出張日記
2005年
8月20日
事務所で打合せを済ませた後成田空港へ。 成田空港発17時30分。北京空港着20時30分。空港では先に中国に入った研究室の学生が僕の瀋陽行きの航空券を既に購入済みで、国内線カウンターでチェックインも済ませてくれているはずだ。瀋陽行きのフライトが21時20分なので飛行機を出ると一目散にパスポートコントロールへ。しかしとにかくこの空港は距離が長い。息切れをしながら着くと既に別のフライトで着いた乗客が並んでいる。僕の前にはいてイライラしながら待つ。 20時45分パスポートコントロール通過。手荷物だけなのでそのまま待合ラウンジへ。学生が7名程迎えてくれる。話す時間もなくそのまま搭乗券を受け取り国内線へ。 運悪く中国南方航空は旧空港を改築した第一ターミナル。歩くと10分程かかる。 足早に歩きながら学生と北京での予定を打合せしながら21時無事に瀋陽行きのゲートに着く。すべり込みセーフ。 瀋陽までのフライトは1時間。満員だ。さすがに疲れて機内で眠り込む。 瀋陽空港に着くと市政府の人と通訳の張さん達が迎えに来てくれた。 そのまま真っすぐ市内のホテル。ホテルはいつも泊まっているシェラトン。チェックインして部屋へ。何とセミスイートルームが市政府によって用意されていた。 明日は市政府主催のシンポジウム。部屋に荷物を置いた後、2階のレストランへ。旧知の秦さんが待っていた。そこでワインを飲みながら語る。彼とは10年来の友人である。現在市政府の建設関係の要職にある。随分と大酒飲みだったが、健康を考えてワインを飲むことにしたとの事。明日の予定を話す。
8月21日
午前中Steven Hollの美術館を見た後、ストックマン書店を見てイマトラの教会を見に行く為一路空港へ。
ヘルシンキ空港からラッペンラッタ空港まで飛び、そこからタクシーで走ること30分、イマトラ教会へ。アアルト建築を見るのは1980年以来であるから25年振り。それも前回は唯ヘルシンキとオタニエミを見ただけ。
イマトラ教会へ着くと雨が降っていた。気分はやや憂鬱になる。
しかし内へ入ってみて驚いたのは外が暗いのに中は意外な程明るいのである。全体が白く仕上げられているのに加え、両側の壁に空けられた多くの高窓から自然光が十分に入ってくるためである。
このイマトラの教会は正式にはヴォクセニスカ教会といい、以前からアアルトの作品でも最も好きでプランやセクションを随分と研究したことがあり、空間構成はほとんど頭の中に入っていたが実際にこの空間の中に身を置くと想像したよりも大きい。しかし空間は三つに分節されていてスケール感も心地よい。
平面的にも断面的にも三つの湾曲線で空間が作られている。祭壇に向かって左側は直線の壁である。それはルーテル派の祭壇が常に左側に置かれていて祭壇から発せられた司祭の声は反対側の湾曲した壁で乱反射される。これは天井の断面も同様で音が複雑にブレンドされることにより音響的に素晴らしい効果を生み出す。
しかも曲面壁の中には同じ曲率の電動スクリーンが仕込まれていて、反対側の直線壁から垂直に突き出る壁と共にこの空間を三つに仕切ることができる。直線壁側には三つに分けられたそれぞれのホールのためのエントランスホールが用意されている。 このユニークな建築は内部空間から全てが決定されているのである。
近代建築が外圧と内圧のバランスをいかに取るかが大きなテーマであるのに対して、この建築は圧倒的に内圧が外観を作るといっても過言ではない。内部を歩き回る程この空間の豊かさを思い知らされる。特に直線壁と湾曲壁の両面に開けられた窓はその大きさ、形、高さとランダムにデザインされているが、それらの配置は絶妙で内部に入る光が計算しつくされている。
ガラスは二重窓、つまりダブルスキンになっている。壁や屋根の厚さがそのままダブルスキンの厚さになっている。斜めの屋根にあけられているので空が見える。直射日光を防ぐ目的で内側のガラス面にはルーバーが付けられている。見学をしている途中、雨があがり、偶然自然光が入ってきたが、そのとき初めて気付いたことだが光が様々な方角からこの空間に進入してくる。それが幾条にも重なり合い、うねる天井と呼応し合いながら劇的な効果を生み出している。
内部の仕上材は白壁、白天井と木肌である。扉や床、家具などの木肌が壁や天井の白と見事に調和する。ディテールに目を移していくとアアルト独自のディテールがあちこちに見られて楽しい。司祭の部屋の出窓、その外部を覆う縦格子などは他の近代の建築家には見られないアアルト特有のものである。
アアルトは初期のスケッチを見ると良く分かるがまずその建築が必要とするものをストレートに形にしていく。最初は突拍子もないと思われるアイデアでも練っていく内にアアルト好みの独自なデザインになっていくのである。オリジナリティで他の建築家がアアルトに勝てないのはその独自のアプローチ法による。
近代建築の造形ボキャブラリーとは全く無縁な人だ。エストベリやアスプルンドのロマンティシズムもなく、ひたすら実用主義を貫いた人のようにも思える。特に手摺やドアの把手やノブ、家具のデザイン、照明器具等は使い勝手がそのままデザインになっていて飽きが来ない。
三時間程見学した後、タクシーでイマトラの駅へ出てそこからヘルシンキまで特急で三時間。ヘルシンキに着いたのは夜の九時。
8月22日
今日はヘルシンキからヴァーサ空港へ飛び、そこから車でセイナヨキまで行く予定が、ヴァーサ空港が濃霧のため、上空を一時間ほど飛び続け、結局霧が晴れない為ヘルシンキまで戻ってしまった。
再びヘルシンキを飛び立ち、今度は正午近く無事ヴァーサ空港に着陸。そこから首尾よくタクシーをつかまえ一路セイナヨキへ。 駅で荷物を預かってもらい、そこから歩いてタウンセンターへ。駅から徒歩で10分足らず。セイナヨキタウンセンターは道路をはさんで一方が教会と教区棟、もう一方が市役所、図書館、劇場からなる。それぞれが広場を囲み、二つの広場が道路をはさんでいる。教会はイマトラなどに比べるとかなり大きいが、そのイマトラの教会を見た翌日なので感激は薄かった。縦長の窓の上部が横に広がっているので光の取り入れ方は面白いが、イマトラに比べて空間が単調。後部のバルコニーの、パイプオルガンのデザインが面白い。 市役所は道路側がピロティになっていてそこからエントランスに入る。エントランスホールはそれ程広くはない。オーバーコートのハンガー架けのデザインが面白い。 エントランスホールの上部が議会ホールになっている。この議会ホールはかつてコンサートや集会などの多目的に用いられたそうだ。 天井も十分高く、高窓から自然光が入ってくる。面白いと思ったのは巨大な間仕切り壁があちこちに収納されていて、それらを引き出すと様々な空間に変容すること。日本建築の影響があるのかもしれない。 これはイマトラの教会やストックホルムに建てられたヴェストマンランド・ダラ学生クラブハウスにも作られていてアアルト好みの空間の可変性とも言えるものである。
このホールはL字形のプランの突き出た所にある。この二階のホールは外部の中庭に連続し、一階まで段状に下っている。
更にこの段状中庭は市役所と図書館と劇場によって作られる広場に連なっている。この中庭を囲む三方の立面はそれぞれ異なったデザインから成り立つ。
段状の中庭はアアルトのモティーフの1つでもある。ヘルシンキのアアルトのアトリエが有名だが、その中庭は正面にスライドを映すスクリーンとなる壁があっていわば野外劇場になっている。
この市役所の広場の反対側には図書館がある。長手の、平屋の建物の中央部に天井の高い扇状の空間がはめ込まれている有名なプランの建築である。扇型の部分にはエントランス、書庫、読書室が入っている。平屋の長い立面の単調さを破るように扇の外周、壁の上部はルーバーの入った高窓になっていて、そこから十分な自然光が入ってくる。その下の空間は扇形に従って放射状に配置された書庫になっている。中央部は一段レベルが下がっていてそこも周囲は書庫になっていて中央に読書机が置いてある。この扇プランの中心点は図書館の受付カウンターになっていて、放射状の書庫が見通せるようになっている。
J・スターリングのケンブリッジ大学の図書館はこれがヒントになっているのかもしれない。この扇形空間が作り出す外観はシャープで、アアルトの作品集には必ずといって良い程紹介される、彼の代表作品でもある。
劇場はアアルトが亡くなった後1989年に完成した物で、平面や断面、どれも間違いなくアアルトが設計したものだがどこか間が抜けている。その理由は仕上材なのかディテールなのかカラースキームなのかしばし考えた。
この広場から劇場を背にして左手に市役所、右に図書館、正面に教会を見る構図は悪くない。アアルトがこのような広場を中心とした複合施設を設計しているのは珍しい。 セイナヨキのタウンセンターを見終えた後、駅に戻り荷物を受け取り、セイナヨキ駅から電車に乗りユバスキュラ駅へ向かう。ユバスキュラに着いたのは午後7時半、荷物をホテルで解いた後街の中へ。イタリアン・ピザの店に入ってピザと赤ワインを注文する。セイナヨキからユバスキュラへは約3時間半。今日撮影したデジタルフォトをコンピューターに移しかえたり、今日見たセイナヨキの図面等を眺めながら復習する。
8月23日
ユバスキュラのホテルからタクシーで一路アアルトの別荘、コエ・タロに向かう。別荘は森の中にある。道路に面した門の所でしばらく待つ。9時にアアルト財団の人とここで待ち合わせしているが、現れない。アアルト財団に電話すると忘れていたらしい。財団の許可を得て先に門を越えて敷地内に入って外観や中庭を見て回る。道路に面した門から別荘までは距離があり、起伏のある岩場の森の中を進んでいくと作品集などでよく見た建築群が姿を現してくる。中庭の壁には様々な種類のレンガが貼られている。それらのレンガはアアルトが実験的にサンプルの壁として貼ったもので有名なデザインになっている。更に見ていくと中庭の床一面にびっしりと同様のレンガが貼られている。実験とはいい、それがそのままアアルト風のデザインになっているのは流石である。
別荘にはボートの船着場が面している。今でこそこの島は橋で連なり、ユバスキュラの街からも車で来ることができるが、かつてはボートでしか来ることができなかった。アアルトがこの敷地を選んだのは離れ島で町の喧騒から離れるためだろう。しかも敷地は湖に面している。アアルトは相当の泳ぎ手で夏は毎日10km程泳いでいたという。なおユバスキュラはアアルトが最初に事務所を開いたところである。
別荘のヴォリューム構成はL字型のプランから成り、正方形の中庭を囲むように更に二面の壁が作られている。その壁の一枚は湖に面していて中央が開いている。中庭の中央にはバーベキュー台がある。中庭の反対側には増築したと思われるヴォリュームが加えられている。別荘の屋根を小高い岩山から見下ろすと屋根の勾配もきちんとデザインされているのが分かる。L字型のヴォリュームの、片方の屋根の中央あたりでV字型になっていて、その勾配はもう一方の屋根にのぼり勾配になって連続している。 中庭を囲む独立壁もこの勾配に合わされている。中庭側の立面は全て赤レンガが実験的に張られているのに対し、外壁はアアルト独自のレンガ積みに白ペンキが塗られた立面になっている。この対比も面白い。
そうこうしている内にアアルト財団の人が来て内部を案内してくれる。玄関は中庭側ではなく外側に面している。玄関を入り廊下を進んでいくと中庭に面したリビングに至る。このリビングは先述の勾配屋根が高く上がった下部に位置しているので、奥まった所は最も高くなった所は中二階になっている。中二階にはアアルトが使用したと思われる製図板が置いてある。夏休みとはいえ、ここでもアアルトは仕事をしていたのであろう。
1階のリビングにも仕事机が置いてある。リビングは中庭に十分に開いていてその向こうには湖も見える。
玄関を入ってすぐ右手は厨房になっていて、リビング側のダイニングスペースに連続している。L字型のもう一方のウイングは個室群になっている。一番奥の部屋がアアルト夫妻の寝室である。
財団の人がアアルトのデザインしたボートを見せてくれるという。別荘からしばらく歩いていくとボート小屋がある。このボートは機能的には問題があったらしく実際にはあまり使用されなかったとのこと。このボートを収納する小屋はコンペで選ばれたスウェーデンの建築家のデザインによる。全体に荒い木の水平ルーバーが外観を作っている。 十分にコエ・タロを堪能した後ここを後にし、サイナッツァロ村役場に向かう。これは既に書物などで馴染みの建築である。コの字型の役場にI型の図書館が加わり中庭を囲む。中庭は二階レベルになっている。役場の機能は二階に集中している。
外部に面した一階にはテナントが入っている。コの字形とIの字形のヴォリュームにはさまれた空間は二階へ上る屋外階段になっている。二階の玄関ホールを入ると中庭に開かれた廊下がぐるりと回っている。一方エントランスホールから更に階段を上がっていくと丁度3階レベルに議会ホールがある。この階段の空間はなかなか良かった。上部に設けられた高窓から入る光、ルーバー状の庇、及びホールの屋根を支える木の梁が巧みにデザインされていて、天井の板貼り、床のタイル、壁のレンガなどの仕上材と共に、作り出される空間は悪くない。 ホール内は十分に天井が高い。ホールの壁の一面には大きな開口が設けられている。そこにはルーバーが全面に設けられていて直接光が入らないように工夫されている。作り付けの家具はアアルト独自のもので見応えがある。しかしこのサイナッツァロ村役場はホールへ至る階段空間は良かったが、全体として期待していた程感激はしなかった。
サイナッツァロを後にし、アアルト美術館に行く。様々なプロジェクトの模型や図面と同時に多くの家具が展示されている。こんなにもたくさんのアアルト家具があったのかと今更ながらに驚かされる。ガラスの作品も面白かった。そこからすぐ裏手のユバスキュラ大学へ行く。ここはアアルトが全体を計画している。その中でも四階まで一気に上る階段が面する大吹抜エントランスホールは有名だが、それよりは三階のレクチュアホールが良かった。教壇を囲むコの字型の階段状机が作る空間は良かった。学生の席の背後から自然光が入るように計画されている。周囲の壁の赤レンガと学生の机の黒い板が作り出す色調も良い。講義机の上部が音の反射を考えて湾曲した天井になっているのも面白い。
一方大ホール講義室の天井は波型が幾重にも重なるデザインになっている。このホール下の一階のロビーの天井は3段の庇が独特の空間を作り出している。
ユバスキュラ大学からホテルに戻り、荷物を受け取りユバスキュラ駅へ。ユバスキュラからは電車で、タンペレで乗換えてポリに向かう。
8月24日
朝9時過ぎホテルにタクシーが迎えに来る。今日はこの車でヴィラ・マイレア及びそこから車で二時間程走りパイミオのサナトリウムを見学に行く。
マイレア邸に9時45分に着く。10時の予約だが、ベルを押すと女性が現れ招き入れてくれた。
このマイレア邸は圧巻だった。マイレア邸の図面は以前から良く見ていたし、今年の千葉工大の3年の演習前期課題では1/30で模型を作った。因みにこの演習では4グループが前期にそれぞれ二つずつの著名な住宅の模型を全て1/30で作った。前半はシュレーダー邸、チューゲンハット邸、ミューラー邸、サヴォイ邸、後半はピエール・シャローのグラスハウス、ライトの落水荘、カーンのエシュリック邸とフィッシャー邸である。
マイレア邸はそんな訳で十分に知っているつもりであったが、それでも中に入ると想像していたものと違う。平面図から想像していたのはそこに描かれた有名な特注のピアノの大きさからして随分広いものだと思っていたが実際に中で空間を体験してみるとそんな感じはしない。その理由は1階のエントランスホールと左手のリビング、及び正面の湾曲したつい立ての壁の向こうのダイニングが見事に分節されているからである。左手のリビングへは階段を四段程上る。そこでまず分節される。更にリビングの中央には柱が立っていて、しかも二階へ上る階段もリビング内にオブジェのように置かれていてそれらがこの広い空間にアクセントを与えているのだ。驚いたのは階段を上がってすぐ左側にある図書室に、真正面に柱が作られていることだ。ドアを入った真正面に柱を立てるのはタブーなのだが、この柱を中心に家具の配置や空間が作られている。この柱が妙に存在感をかもし出し、空間の動きを作り出していて面白い効果を生み出している。
リビングを奥に進んでいくと左側にピアノが置かれたコーナーがあるが、その中央にも柱があり、やはりこの柱も空間にリズムを作ることに貢献している。このピアノのあるリビング奥の空間は左手の図書室の壁と反対側のサンルームによって手前のリビングルームから空間的に分節されている。イタリアのサンデミニアーノ広場の三つの広場がくびれながら連続していく様を思わせる。
手前のリビングは裏のプールサイドのある中庭に大きく開いているのに対してピアノのある奥のリビングルームは図書室と共に全面南面に大きく開いた開口窓を有している。この大きな開口窓は南面全体の立面構成では大きなウェートを占めている。開口は全て木製の建具で作られ、その上部は木製板貼になっているがそこは二階のテラスになっている。一方エントランス正面のダイニングホールはつい立て越しにある。エントランスから入ったゲストはリビングを通らずについ立ての右横の階段を入ってダイニングホールに入ることができる。図書室と二つのくびれたリビングとダイニングの使い方の関係性は様々に想像できて面白い。
次に外観を見て回る。とにかく良く練られたデザインが豊富で移動するにつれて立面はめまぐるしく変わる。緑の芝やプール、木々などが内部空間との関係性を重視しながら作られている。モダニズムは一つのモティーフを中心にデザインをまとめていくのだが、アアルトは意図的にそれを避けようとしているように見える。でも全体としてはばらばらの印象はなく、アアルト独自の個性ある建築を作り出している。
処々にフィンランディア・リージョナリズムを見出すにしても、やはりこれはモダニズム建築である。
実際に見てみるとこの住宅がやはり20世紀を代表するものと高い評価を受けていることに納得させられる。
マイレア邸の主人に礼を述べ、そこから高速道路に出て一路パイミオへ。パイミオには午後2時着。エントランスホールに入るとガイドの女性が待っていてくれた。エントランス右手奥にはアイランド状にガラスに囲まれた受付空間がある。これは北欧独特のもので以前訪れたスウェーデンのヨーテボリにあるアスプルンド設計の裁判所にも同様のものを見たことがある。階段は鮮やかな黄色が床と巾木に使われている。
サナトリウムはもともと結核患者の療養施設である。かつて不治の病といわれた結核の患者はサナトリウムで治療に専念した。サナトリウムは森の中に作られ、そこでいい空気と十分な栄養を取ることが唯一の治療法であった。このサナトリウムも広大な森の中に作られている。アプローチ正面一階はエントランスホールである。それをはさむように正面に向かって左側が食堂棟、右側が病棟になっていて中央のエレベーターや階段を含んだホールがそれらをつないでいる。しかしこれら二つの棟は厳密には平行ではなくはエントランス部分からアプローチ側に向かって開いた配置になっている。この開き具合が程よい。これが平行だったら高さとの比で狭くるしいし、食堂棟にも十分な自然光を確保するのは難しいだろう。
食堂はラウンジと可動間仕切りで分けられている。この可動壁はアアルトの以後の様々な作品に現れるものである。病棟は片廊下である。車が寄り付く北側が廊下になっている。廊下は明かりを十分採るために水平連続窓になっている。病室は全て南側に面し、外は果てしなく広がる森に面している。そのため病室からは緑が目に入ってくる。各室ベッドは二つ。南側の開口窓がユニークである。自然光を十分採り入れるために南側の天井は窓際で上部に折り上げられている。窓も床近くまで開けられていて室内は十分に明るい。
この病棟の屋上は患者が良い空気を吸うためのテラスになっている。7階に相当する高さなので森が眼下に広がる。余談だが、そのテラスの上部の庇は当初の設計では出が足りなく、竣工後雨が吹き込んでしまうという問題が発生した。そのためアアルトは庇を鉄骨で引き伸ばしている。
この建築の見所は何といってもアプローチ側の妻面であろう。階段室の二枚の垂直の壁が妻側に現れそこに各階の水平のスラブがこれらの壁と直交し、しかも同面に仕上られ力強い妻側の立面を作り出している。
この建築は1933年の竣工である。アアルトはこの時代フィンランディアの伝統や北欧ロマンティシズムを意識することなくむしろ当時の最先端のモダニズムに強く影響を受けている。この作品でアアルトは世界の桧舞台にデビューすることになる。
これでアアルトのヘルシンキの建築ツアーは予定を終了した訳だが、最も印象に強く残ったものを訪ねられれば僕は迷わずイマトラ教会、コエ・タロとヴィラ・マイレアの三つを挙げるだろう。
パイミオを後にし、その後一路テュルク空港へ。そこからコペンハーゲン空港まで飛ぶ。空港から電車で市内へ。駅はダイナミックな木造空間。ホテルに到着後メールで東京と交信。
8月25日
コペンハーゲンを朝9時に発ち、昼前バルセロナ着。ホテル「リアルト」にチェックイン。このホテルは市役所前の広場を下った所。いつものようにアドルフ・ドミンゲスに行き冬物を買い込む。そこかランブラス通りを上り、カサ・バティリョへ。夏なのでたくさんの観光客がいる。1980年に来た時はほとんど誰もいなく、淋しく一人で見学していたものだが、この25年間でガウディ人気が何故にここまで高まったのかと考えてみる。
1980年当時はまだ端正な西洋モダニズムが主流であって、このように造形性の強い作品はキワ物に思われていたのだろう。その後ポストモダンやデコン等の多様化の流れの中でガウディは人々の関心を魅きつけて来たのだろう。最近現代建築の主流となりつつあるコンピューターによる三次曲面のデザインは実はガウディが100年も前にやっていたことである。
そこからカサ・ミラへ。今回は家族へのサービス旅行なので、家族が内部を見ている間、歩道のカフェで休憩。
夕方ホテルに戻りシャワーを浴びた後、地中海に面したCanmajoレストランへ。ワインとシーフードを堪能した後ホテルへ戻る。
8月26日
午前中カテドラル教会を回った後、最近完成したミラーレス設計によるベネデッタ・ダグリアブエ市場を見学に。これは面白かった。木造がうねるような屋根及び下部の空間を作る様は圧倒的に迫力がある。5月に行ったスコットランド議事堂の内部空間とイメージを重ねてみる。
一見ランダムなようでよく見ていくと構造的に筋が通っているのが分かる。木造とスティールの使い分けが巧みである。設計者も十分それを意識していて色分けもはっきりしている。
内部は様々な店がブースを構えている。それらのブースのデザインはまるで大きな家具のように配置されていて、見る者を飽きさせない。このようなうねるような波型天井にサッシュをはめ込むのは至難の業であるが、その部分にはガラスが入ってなく、床から天井下までしかガラスが入っていないのできれいに見える。
この市場は複合再開発で、他にアパート群も建てられている。通路の反対側には広場が作られていて市場とアパート群がそれらを取り囲んでいる。
そこから歩いてピカソ美術館へ。家族は更にサクラダ・ファミリア教会やグエル公園へ。自分はホテルに戻り休憩。夕方5時、涼しくなったのを見計らってヘルツォ―ク、ド・ムーロン設計によって最近完成した展示場へ。三角形の平べったいヴォリュームが空中に浮いているデザインなのだが近づいてみるとその巨大なヴォリュームに圧倒される。地面全体はうねるような不規則な斜面になっているが、それが上部の平らな天井とコントラストをなし、ピロティ空間はユニークでシャープな空間になっている。
ピロティ中央に、階段ホールがある。そこを上がっていくと内部の天井が想像していたよりも高いのに驚く。外壁の処々に縦長の窓が作られている。それは外壁ヴォリュームを鋭い刃物で切り取ったように作られている。
帰途、ジャン・ヌーベル設計の円筒形のオフィスタワー、「バルセロナ・アグバー・タワー」を見る。以前現場の段階で見た時は打放しコンクリートのシリンダーにランダムに窓が切り取られていて、その姿は新鮮だったが、完成したものは様々に色分けされたルーバーが表面を覆っていてやや失望した。むしろエントランス空間内部の方がルーバーの効果もあって面白い。
ホテルに戻りシャワーを浴びた後近くのレストランへ夕食に。
8月27日
バルセロナからグラナダへ飛ぶ。グラナダ到着後タクシーでアルハンブラ宮殿内にあるパラドールへ。パラドールとはかつての宮殿や貴族の館をホテルに改装し直したもので、国が運営している。チェックイン後部屋へ。エントランスホールやロビー空間が素晴らしい。
ホテルのレストランでオレンジジュースとサンドイッチの昼食。当然だがオレンジジュースが美味しい。その後家族は宮殿見学へ。自分は少々疲れたこともあり、部屋で休む。東京での疲れもたまっているのかそのまま夜まで眠ってしまう。
夕方目覚めた後、ホテル内を散策する。
8月28日
朝食後、アルハンブラ宮殿を見学に。以前ここに来たのは1980年だから25年振りということになる。当時と比べると圧倒的に人が多い。特に目立つのは日本人に加えて韓国人、中国人が増えたこと。当時は彼等を見ることは全くと言っていい程なかった。
宮殿に入るのに長々と列を待たされた。
ライオンの中庭にも入れなくなっていたし、とにかく人が多すぎて以前来た時の感動を味わうことはできなかった。しれでもスケール、空間、光、装飾などを丁寧に見ていく。特に光がきれいだ。 そのコントラストとしての日影の空間も良い。
ホテルに戻った後ホテル内部を見学。奥の棟の中庭が良かった。
中央に噴水があり水の音が心地良い。周囲が列柱になっているのはイスラム建築の特徴だがさらにグラナダ特有の繊細さが加わり、美しい。
上部階は中庭を囲む回廊になっているが、その豪華さはホテルの比ではない。中庭の南側はモダンデザインの客用のラウンジになっている。そこはヨーロッパスタイルのシガールーム・ライブラリーになっている。この棟と母屋の間には小さな中庭が作られていてそこに面して小さなチャペルがある。この館に住んでいた貴族がプライベートに用いたものである。この館の住人はもともとアラビア人だったので、このチャペルはレコン・キスタ(キリスト教徒によるアラブに奪われた失地回復運動)以降にモスクを改装したものかもしれない。
ホテルチェックアウト後、午後1時にタクシーを呼び、そのままマラガへ。約2時間高速を走って140ユーロは安い。
マラガのパラドールは有名な海岸と美しい街並みを眼下に見下ろす丘の上という絶景の場所にある。チェックインをすると1階の部屋に案内されるが、眼前に木々があって景色が悪い。大体どこでもそうだが、日本人はおとなしいと思われているのでなめているので、ともすれば条件の悪い部屋を与えられてしまうことがある。いつものように強くクレームを付け部屋を替えてもらう。今度は3階の角部屋である。これで同料金。差があり過ぎる。
家族は街へレンタカーを借りに。戻って来た後市内を走り回る。一方通行が多い。海岸のドライブは気持ちが良い。ピカソの生家へ。広場の角のアパートがピカソの生家。そこから近くにある最近完成したピカソ美術館へ。絵もさることながら建築もなかなか良かった。内部も外観もあっさりとしながらもどこか南スペインの雰囲気をかもし出している。閉館時間までゆっくりと見学する。
その後パラドールへ。休憩後予約してあったパラドールのレストランへ。2階のバルコニーの一番よく景色が見えるテーブルをリザーブしてあったので刻々と変わるマラガの夕景、夜景を楽しむことができた。これは例えようもなく美しくさすがにヨーロッパ随一のリゾート地だけのことはある。食事は文句なく美味しい。ここはお勧めである。
8月29日
バルコニーで朝食を取る。朝の景色もまた美しい。チェックアウト後、今日は車でミハス、ロンダを通りセビリヤへ。運悪くマラガを出ると高速道路は渋滞。ノロノロと進みながらやがてミハスへ。ミハスは海岸から山を上って行った所にある観光地。そこから再び高速に戻り、一路ロンダを目指す。3時間程でロンダへ。
ロンダの街は想像していた以上に面白かった。深さ100mもあろうかと思われるクレバス状の急峻な谷によって街が二つに分断されているのである。
勿論、防御上の理由からだろうが、分断された二つの市街地を気の遠くなるような高さを石を積み上げた柱とアーチで橋が作られた二つの街を結んでいる。最初この橋を素通りした時にはこの下にこのような深い谷があることなど予想もできなかった。車をパーキングに停め、橋を渡る。
橋の途中、歩道がふくらんでいて手摺が細いスティールで作られていて真下が望めるが、目がくらむ程の高さで皆恐る恐るのぞき込んでいる。谷の両側には崖にそそり立つように建物がびっしりと作られている。その光景も圧巻である。
この街は世界遺産に指定されている。因みにここの闘牛場はスペイン最古のものである。この橋のたもとにパラドールがある。内部を見せてもらうが余りにも手を加え過ぎてやや興ざめ。街を車で回った後、一路セビリヤへ。セビリヤ市内に入ると徐々に緑や木々が増えてくる。セビリヤは大都会だ。特に他の都市から車で入るとその様子が良く分かる。前回ここに来たのは2000年5月だから5年以上前のこと。その時は新幹線AVEで着いたので前回と今回では随分と違った印象を持った。ホテルの場所がわからずに地図を片手に探し回ったのでセビリヤの街の構成が理解できた。ホテルに到着後、チェックイン、そのまま夕食。
8月30日
まずセビリヤのカテドラルへ。ここは中庭が面白い。樹木の給水のためと思われる細い溝が縦横に走っている。
そこから隣のアルカサスへ。アルカサスとは宮殿のこと。時間をかけてじっくりと回る。いつもヨーロッパの宮殿で思うことだが外部空間が面白い。ここも例外でなく、幾何学的な緑の刈り込みが作るパターンを持った中庭は楽しめる。
ボーダーと敷石が作り出す床のパターンがユニークである。
宮殿を見た後裏手の旧ユダヤ人居住区を歩き回る。ここは細い迷路のように入り組んだ道とその両側に建ち並ぶ白壁及びそこに開けられた窓辺に飾られる美しい花々が咲き乱れる光景が有名である。今では通りの両側はほとんどレストランと土産物屋になっている。様々な人間の行為が作り出す騒音が心地よく感じられるのは何故だろう。
軽い朝食をそこでとった後、車でコルドバへ。コルドバ駅でレンタカーを返し、タクシーでメスキータへ。メスキータとはかつてのコルドバのモスクである。外観はとりたてて言うべきものもないが、内部空間はやはり圧倒される。ここは二度目になるがいつ来ても色合いが美しい。写真やテレビの画面などでみると白と暗赤色の対比は強烈過ぎて、クドく見えるのだが、実物は違っていて決して派手に見える訳でもなく、むしろ控えめに感じられる程である。かつて丹下事務所時代、中近東で仕事をしていた時に随分とモスクをスタディしたり、見学したり、クウェートで働いた時にはモスクの設計にさえ従事した。イスタンブールのハギア・ソフィア、カイロのイブン・トゥルンモスク、ダマスカスのウマイヤド・モスク、イスファハンのマスジッドシャー・モスク等々素晴らしいモスク建築は数多くあれど、ここのメスキータに優るものはない。圧倒的な数の柱、色合い、光、どれをとっても最高である。柱の空間は魅力に富む。レコン・キスタ後、中央にキリスト教会が暴力的に埋め込まれているが、それをものともしない強さがこのモスク空間にはある。
その後周囲のユダヤ人街を歩く。午後8時コルドバ発のAVE新幹線でマドリッドへ向かう。Super Classに乗る。それ程料金の差はないのでやはりAVEはSuper Classに限る。今回は時間が早めなのでディナーではなく軽食であったがそれでも十分に堪能できた。ワインもガスパッチェもハムも全ておいしい。まずサービスをする乗務員のマナーが良い。TGVに比べたら格段に上である。TGVも何回か乗り、ディナーも取ったがこのAVEに比べるとpoorだし、乗務員のマナーも比べると落ちる。前回はセビリヤからマドリッドまで同じクラスでディナーをとったがとにかく印象が良かった。 アトーチャ駅に10時に到着。運良くホテルはそこから徒歩で数分のところ。チェックイン後休憩。
8月31日
朝食後ソフィア美術館へ。ジャン・ヌーベルがコンペで勝ち取った増築棟を見る。既存の高さに合わせられた大きな庇の下に彼独特の三次元曲面の暗赤色に塗られたヴォリュームが中央にデンと配置されるというユニークな外観。しかし周囲に違和感を与えてはいないところはさすが。残念ながら10月オープンなので内部に入ることはできなかった。
そこから裏に回る。広場に面してガラスのエレベータータワーが二棟並んでいる。これらもジャン・ヌーベルのデザイン。ソフィア美術館では何と言ってもピカソのゲルニカ。一時間半ほど見た後アトーチャ駅へ。この駅は好きな駅だ。駅のメインロビーの中央に生い茂る木々や緑は圧巻。丁度着いた時、木々の間に目立たないように仕組まれた散水栓から霧が吹き出している光景に出くわした。幻想的な光景だった。
この駅はレベル差が巧みに用いられている。この植物園のようなメインホールを二層ほど上がるとそこがエントランスで車寄せになっている。エントランスと下部のメインロビーは二ヶ所のエスカレーターで結ばれているが、その踊り場からメインロビーの木々や緑を見下ろすことができる。上部にガラス屋根を持った植物園は、一年を通じて四季の変化を感じることができ、特に冬は人々を和ませることだろう。
かつてヨーロッパでは産業革命以降、鉄とガラスの普及によって盛んに植物園が作られた。暗くて陰鬱な長い冬の間人々はこのガラスのパビリオンに咲き乱れるトロピカルな植物にどれだけ慰められたことであろう。
Orangeryと呼ぶように冬見るオレンジは人々に暖かさと生命力を与えたに違いない。
アトーチャからタクシーに乗り、アドルフ・ドミンゲスや靴のカンペールへ行きショッピング。昼食後ホテルに戻り休憩。夕方グランビアの街を歩く。マイヨール広場付近を歩いた後近くのレアル・マドリッドのショップへ。サッカーファンにはたまらないだろう。ホテルに戻り夕食。
9月1日
午前中GA DOCUMENTで見たMadrid Documentary Centerを見学。この建築家は良く知らないが、建築はなかなかよかった。もともとビール工場だった所を保存改築し、それに増築を加えたものである。かつてのビール工場の円筒形のタンクが並んでいる横に全面スティールのフレームとガラスによって作られたシンプルなオフィスが建っている。一方その横にはかつての工場のレンガ壁が連続するというユニークな外観である。
内部空間ではかつての工場の木造の大屋根、天井空間が良かった。コーナーにはかつてのビール工場の機械などがインテリアのオブジェとして置かれているのも面白かった。
そこからタクシーでプラド美術館へ。ここはいつ訪れても楽しいしわくわくした気持ちにさせてくれる。時々展示の入れ替えがある。それも全く異なった配置になってしまうのは困ったものだが、ここで最も好きなものはベラスケスのラス・メニーナス(女官達)。他にゴヤ、ボッシュ、エル・グレコ、ラファエロなどのイタリア、ルネッサンスの画家、ブランドル地方の画家、ルーベンスやブリューゲル、更にティツィアー、デューラー等名前を挙げたらきりがない。地下で昼食をとったりしながら半日を過ごし、十分に楽しめた。
夕方、レアル・マドリッドのスタジアムへ。見学コースが出来ていて、エレベーターで最上段の通路、観客席を見た後そこからグランドへ降り、朝「選手のベンチ、ロッカーやシャワールームを見た後、最後はグッズ・ショッピングコーナーへ。
ホテルに戻り休憩した後、久しぶりに日本食レストランへ。味は悪くなかった。
9月2日
マドリッドからコペンハーゲン経由でハンブルクへ。そのままミュージカル劇場へ。ドイツ語版のVampireを見るためにわざわざハンブルクまで来たのだから我ながらあきれる。内容は良かった。歌も私達日本人に比べれば格段にうまい。
終了は夜の10時過ぎ。タクシーでホテルに戻る。ハンブルクは大都会といっても夜10時を過ぎるともうオープンしているレストランはない。止むを得ずルームサービスでピザとワイン。このビザが予想に反してうまかった。
9月3日
ホテルからアルスラー湖まで歩く。土曜日なので湖畔は人であふれていた。湖畔のレストランで朝食。そこから街を歩く。市庁舎や教会を見て歩く。街の中を縦横に走る運河が美しい。運河の両岸にはレストランやカフェが並ぶ。なかには運河に浮いた船上レストランもある。そこからお目当てのチリ・ハウスへ。平面が二等辺三角形の先端が尖ったシャープなデザインで有名な建築である。この建築が紹介されるのは専らその尖った部分なのだが、実は訪れてみると見るべきポイントが数多くあるのに驚かされる。まずヴォリュームが巨大なのである。街区の大きなブロックをそのまま一個の建築が占めている。三角形の先端の反対側のヴォリュームの中央には中庭が作られている。中庭の1階は道路が貫通している。中庭は上部のアパートのためのエントランスホールが面している。一方道路に面した南側の立面は中央部がゆるやかなカーブになっていて下から見あげるとなかなかの迫力である。有名な三角形の突端部は一階がバーになっていてその内側が階段、エレベーター、多くの人手あふれ返っているエントランスホールになっている。このエントランスホールへは道路の両側からアクセスできるが大きな木の扉を開けると内部はアール・デコの斬新なデザインになっている。外観のディテールも良く考えられていて見飽きない。エントランスホールや外観を十分に見学した後市内を歩き回りその後ハンブルク港に行き散策。二階建ての桟橋が港沿いに連続している。一階はショップやカフェ、二階はペデストリアン・デッキになっている。
そこから空港へ行き、プロペラ機でコペンハーゲンへ。コペンハーゲン空港から電車で中央駅へ。この駅は木造で世界遺産にもなっている。ホテルにチェックイン後、チボリ公園へ。夜のチボリ公園はなかなか良い。多くのパビリオン、ショップ、レストランが思い思いのイルミネーションに飾られている。コペンハーゲンには間もなく寒いシーズンが始まるのでもうこの公園の夜間オープンも終わろうとしているため過ぎ去る夏を惜しむかのように相当の人出だ。
9月4日
朝早く起きてコペンハーゲン郊外、ヨルン・ウッツォン設計のバウスヴェアの教会を見学に。丁度日曜のミサが行なわれていたのでミサが終わるまでエントランスホールや外観を見て回る。ミサの終わる時間を見計らって教会内部へ。写真で見たよりはるかに良い。湾曲した天井と自然光の入り方が美しい。正面にはコンクリートブロックが積み上げられ、祭壇が設えられている。やや薄く白色に塗られた木との取り合いもきれいだ。
裏手のチャペルや奥の司祭棟部分も見せてもらう。
見学後、外に出たら首尾よくタクシーが来たのでそこからルイジアナ美術館へ直行。この美術館はランドスケープと建築の調和が見事である。たまたまJ・ヌーベルの展覧会が開催されていた。プロジェクトは全てコンピューター画像で表現されていた。展示室の壁面一杯J・ヌーベルを主人公にした漫画で都市と建築へのプレゼンテーションが行なわれていた。美術館を後にして近くの駅から空港駅まで。東京行きのスカンジナビア航空に乗る。
9月5日 午前8時成田空港着。