出張日記

2006年

11月11日(土)

成田11時半発のオーストリア航空でウィーン現地時間16時着。明日のイスタンブール行きのフライト・チェックインを済ませる。帰りのブカレスト→ウィーン→東京の座席を予約する。空港のカフェでサンドイッチとガス入り水で軽食を取る。その後、まっすぐ空港正面のnh Hotelへ直行、チェックイン。シャワーを浴びた後、友人の建築家Driendl氏に電話。夕食に誘われ、18時にウィーン市内の彼の事務所に行く約束をするが、その後、眠ってしまう。目が覚めたのは6時前。少々疲れているのと、明日朝5時起床ということで、今回はキャンセル。午後8時くらいには眠りに入る。

11月12日(日)

朝5時起床。今日のイスタンブール行きは7時発。既にチェックインしてあり、空港が目の前なので、6時にホテルを出る。全て順調で空港でゲートから機体までのバスに乗る。バスは動かず、しばらく待たされる。やがて機体を交換するとのことで、バスを降ろされ、ラウンジで待機。結局8時出発。イスタンブールとは時差が1時間あるので、現地時間の11時半着。空港にはホテルのタクシーが迎えに来てくれていた。まっすぐホテルへ。イスタンブールにはこれまで10回以上来ているがいつ来ても新しい発見があるので今回も楽しみ。
ホテルで荷物を解いた後、カメラ、ガイドブック、図面を片手に出る。両替をしてまっすぐハギア・ソフィアへ。今日の天気は良い。ハギア・ソフィアの周囲を何度も回り、外観の撮影。図面は何度も見ていたので、外観から構造と屋根の形を考える。その後、内部へ。やはり内部は圧巻だ。今回の目的はハギア・ソフィアと、オスマントルコ帝国最大の建築家、ミマール・シナンの作品を見ること、撮影すること。シナンはオスマントルコのモスク様式(イスタンブール様式)を完成させた人で、トルコのミケランジェロと言われる。100歳まで長生きして、膨大な作品を残している。しかしハギア・ソフィアに大きく影響を受けている。中央のドームと、それを支えるペンデンティブ・ドーム(三角ドーム)、さらに外からドームを水平に押さえる半ドーム。それらがシナンによって洗練されていく。ハギア・ソフィアは、やはりローマ伝統の三相バシリカなのだ。半ドームも軸線上だけに作られ、軸に直交するアーチには半ドームがなく、壁になっている。そのため空間は軸方向にひとつのがらんどうな空間となっている。特に平行する壁の下部は列柱によってその奥の側廊とは完全に縁が切られている。空間として完全に仕切られているのだ。
その後ハギア・ソフィアの反対側のブルー・モスクへ行く。これらの2つは似たようで実は完全に異なるのだ。ハギア・ソフィアが軸性の強いバシリカ様式なのに対して、ブルー・モスクは明らかにギリシャ十字が基本になっている。中央ドームを四方から支えるのが如実にそれを現しているし、ここではもはや軸性を感じることはなく、あくまでも中央のドーム空間と、四方の半ドームの空間とは全体として一体になっている。この差は歴然としている。しかし、このキリシア十字様式をベースにしたドームと半ドームの構成は既にミマール・シナンが実現している。しばらくこれらの2つの建物の差異をじっくりと考えてみる。外に出ると最早日もくれて、辺りは暗くなり始めている。その後ホテルに戻る。そしてシャワーを浴びて、今日撮影した写真などを整理する。夜7時、イスタンブール在住の建築家、山本達也氏と夕食。山本氏は芝浦工大で三宅理一氏の研究室の第一回目の卒業生。もうイスタンブールに20年在住で、現地にOfficeを作り、活躍している。ホテル近くのレストランでトルコ料理をご馳走になる。ミマール・シナンやイスタンブール様式に関して、いろいろと話を聞かせてもらう。その後、彼の親切でレストランの屋上へ行き、ハギア・ソフィアとブルー・モスクのライトアップを撮影する。しかも周囲のホテルと交渉してくれて、屋上まで上がらせてもらい、おかげですばらしい写真が撮れた。

11月13日(月)

起床後、タクシーでスレイマン・モスクへ行く。これはミマール・シナンの傑作で、内部空間も十分に大きい。昨日は写真によってはぶれてしまったものもあるので、三脚を持参。さすがに三脚で撮ると全くぶれない。圧倒的な迫力はある。ブルー・モスクよりは抽象的でそれが建築の力強さを増している。デジカメで拡大してもピンボケがない。十分に写真を撮る。その後、モスクの後方にあるスレイマン大帝の廟及び妻ヒュツレムの廟を見る。これらもシナンの設計なのだ。丁度12時頃、急に雨が降ってくる。やむを得ずしばらく廟の中で雨宿りする。雨はいくらたっても止まない。しかたなく歩き始めると、運良く傘売りの男がやってくる。10リラであるから日本円で900円。これがとんでもない代物で、1日で駄目になってしまったが、でも雨は一日中降り続けたので、ずいぶんと助けられた。スレイマン・モスクの丘を降りる。途中、ミマール・シナンの墓を見る。墓の途中、本場の大衆食堂に入る。言葉がわからないまま、指を指し示しながら注文する。黄色いご飯の上にチキンを乗せたものだったが、これがおいしかった。しかも値段はわずか200円ほど。食事後、リュステム・モスクへ行く。平面は完全なる八角形。中央のドームと半ドームが巧みに八角形を作っている。このモスクは街中にある。周囲は雑然とした商店街。モスクの管理人達は、皆以外に一様に親切である。その後、正面の大通りでタクシーを拾おうとするが、これがなかなか掴まらない。反対側に行ったりしながら、やっと一台掴まえる。そこからソコルルモスクへ。着くとモスクは閉まっていたが、運良くモスクの管理人が出てきて、内部を案内してくれる。このモスクは六角形である。そのため半ドームが六角形を作る技法は新鮮である。外に出ても一向に雨は降り止まぬ。そこからホテルまで歩いて15分ほどなので、トボトボと歩いて行く。途中大通りの本屋で、運良くミマール・シナンの作品集を見つけることができた。ホテルに帰ると、さすがに疲れ果て、2時間ほどベッドで眠る。雨が止んだので午後7時、外に出て、みやげ物屋を回る。ホテルに8時頃戻るが、そのまま眠りに就いてしまう。

11月14日(火)

昨夜早く眠りに就いたので、朝早く目覚める。朝食後、天気が良いので朝日に映える、ハギア・ソフィアとブルー・モスクを撮影に。ホテルに戻ると既にタクシーが待っていた。空港へ行く途中、シエザードモスクへ立ち寄る。これもシナンの作品なのだ。朝日が目いっぱい入っていたので、三脚も不要。空港へ着いたのは10時。ルーマニア・TAROM航空でチェックイン。11時半イスタンブール発。午後1時ブカレスト空港着。空港には女性建築家エリーナとリムジとその運転手が迎えに来てくれた。まっすぐホテルへ。チェックイン後、建築歴史家の先生がブカレスト・モダニズム建築を案内してくれる。これはなかなか面白かった。主に1920年代、30年代のものが多いのだが、ゼツェッション、アール・デコ、アール・ヌーボー、バウハウス何でもありなのだ。おまけにそこにルーマニア伝統建築が加わっているのだ。ルーマニアは戦前は王国だったのだ。共産主義前はずいぶんと繁栄をしたらしい。その当時を人々は懐かしんでキャピタリズム時代と呼ぶ。その後、民家村を案内してくれた。ホテルへ戻り、シャワーを浴び、着替える。午後7時、日本大使公邸へ夕食に招かれる。そこでしばらく歓談。国立現代美術館長や、建築家協会会長も出席。終了後、ホテルまで歩いて戻る。

11月15日(水)

朝食後、会議場へ。午前中、小嶋一浩氏と僕がレクチャーをし、昼食後、藤本壮介氏がレクチュア。午後3時過ぎに終了。そこから僕たちの展覧会場へ。会場へ行って驚いた。何とチャウシェスク宮殿なのだ。それにしても巨大である。最上階の会場へ。後に付けられたガラスの透明エレベーターで会場へ。会場はかつてチャウシェスクの寝室だったそうである。相当に広い寝室である。展覧会は盛況だそうである。そこからホテルに戻り,その後ルーマニア料理のレストランへ。ワインで盛り上がった頃、隈研吾氏が到着。夕食を楽しんだ後、ホテルへ戻る。

11月16日(木)

起床後、隈氏、小嶋氏、マウント・フジの原田氏夫妻と朝食。その後、ブカレスト空港へ。ブカレストを12時30分出発。機中で小嶋一浩氏と話し込む。ウィーンに13時30分着。ウィーン発14時30分発のオーストリア航空で帰国の途へ。

inserted by FC2 system

出張日記リストへ