出張日記

2006年

9月9日(土)


成田 9:30発 北京空港12:00着
北京空港からMU(中国東方航空)で西安に午後3時着。西安(Xian・シーアン)は1994年10月10日から12日まで行って以来だからほぼ12年振り。当然全てが大きく変わっていた。
まず空港。当時は真暗で小さなオンボロ空港であったのが近代的な大きな空港に変わっていた。
空港から市内への道も日本よりも豪華な高速道路。12年前は乗り合い型バスで真っ暗なガタガタ道を走っていったのがウソのようだ。
そういえば、中国には暗さがなくなった。1983年に初めて北京に行ったときは夜の暗さが印象に残っている。
西安市内へは直接入らず、バイパスで今回のプロジェクトの敷地を見学に。
場所はかつて玄宗と楊貴妃が過ごした華清池のすぐ近く。一帯は緩やかな斜面。丁度この季節は斜面一面を覆う柘榴(ざくろ)の収穫期。
敷地の中を車で走って行くと左右に広がるのは広大な柘榴畑と枝にたわわになる柘榴。
多くの農民達が忙しそうに手押車やかごに大量の柘榴を積んで運んでいる。
聞けばこの地域一帯は中国でも有名な柘榴の一大産地なのだそうで、ここから中国全土へ果実として出荷されている。確かに他の地域で柘榴の産地という話は聞いたことがない。
柘榴で有名なのはイランおよびカスピ海周辺の地域、ウズベキスタンなどの中央アジア、ウイグルであるから、この長安の地域まで絲綢之路(シルクロード)を通じてかつて柘榴街道があったに違いない。遠い遥かな昔の日々が偲ばれる。
柘榴畑の中には古い集落が、所々に点在している。聞けば秦の始皇帝の兵達の末裔であるとのこと。言われてみれば、すれ違う農夫達の顔もここから程近い兵馬俑の兵士像の顔に似ているような気がしてくる。
集落の道のあちこちには大量の柘榴が一面にばら撒かれ、それを女達が長い棒で叩き潰している。辺りはツンとした独特の柘榴の芳香に包まれてむせ返るようだ。これらを道の上で乾燥させて、漢方薬にするのだそうである。
敷地内を歩き回り、ホテルの建設候補地を探し回る。斜面を推薦し周囲の柘榴の森を残すことを薦める。
このホテルには温泉が付く。この一帯は、掘れば温泉が沸いてくるらしい。
その後、驪山へ。この山は華清池の背後の山に連なっていて、かつて玄宗と楊貴妃、唐の歴代皇帝が遊んだ歴史的な所である。
山の上に登ると、遥か下方に華清池、そして左前方に柘榴の森、その遥か向こうに広がる平野の中に西安(かつての長安)が見える。下に戻る中腹の所に野外レストランがある。もう辺りはすっかりと夕闇に包まれている。
柘榴に囲まれた四阿(あづまや)に次々と料理が運ばれてくる。最初に運ばれてきたのは、なんとシシカバブ。もちろん呼び方は違うが、おいしい。
アフリカのナイジェリアのイスラム地域ハウザ、アフリカ北部のイスラム地域、トルコ、シリア、アゼルバイジャン、アラビア半島、ウズベキスタン等の、中央アジア、ウイグル。どこに行ってもこのシシカバブの味は似ていて、美味である。そしてこの長安にもつながっていたのだ。シルクロードは、シシカバブの道でもあったのである。この店は、西安一帯の家庭料理の味を売り物にしているとのことだから、シシカバブは一般家庭の料理として広がっているのだ。これでもか、これでもかと料理は運ばれてくるが、あるものは典型的な中国料理であったり、あるものはスパイスの効いた西域風のものであったりと、やはりシルクロードの起点を感じさせるものである。
食事を堪能した後、夜8時、華清池へ。玄宗と楊貴妃をテーマにしたダンスミュージカルが開かれるのである。この手のものはあまり好きになれない。大した期待もせずに会場に行って驚いた。なんと、世界遺産の華清池の中に特設ステージが作られている。それを取り囲むように1500席の段状観客席が作られているのである。こんなことが許されるのであろうか。全く中国はやることが半端ではない。
パフォーマンスは始まった。まず楊貴妃が船に乗って観客席の前を一周する。音楽といい、照明といい、すさまじいのである。裏の歴史的名山、驪山にも映像が映し出される。おびただしい数の出演者、池の中のステージが水上に浮かび上がってくる。それも三重に囲まれた上下移動式ステージ。池の両脇には字幕スーパー。中国語、英語、日本語。玄宗と楊貴妃と女官達の踊り、楊貴妃の贅沢三昧の生活、やがて安禄山、史思明の乱(安史の乱)。安史の乱の場面は迫力があった。後方の基壇の上を数頭の本物の馬に乗った反乱兵が全力で走り抜けて行くシーンは圧巻。中国はやることが派手である。楊貴妃の処刑のシーンは、処刑後、天高く上昇して行くシーンであるが、この高さとスピードも半端ではないのである。
終わったのが夜の9時近く。その後、秦の始皇帝の墓や兵馬俑を回って、西安市内のホテルへ。夜の11時から午前2時までプロジェクトの打合せ。



9月10日(日)


7時に朝食。8時から10時まで再びプロジェクトの打合せ。この辺が今の中国の勢いなのである。彼等の働き方は凄まじい。
10時にホテルを出る。高速道路を一路空港へ。途中、咸陽近くを通る。
咸陽は、秦の始皇帝の宮殿があった所である。そしてやがて淮水(河)を渡る。
淮水は漢の高祖劉邦と楚の英雄、項羽が戦いを繰り広げた所で、史記でもおなじみの所。
空港に10時半過ぎ到着。
午前11時半上海航空に乗り13時20分上海空港着。
上海空港の建物を見て回る。この建物はフランスのポール・アンドルーの設計。悪くない。テンションのコンプレッション・バーを表現の前面に出し、天井との取り付け部分にはトップライトが作られているので大空間の中に無数のコンプレッシャン・バーの群れが浮び上がる。
午後3時35分中国国際航空で上海発、午後7時半成田着。施主側がファーストクラスを用意してくれて帰りは楽だった。
機内食の中華料理が大変美味しかった。中国はあらゆる領域で確実に洗練してきている。あの独特な中華風の建築デザインが洗練されていったら世界の建築のトレンドは変わるのかも知れない。何しろ経済の繁栄とデザインのトレンドは切っても切れない関係を持っている。
京成スカイライナーで都内に戻り、そのまま事務所で打合せ。2日間の出張にしては充実していた。


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