60年代に作り直されたもの。裏庭に面したガラス部分にはオリジナルのものが用いられている。壁全体がガラスブロックで光が透過する様は日本の建築からイメージされたとガイドが説明をする。確かに壁面全体が障子に似ていなくもない。スチール構造も単に部材を直に見せるだけではなく柱などもカットTを2枚ガセットによって貼り付けられている。ウェブ側にはビスが露出する。しかもフランジの外側には25ミリの厚みを持ったブラックスレートが貼られている。この柱は階段室内にすくっと床から天井まで立ち上がっている。が、不思議なことに中間階スラブにはタッチしていない。大きく分けると両側のガラスブロック面と複雑にレベルを作り出している床、それらの床を結びつける階段。その階段には数段のものも、可動式の梯子式で天井から吊り下ろされる小さなものもある。壁面全体にも開口が手動による機械じかけによって作られている。特筆すべきは診察室や浴室回りなどの回転しながら様々に空間を仕切っていく方法。かつてスティーブンホールがヒンジドスペースでも提案したが、ここはスチールのメカニズムによって様々な仕掛けが作られている。床の柔らかいタイルが空間全体をやわらかくし、吹抜上部の本棚などもパンチングメタルを用いて部屋と部屋の透過性を作り出している。
階段なども一段、一段スチールによって縁取られている。
床の開口部もスチールがスラブの先端をカットしスチールのフレームを抑えたようなデザインが各所に見える。それにしても膨大なスチールワークである。建築家だけで全てを設計するのは不可能で当時存在したクラフトマンの組合と建築家の協同作業といってよさそうだ。
それはルネサンスやバロック時代の建築家にとっては当然のことであった。複雑な装飾部分などがクラフトマン達によってアーキテクトの号令のもと作り出されたのだろう。いずれにしても十分に見応えがあった。この建物を十分に理解するためには何度も来る必要がある。2時間ほどのツアーでじっくり見ることはできたが納まり部分の検証にはまだまだ見る必要がある。午後2時半にグラス・ハウスに別れを告げて近くのレストランへ。ベルモンさん夫妻とワインを飲みながら話す。ワインがやや強すぎて外に出たときはかなり回ってしまう。隣の画材屋に寄ってスケッチブックを2冊程見つける。
昼食といっても遅かったのでその後オリオン座横のBookshopに行き本を探しに行く。最近韓国のDDというシリーズの雑誌が目立つ。
韓国版のエル・クロッキーを狙っているようだ。現状では中身はおそまつ。だが将来伸びるかもしれない。
そこには最近日本の建築家の書籍が増えている。伊東、隈、坂、SANAA(妹島・西沢)、岸和郎、などが目に付くことが多い。特に伊東、隈の新しい作品集はショーウィンドウにも展示されている程だ。B5サイズ程のスティーブンホールの水彩画を集めた分厚い作品集を買う。結構大きなものだ。その後近くのカフェで休みホテルに戻り遅い夕食。


5月7日

起床7時半。8時半にホテル発。10時半発の飛行機でエジンバラへ。12時半エジンバラ空港着。タクシーで予約した市内のホテルへ。ホテルで荷物を解いた後、目的のスコットランド議事堂へ。正式にはScottish Parliament。
この英国はややこしい。国連への代表はUnited Kingdom of Great Britain (UK)。しかしサッカーの試合となるとイングランド、スコットランド、ウェールズランド、北アイルランド。これらの四つは半独立的な国家に見える。ウェールズや北アイルランドへ行くと言語も異なる。そのためこのScottish Parliamentはいわば国会議事堂 (アメリカの州議会議事堂よりは独立的な要素が強いように思われる) 。
このプロジェクトはコンペだった。最終的にはミラーレスが勝ち取った。総工費が430 million BP (British Pounds)。1BP=¥200とすると日本円で860億円。大変な金額だ。ミラーレス自身は2000年に亡くなってしまったため、このプロジェクトは彼の妻が引き継いだ。タクシーで議事堂に着いたが、途中車からみるエジンバラの街は美しかった。グラスゴーに良く似ている。全体が石造り。ハリー・ポッターの小説にも表現されるような古都である。
到着して驚かされた。この古都に突然と異様にも見える建築が現れる。とにかく中へ入る。このような建物を見る際の鉄則はとにかく内部を見ることだ。外部はいつでも見ることができる。特にこの時期のスコットランドは夜の10時でも明るい。内部は時間制限があり、運が悪いと閉じられてしまう。
到着したのは13時半だったがこの時間のツアーには間に合わず、14時半のツアーを予約する。それまでは自由に見学ができる。ヨーロッパでいつも感心することだがこのような公共施設は議事堂であれ、裁判所であれ、一般に開放されていることである。市民のための建物であるから当然のことという考えに基づく。その点日本の公共施設はこうはいかない。明治以来のお上の建物という意識がある。セキュリティなどという理由をつける。しかし考えてみればヨーロッパの方がセキュリティという意味でははるかに難しいはずである。民主主義が根付いているかどうかの違いである。
14時半までは1時間もあるので自由に見学をする。とにかく造形がすごい。ミラーレス独特の造形。コンクリートと木が組み合わされている。一階はエントランスホール、ラウンジ、レストラン、ミュージアムショップ等になっていて、その上部は議会ホールである。そのため1階はコンクリート造になっていて2階は1階から伸び上がってきた柱のみコンクリートを残し、大スパンの屋根構造等は木造になっている。1階のRC造はボールト曲面の連続する天井が印象的である。


1Fのラウンジ

RC打放しのボールト天井がうねるように連続する様は圧巻である。
ミラーレスという人は時として連続する、うねるような空間を生み出すのが好きなようで、それにうまい。


ボールト天井の委員会室

不整形のプランの階段を上がると(もっともこの建築全体が不整形である)議会ホールの傍聴席に出る。


複雑な平面形状の階段

それは楕円形をした議場の上部を取り囲むように作られている。それにしても大スパン屋根架構が圧倒的である。木造とスチールでテンション構造を作り出しているがスチールのジョイント部が魅力的な造形になっている。これだけ複雑なプラン、複雑な架構になっているが破綻をしていないのは驚くべきである。
うねる天井は徹底していて委員会室の天井も全てボールト(但しボードのペンキ塗りでボールト方向にスリットが連続して切り取られていてその中には照明器具等が入っている)である。
RCの打放しと木肌は実に良く調和する。自然の素材のなせる技だろう。
そうこうして内部をぶらぶらしている間に午後2時半。ツアーの始まりである。ポール・マッカートニーを女性にしたような顔のガイド。もっとも頭にMCが付く名前は全てオリジンがScottishだから理由がなくもない。McDonald、McArthur、McAckengy、Mckintosh等々。
ツアーはPublic Space以外の所、つまり議員が入る委員会ゾーンのラウンジや議会ホールの裏動線を案内してくれる。


議員のアプローチ


議員ホール内観

ラウンジが良かった。紡錘形の平面をしたボールト天井がランダムに連続する様は表現し難い。しかもそのボールトのあちこちがトップライトになっている。


うねる天井。議員ラウンジ

スコットランドの冬の日照時間は短い。冬などトップライトからの自然光はともすればこの時期depressされがちな人々を救ってくれるだろう。
ツアーは40分ほど。最後にQuestion time。僕は「How much is a Total Competition Cost ?」と聞いた。何と430 million GP。これは国民の間にも批判が大きいと聞いた。実際外部で撮影していると老婆がwaste of moneyと語りかけてきた。いずれもこの種の話は難しい。
外へ出てランドスケープを見て回る。周囲の広いランドスケープもミラーレスがデザインしている。不整形な池やうねる芝生面などが特徴である。


周囲のランドスケープ

外観は議会棟と委員会タワー3棟。それに管理棟のブロックから成る。不思議な形をした出窓にこれまたランダムな木のルーバーが貼り付けられている外観は強い印象を与える。


議員会室の窓と木製ルーバー


木製ルーバーのディテール

それぞれの立面が異なるので表情は豊かである。エントランス側は連続する大きなサスペンデッド・キャノピーが取り付けられていた。それがこのファサードの特徴を作り上げている。


ファサード側サスペンデッド・キャノピー

一周してみると全体の構成が良く理解できる。
ここからTaxiでエジンバラの目抜通り、Princes通りへ出る。その通りから青々とした広大な芝生の緑の斜面がゆっくりとした傾斜でくだっていて谷間になっていてその向こうの対岸には旧市街の建物が威厳を持ってそそり立つ第一級の建築群が西日を受けて建ち並ぶ様は十分に威厳がある。16世紀から18世紀にかけて作られたこれらの建築群は全て石造りでどっしりしていて周囲を圧倒している。グラスゴーもそうだがかつての大英帝国の繁栄はここスコットランドが一番良く理解できる。歩いていくとやがて駅前を横切り、向こう側の旧市街とこちら側を結ぶ道に当たる。そこから駅の広場へと下るスロープがあって、そこを下っていくと立派な鉄とガラスに覆われた駅広場へと出る。そこから駅の上空を谷間をまたぐようにかけられた道路橋へ階段で上がる。
この橋は二つのアーチによって作られている。北側のアーチ部分をノースブリッジ、南側をサウスブリッジと呼び、エジンバラのシンボルになっている。


サウスブリッジから川越しに旧市街を見る

旧市街を歩く。建築の豪華さ、華麗さは筆舌に尽くし難くかつての繁栄を偲ばせる。さすがにヨーロッパ随一の美しい街の一つと言われるだけのことはある。夜の9時近くになってもまだ夕方の気配である。


5月8日

フランスと1時間の時差もあり、又、昨夜は早めに床に就いたので流石に朝の6時半位に目覚める。7時半に手配していたTaxiが迎えに来る。朝の光の中を輝く美しいエジンバラ市街を走り抜け空港へ。チェックイン後、朝食。
9時エジンバラ発、10時ロンドンH.R着。13時ロンドン発、16時ウイーン空港着。Taxiでホテル直行。
17時半預けていた荷物を受け取り部屋に。そのままウィーン・ステート・オペラハウスへ。今日のプログラムはオッフェンバッハのホフマン物語。席は3階のバルコニーの最前列でオーケストラピットに近い方。ホフマン物語は主人公ホフマンが3人の女性を愛するというオムニバス形式の3幕オペラ。聞き所はそれぞれ用意されているが、何と言っても第二幕の機械仕掛けの人形オランピアが歌う場面。ソプラノの最高音域近くまで息をつくひまも無いほどにアッハッハッ・・・・と歌う場面は日本人の歌い手にはなかなか歌いこなせない。オランピア役はここのオペラハウスの専属のスター、Milagros Poblador。これはすごかった。
ホフマン役のRoland Villazonは三幕でずっぱりなので二幕はややばて気味で最後の三幕で気力をふりしぼっていたがちょっと残念。でも十分楽しめた。 オペラ座からの帰途、僕がいつも日本へ帰る前に立ち寄るいつものウィーン天満屋に寄る。十日振りの日本食。そのままホテルに戻る。



5月9日

9時朝食。朝食後、部屋で今回の旅の整理やパッキング。
正午にDriendl氏の奥さん、Adrianaさんが迎えに来る。彼女の車で空港へ。別れを告げチェックイン後、ラウンジで休憩。
午後2時オーストリア航空成田行きに乗るが、右側の燃料がもれているため安全上全員手荷物を持ち降ろされる。再びラウンジで休憩した後、午後3時半ウィーン発。機内で今回買った本を読もうとするが、機内食ランチのビール、ワインがかなり回り疲れもあり眠ってしまう。


5月10日

8時発成田着。迎えに来た事務所の車で大学へ直行。午後2時から学部、大学院生のゼミ。午後6時から4年の設計製図。結局事務所に戻ったのは夜9時。


5月11日

昼間3年の設計製図。夕方6時からアジアフロント主催のシンポジウム。昨年行われたアジアフロントをテーマにしたセントラルガラスコンペの落選案の中から面白いものを選んで作者を招き、クリティックがディスカッションを行う。遠藤政樹氏、藤本壮介氏らも参加。終了後懇親会で盛り上がり、夜11時まで飲む。


5月12日

11時半発のANAで鹿児島へ出張。姶良体育館の現場定例会。現場も随分と出来上がってきた。


5月13日

姶良の工事現場を歩き回りチェック。夕方岡山へ。


5月14日

午前中岡山。午後高松。夕方ANAで羽田へ戻る。長期の出張から解放される。

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