出張日記

2006年

5月21日

6時起床。事務所の車が迎えに来る。6時半自宅出発。

7時10分大学着。大学では昨夜来徹夜で作業に取り組んでいる。集合住宅は全体の模型と図面の作成。これは一ヶ月程前に瀋陽で打合せをしたものに基づいて修正、及びデザインをエラボレートしたもの。オフィス・タワーはやはり前回の施主との打合せに従い二案、オルタナティブデザインを用意。これも模型を作成。その他ホテルの基本案を模型と図面で準備。

両方のプロジェクトでA1図面枚数100枚もあるのでそのプリントだけでも大変な作業量。梱包を終えたのは7時半。すぐに大学を出て成田空港についたのは8時10分頃。

チェックイン後、ラウンジで休憩。機内でアメリカ映画「キング・コング」を見る。

あまり感心しない。最近中国映画を徹底的に見まくっているので,アメリカ・ハリウッドの雑さが目につく。13時、瀋陽空港着。張鉄、通訳のメイが迎えに来ていた。

あいかわらず空港税関で模型の荷物が大きいのでもめる。張鉄がうるさい税関役人に説明して解決。一路、市内へ。着いたのは瀋陽建築大学。奏氏が教授をしているので彼の研究室で打合せ。それにしてもこの大学は広い。学生数は約二万人とのこと。奏氏、張鉄氏、施主側代表、学生が参加して打ち合わせを進める。前回の変更・修正要望を一ヶづつチェックしていく。全てクリア。間もなくオフィス・タワーの施主が現れる。それにしてもこの施主は若い。しかも美人。驚いてしまう。二案を時間をかけてじっくりと説明していく。基本的に了承され、低層と高層の二つのボリュームに分けた案が採用される。この案はわれわれも気に入っていたものなので一安心。特に議論の中心となったのは仕上げ材料と色。若い女性経営者なので慎重なのか、なかなか決断にいたらない。奏氏が説明を補足してくれて助かる。打合せ後、明日の夜、夕食に招待される。打ち合わせを午後6時頃に終了。その後奏氏の車で市郊外の保養地のヴィッラへ。ここは1999年9月に来て以来。郊外の山間部にダムで広大な人口湖をつくり、その回りに保養施設が散在している。僕達が案内されたのは一番奥のヴィッラ。

レストランに着くと既に三宅理一氏、田島、松田氏らが既に到着していた。

彼らは別のプロジェクトで昨日瀋陽に来たのとのこと。夕食会が始まる。

大きな円卓に20人が座り、大宴会。その後が面白かった。

たまたま奏氏の招待した別のグループ(この人たちは新疆ウイグルの人達)も参加。

明らかに顔付が異なる。中央アジアのトルコ系民族の人達はウイグル、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスチン、トルメニクスタン等東西に広がる昔からシルクロードに代表されるように東西の交流が盛んだった。そのため混血が進み、ウイグル人の顔つきも様々である。白人系の顔から漢民族までさながら民族のグラディエーション。

圧巻だったのはウイグル美人ダンサーの民族舞踊。腰をくねらせながらダイナミックに踊る様には全員圧倒される。他にも五〜六人の女性ダンサーが踊った。この人達はプロのダンサーで親善大使として瀋陽に来ているとのこと。なるほど全員納得。女性ばかりでなく男性の踊りもプロではないにしろ素晴らしかった。特にウルムチ市の観光副局長のダンスはプロ並み。我々も彼の指導のもとウイグルダンスを習う。

ダンスホールで夜の11時半まで続く。そこでお開きかと思ったら、その後、部屋を変えてカラオケ大会。延々と午前1時半まで。その後部屋に戻る。部屋の内部がなかなか豪華である。五つ星ホテル並みである。

5月22日

朝8時半に起床。9時から朝食。昨夜来メイドが4〜5人ずっと食事やお茶などのサービスをしてくれる。10時、瀋陽市で開かれている園芸博覧会に案内される。昔大阪でやった花博と思えば良い。広大な敷地内に各国が庭園パビリオンを出している。天気も良く、月曜日にもかかわらず大変な人出。一日10万人もの人が押しかけているようだ。緑・水をふんだんに用いてなかなか気持ちが良かった。しかし日本庭園と称するものはひどかった。何もなく、中国風の植栽が無造作においてあった。後で聞いた話によると日本政府も瀋陽の領事館も一切関わっていないとのこと。内容が何もなくとも来場者は「日本」「日本」と押しかけている。

しかし皆、失望の顔、顔。これは日本人として恥ずかしい限り。他のヨーロッパの国々、アメリカや中国の各省、韓国などは国がスポンサーになり力を入れているのに何故日本は何もやっていないのか。こういった事の積み重ねが中国の人々に日本への失望や幻滅を生み出す恐れがある。何とかしなければいけない。会場は電気自動車をチャーターして動き回れるようになっている。正午近くに会場を出る。そのままヴィッラへ戻る。ヴィッラへ戻ると屋外の昼食がアレンジされていた。このヴィッラの周囲には果樹園、農園、温室が作られている。そこで作ったものを客に料理して提供する。そのためこのヴィッラではいつも新鮮な野菜や果物が食べられる。この園の中央にぶどう棚がつくられその下にオープン厨房とテーブルが置かれている。コック達がダイナミックに料理している様子を客は眺めながら料理を待つという具合である。特にこの季節は屋外は気持ちが良い。メイドが数人忙しく動き回る中、昼食会が始まる。ビール、ワインを飲みながら、うまい料理を楽しむ。ぜいたくな昼食会である。先刻、湖で見た、吊り上げられた大きな魚がさっそく食台にあがっていたのは驚きであった。

まっすぐ市内へ。車の中で眠り込んでしまう。午後3時に張鉄事務所へ行く。

東北建築設計研究院および施主が待っていた。さっそく集合住宅の打合せ。特にポイントとなったのは空調の屋外機・屋内機をどこに置くか?及び地下の駐車場の範囲、棟間のランドスケープデザイン、仕上げ材料、色、屋上のデザインなど。綿密な打ち合わせを行う。一通り終わった後、今後の進め方を話し合う。実施設計の図面作成は東北建築設計研究院が行うが、標準詳細図は内・外とも古市側で作る。監理も意匠的な部分は古市側が行う。午後6時過ぎオフィスタワーの施主から電話がかかってくる。既に夕食会のレストランで待っているとの事。急いでかけつける。レストランは徳○。

高級しゃぶしゃぶ店である。先月にも来た所である。施主の女性およびパートナーらしき女性も同席。ここはおいしい。二人の女性とも山東省の出身との事。ここで出された白酒が美味しかった。「○○○」という名柄である。おいしいと言ったら、明日2002年産(その年が白酒の当たり年らしい)を空港まで届けさせます、との事。夜9時過ぎにお開き。そこからまっすぐペキン・ダックのレストランへ。三宅さん達がここで食事をしていた。やがて奏氏が現れ、その後張鉄の事務所へ。

そこで新疆のプロジェクトをやらないかと誘われる。ウルムチ郊外とのことで面白そうである。午後11時頃シェラトンホテルへ戻る。部屋に入りバスタブに湯をためてゆっくりと休憩。その後日本の新聞を読む。就寝。

5月23日

8時起床。8時半レストランへ朝食に。いつものようにお粥とフルーツを食べる。9時張鉄が迎えに来る。そのまま彼の事務所へ。ホテルプロジェクトの説明。二案、説明を行う。その後、空港に向かうが途中スーパーマーケットCarefourに立ち寄り天福名茶で茶入れ器と2006年春のウーロン新茶を4セット買い込む。お金が足りないが張鉄が埋め合わせてくれる。空港に着いたのは12時15分頃。そこで張鉄がオフィス・タワー施主からいただいてきた白酒2002年産「○○○」2本を渡してくれる。これは随分と高いものらしい。急いでチェックイン。パスポートコントロールを通り抜け、ラウンジへ。

瀋陽を午後1時半に出発。午後5時半に成田着。機内で映画を見る。サッカーのレアルマドリッドのドキュメンタリー映画だ。なぜか最初の部分は日本が舞台。

ベッカムやジダン、ロナウドのハイライト・シーンやロッカー、シャワー・ルームなどの様子を見せてくれる。成田空港から津田沼へ行き、研究室で学生と中国での打ち合わせ経過を説明。今後の進め方を話し合った後、駅前のイタリアレストランへ。午後11時半、事務所の車が迎えに来て事務所に立ち寄った後、夜半午前1時自宅へ戻る。

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