出張日記

2006年


12月26日

成田発ウィーン行きのオーストリア航空に乗る。今回の旅行は建築の撮影が目的。現在、岩波ジュニア新書で「世界遺産建築を見よう」を書いていてそこに用いる写真をとるためである。11時成田発。夕方4時ウィーン空港着。同6時ウィーン発7時ベニス着。

ベニスからタクシーに乗りヴィチェンツァへ約1時間。ホテルに着いたのは8時半頃。さすがに疲れ果てて眠ってしまう。

12月27日

ヴィチェンツァ市内をまわる。あらかじめ見るべきパラディオの建築群の所在地図は調べておいたが、それら以外にもパラディオ風の建築が町のあちらこちらに点在する。

よく見ていくと壁面にプレートが貼られていてパラディオの作品であることが分かる。通りを通ってまず、バシリカへ。建物の周囲を撮影する。シニョーリ広場正面の横にパラディオの像があった。バシリカとは、元々ローマ時代の公共の集会場のこと。それまで禁止されていたキリスト教が公認されると教会堂建築が急激に必要となる。そこでバシリカをキリスト教会堂に用いた。バシリカは矩形の建物に3列の列柱があった。これがバシリカ式教会の始まりである。セルリアーナ(柱とアーチの連続する事)をじっくりと見ていく。セルリアーナは、アーチの両脇横に縦長の開口があるものでパラッディオ建築の特徴でもある。このバシリカでは正面、妻側と連続する列柱間にセルリアーナがはめ込まれる。セルリアーナは両側に柱が立って1単位、そうするとコーナーには2本の柱がぶつかってしまいその処理が難しくなる。しかし、その処理が巧みで、この建物の見所の1つ。広場の反対側には、ヴェネチア共和国総督官邸が対峙する。2層分の柱が連続する大オーダーが作る立面は圧巻。その間に嵌めこまれたアーチは1層の高さが重なる。これもパラディオ形式の特徴の1つ。広場に面したインフォメーション・センターにはパラディオに関するパンフレット、本などが揃っている。マティオッティ広場まで歩き そこからタクシーでラ・ロトンダへ。午前中はアプローチ方向からみると逆光。それでもロトンダの周りを1周。ロトンダは、立方体の四面にギリシャ神殿風のファサードを付いた構成。しかしそれらのファサードの全面には階段が付いているので丁度2階にあるような構成。(詳しい説明は私が書いた岩波ジュニア新書「世界遺産建築を見よう」を参照されたし)一通り回るが、正面ファサード側が逆光のため、再び午後に来ることにする。門番の人にその事を伝えて一旦市内に戻る。タクシー乗り場がある広場にはテアトロ・オリンピコとパラッツオ・キエリカティーナが面している。


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ラ・ロトンダ

パラッツオ・キエリカティーナは中央の列柱部分が左右よりやや前面にでている。そのため前面部分の両端は左右の列柱と重なった部分は前後2本になっている。この正面のフラットさを破ったところがバロックの走りだと言われている。

テアトロ・オリンピコは見ごたえがあった。そこから再びラ・ロトンダへ行く。今度は、正面側に太陽光が当たっていて美しい。日没近くまでラ・ロトンダを見て回る。夕方市内に戻り、中央のパラディオ大通りを歩いてホテルへ戻るが、様々なクリスマスのイルミネーションがまだ残っていて人の出も多い。




テアトロ・オリンピコ


12月28日

今日は、霧が強く相当寒い。パラディオ博物館へ行くが修復中とのことで休館。仕方なく街をぶらぶらした後、バスでパドヴァへ。パドヴァからフィレンツェへ列車で2時間。フィレンツェ着いたのは15時半。ホテルに荷物を置いた後、歩いてブルネルスキー設計のオスペダーレインノチェンティ(捨子保育園)へ。正面ファサードを入り中庭へ。たまたま親切な人が居て 奥の中庭や別の棟などを案内してくれる。彼は英語で詳しく説明してくれた。中庭を囲む建物群を見た後、共和国広場を通り、ポンテ・ヴェッキオを渡りサント・スピリト教会へ行くが時間は過ぎていて閉まっていた。正面の広場に面したレストランに入る。地元の人が行くところでなかなか美味しい。


オスペダーレインノチェンティ(捨子保育園)



12月29日

フィレンツェ駅前でレンタカーを借り、シエナ、サン・ジミニャーノへ。

国道に出て一路シエナへ。20年振り。市壁のすぐ外側の公共駐車場に車を置いて、歩いて市内へ。カンポ広場に着いた時にはまだ霧が晴れていなかった。ドゥーモへ。広場からの道は観光客で最も賑わう所である。カンポ広場に戻り、散策。ニュー・イヤーカウントダウンのためのステージ設営が行われていたため広場の完全な形は見えなかった。再び駐車場に戻り、サン・ジミニャーノへ。正門から入り市の中心へ。

サン・ジミニャーノは聳え立つ塔の群れが作るシルエットが有名でトスカーナのマンハッタンなどとよばれるが、私は市の中心にある連続した3つの三角形広場が作り出す空間が好きだ。

3つの三角形の1辺が1つの軸の上に乗っていて同時に見渡せる。

一番手前の広場は井戸がある生活広場。くびれた細い通路を抜けると教会メの広場だ。ここには双子の塔ともう1つの高い塔が広場を囲む。広場から教会に上る階段も広場空間の一部なのだ。更に進んでいくと協会横の小さな広場に至る。北イタリアには著名な広場が数多くあるが、このサンジミニャーノの3つの三角広場は空間的には優れている。帰りに正門に至る大通りに面したカフェで遅いランチをとった後、一路フィレンツェへ。レンタカーを返却し、ホテルで荷物を受け取りフィレンツェ発18時半の特急で一路ローマのテルミニ駅へ。そのまま駅近くのホテルにチェックイン後 街に出て夕食へ。僕の好きなプンタレーリ(この季節ローマだけで食べられるサラダで茎状野菜にアンチョビを加えたもの)を食べられる店を探し回ったが見つからず。1978年の暮れから1979年の春まで当時丹下事務所で進めていたボローニャ・フィエラ地区のプロジェクトの実施設計のためボローニャからローマにかけて、滞在していた時に毎日のように食べていて大好物になった。当時僕らが仕事をしていたナボナ広場に面した事務所の近くでは どこでも食べられたものだが。あきらめて半地下のレストランで夕食。


カンポ広場 シエナの教会


サンジミニャーノ



12月30日

午前中、ボルゲーゼ公園内のビラ・ジュリアを見に行く。ここは好きな場所で良く来ることがある。軸線上に展開される空間のシークエンスがたまらなく良い。その後近くのローマ国立美術館へ。丁度、アドルフ・ロース展をやっていて見るが、展示が良かった。彼の計画案の模型が数多く展示されていて圧倒された。

 
ボルゲーゼ公園内のビラ・ジュリア 

そこから、撮影のため、サン・ピエトロ寺院に行く。驚いたことに教会堂に入るために手前の楕円広場を1周するように人々が列を作って待っている。広場の中央にはクリスマス直後なので飾りつけがしてあった。中へ入るのをあきらめて教会堂の外観、楕円広場、列柱空間などを見て回り撮影。

 
サン・ピエトロ寺院の楕円広場、列柱空間

 
パンテオン内部      ナボナ広場

そこからパンテオンへ。ここも大変の人出。仕方なく行きつけの男性服ショップへ。ここは、ローマに来ると必ず立ち寄る。あまり観光客目当ての店でなく、ローマのおしゃれな紳士を店内で見かけるので、ローマの伊達男には人気のある店である。ここの洋服は若者向けではなく、やや高級。オーソドックスでありながらもイタリアらしいセンスにあふれている。靴も良いものを売っている。ズボン2本とシャツを買う。店の窓からパンテオンの側面を撮影。広場前はすごい人出で写真が撮れない。ます、内部へ。師丹下先生は、ここに墓地を提供された。これは凄い事でラファエロなどと共に眠ることになるのだが丹下先生は断られた。やはり遠い異国の地、見知らぬ異国の人と眠ることはためらいがあったに違いない。このドーム空間はいつ来ても素晴らしい。ドームを作る格子状のフレーム頂部に開けられた円形の穴から入る自然光に照らし出されている空間は例えようも無く美しい。ここはロユール ほとんど毎日立ち寄る。雨の日は頂部に穴から雨が入ってくるし、晴れの日でも冬と夏では光線の入り具合いが違っていて毎日見応えがある。一通り撮影した後、パンテオン前の広場の道に入ったところにある。レストラン「ロゼッタ」にいく。ここはかつてローマに滞在していたときクライアントに誘われて待ち合わせした所である。ローマでは高級レストランでボーイのマナーも客層も凄い。ゆっくり食事とワインで楽しんだので出るころにはもうとっぷりと日が暮れていた。それから途中、カフェ「サンタ・スタッキオ」に立ち寄り。ナポリ広場へ。クリスマスの出し物がまだあり多くの人々で活力があった。タクシーを拾い、ホテルに戻り、荷物を受け取り、空港へ。オーストリア航空でウィーンへ22時30分ウィーン着。ホテルは空港の前である。そこから数えても200mもない距離で便利である。 



12月31日

朝食後Airport Trainで市内へ。Terminalでおりてから、歩く。リングストラーセにいくと市民マラソンが行われていた。随分多くの人が参加していて 熱気に溢れていた。美術史美術館に行く。ここはゼンパーの設計でもある。圧巻はエントランス上部に円形の穴があけられていて そこを通して上部のドーム天井が見える。2階はレストランになっている。レストランから円形の吹き抜けを見下ろすと1階のエントランスが見下ろせると言うわけである。その後楽器博物館へ。ここは、観光ルートではないのだが、バッハ、ベートーベン・ブラームス、シューベルトの楽譜や彼らが使っていた楽器が展示されていて面白い。夕方、ドリエンデルさんの事務所に行く。オペラのチケットを受け取り国立オペラハウスへ。今夜の演目はオペレッタ「こうもり」である。このステートオペラハウスではオペレッタは上演されないが、この「こうもり」は例外で大晦の日だけの特別に上演される。それ程ウィーン市民には愛されていて毎年大晦日の夜の恒例行事になっている。さすがにいつもと違って、観光客よりウィーン市民が多く、しかもほぼ全員が正装である。出演者は全員このオペラハウスでもトップクラスの歌い手である。オペラもすばらしく良かったが幕間の雰囲気も良かった。

ステートオペラハウス 大晦は特別に「こうもり」を上演している

終了後、ドリエンデルさんの友人の彫刻家のアトリエでニューイヤー・カウントダウン・パティーへ。トルコ人、イラン人、人種はまちまちである。12時ごろになると、いよいよ中庭でカウントダウンが始まる。12時きっかりに準備してあった花火が一斉に打ち上げられる。パーティーが終わったのは午前2時過ぎ。ドリエンデルさんの奥さんに空港ホテルまで送ってもらう。

2007年

1月1日

遅い朝食後。ドリエンデルさんの事務所へ。彼の奥さんアンドレアの車でドリエンデル氏が最近完成させたワイン博物館へ。ここはかつてハプスブルク家の宮殿であったところ。1階は未完成のままであったのをリノベーションしたものでもある。未完成というのは石積みの躯体のまま現代まで続いていたということである。クラッシクな装飾などはそのまま残しながらも、全体に彼らしいシャープなデサインが展開されている。彼がデザインしたスチール製の受付カウンターはイスタンブールで作られトラックでウィーンまで運んできたとか。

 

ドリエンデル氏設計のワイン博物館

そこからウィーンの市内が一望できる丘へ行く。午後5時頃すぎウィーン空港に息子が着くので迎えに行く。ホテルに荷物を降ろした後、再びドリエンデル事務所へ。クロアチア料理レストランへ。今日は1月1日ということで他が休みとことだった。クラアチア料理の魚料理は十分楽しめた。



1月2日

朝8時発の飛行機でスイスのバーゼルへ。ここはパスポートコントロールが面白い。パスポートコントロールを通り一旦スイス国内にはいる。スイスは永世中立国なのでEUには入っていないのだ。そして再びフランス側に出る。そこでレンタカーを借りブザンソンを目指す。途中ロンシャン教会に立ち寄る、雨が降ってきたにも関わらず、多くの人が集まる。丁度お正月休ということもあり、日本人の多いのに驚かされる。それも明らかに建築関係ではなさそうで、4人の若い女性がタクシーで乗りつけ、30分ほど回り再び帰っていく。コルビュジェもロンシャンも雑誌ブルータスなどで日本の若い人にとっては もう観光地になっているのだ。そこから一路ブザンソンへ。ホテルに着いたのは午後6時すぎ。荷物を置き近くのレストランへ。途中本屋に立ち寄るがMANGAと大きく書かれている。日本の漫画はヨーロッパでは特に若い人に人気があるそうだ。ホテルが自信を持って紹介してくれただけあって、レストランは大変美味しかった。
 

 ロンシャン教会




1月3日

朝食後、車でアルク・エ・スナンを目指す車で約2時間、9時50分クロード・ニコラ・ルドゥーの製塩工場に着く。開館は10時なので周辺の写真を撮る。10時開館し同時に中へ。パリのヴェルモンさんが事前に電話をしてくれたおかげで、4人とも入場料は無料でしかも受付の女性が親切にしてくれた。天候は曇りで合ったが、外観を撮り、中央の監督館の内部を見回る。11時ごろになって奇跡的に晴れだす。あわてて再び外観を撮り直す。その後ルドゥー博物館へ ルドゥーはルイ王朝の宮廷建築家であった。この製塩工場も王立で1789年フランス革命が勃発したしたため、当初円形だった全体計画は 半円部分と円の中央を横切る中央監督館。両脇の工場棟だけが完成された状態のまま未完成のままで、その後残りの半円が作られることはなかった。ルドゥーは革命で捕らえられ監獄へ入ることになるが、そこで工期や予算の為に大きく変えられてしまった製塩工場の理想の姿を描き続け 円形部分以外の周囲の建物も設計し理想の都市を求めた。製塩工場の理想の姿を描き続け、円形以外の周囲の建物を設計し理想の都市を求めた。勿論これらが実現するあては全くなく、あくまでも彼の理想を追求したものだった。それらが、出版されたおかげで後世の建築家に大きく影響を与えることになる。それらの模型がこの、ルドゥー博物館で展示されている。かなり見応えがある。

 
クロード・ニコラ・ルドゥーの製塩工場

 
製塩工場の模型                 計画案の模型

最後にミュージアム・ショップに立ち寄り、ルドゥー関係の書籍、DVDを買い込む。正門前のレストランで昼飯を取り、その後、フォントネー修道院を目指す。車で2時間ほど走り着く。フォントネ修道院も世界遺産でロマネスク建築を代表するものでありシトー派建築のモデルともいえるものである。2時間ほど見た後、デジョンへ。レンタカーを返すつもりが。ハーツの店が分からず、結局TGVに乗り遅れてしまう。パリのベルモンさんが電話で交渉してマルセイユのハーツを返すことにし、夜8時 デジョンを出て原尚さんの運転で600km離れたマルセイユを目指す。途中何度かドライブインで休憩をとりながらマルセイユのホテルに着く。時間は午前2時。無事ホテルにチェックイン。お疲れ様


フォントネ修道院



1月4日

9時起床。遅い食事を取り。ハーツにバーゼルからの車を返し、新たに予約をしてあった車を借り、ル・トロネを目指す。途中サント・ヴィクトワール山を左に見ながら走る。ドライブインでケーキとコーヒー。午後2時ル・トロネ修道院着。快晴。夕方までじっくり時間をかけて見学・撮影。フォントネー修道院は世界遺産だが、このル・トロネは世界遺産ではない。しかし建築的にはこちらのほうがはるかに良い。フォントネーと比べてスケールも小さく空間も濃密に感じられる。礼拝堂、回路、大寝室、集会室なども各棟間の分節空間が良い。シークエンスが劇的に変わっていく。中庭回廊も斜面にあるため途中階段があるのも空間に変化をつけている。午後5時日没近くまでじっくり見る。


ル・トロネ修道院

マルセイユに戻り、ホテルに預けてあった荷物を受け取りル・コルルビュジュのユニテに向かう。4階のレセプショップでチェックイン。オリジナルインテリアの部屋にしたので丁寧に見る。あちらこちらに仕掛けがあって楽しい。レセプションの後ろの その名もレストラン・コルビジェへ。値段を見ると高い。ここは高級レストランなのだそうだ。外へ出るのも面倒なのでここで夕食。味は良かった。部屋に戻り就寝。


1月5日

昨日と同じレストランで朝食。朝食後、ユニテ内を見学。屋上が面白く時間を過ごす。ホテルの紹介で二層吹き抜け、メゾネットの個人住宅を見学させてもらった。(4名で20ユーロ)ホテルの階にはスーパー、店舗、オフィスなどがあり、面白い。外観をじっくりと回った後、ユニテを後にする。




ユニテダビタシオン

午後はアルル・ニームへ向かう。アルルでは街の中を歩き、日本のテレビCMでも有名となった黄色壁のカフェでコーヒーを飲む。ゴッホ「夜のカフェ」そのまま。もちろんアルルの跳ね橋も忘れず見学。そこからニームへ 街に入ると道路沿いにジャン・ヌーベルの集合住宅を見つけ見学。そこから市の中心部へ。車をパーキングビルに置いて、ニーム市内を散策。美しい街並みだ。やがて、メゾン・カレの前に出る。広場を挟んで反対側にノーマン・フォスターの図書館がある。広場はアイススケートリンクになって多くの人がスケートを楽しんでいた図書館内部へ中央に大きな吹き抜けがありそこが大きな階段になっている。ディテールが素晴らしく良い。外観はモダンなのだが、やや抑えた外観なので周囲の街と良く調和している。日がとっぷり暮れるまでニームで過ごし。一路マルセイユへ戻る。夕食後、早めに眠る。


ジャン・ヌーベルの集合住宅

ノーマン・フォスターの図書館




1月6日

早朝7時に出発のTGVに乗りパリに向かう。10時半パリ・リヨン駅着。タクシーでモンパルナス駅近くのメリディアンホテルにチェックイン。荷物を置き、最近完成した ジャン・ヌーベル設計のケ・ブランリー美術館へ。展示室部分を空中に浮かせ。その下はピロティーで表と裏の庭園をつないでいる。外観は派手。内部展示はアジア・アフリカの美術品を中心にしたもの。1階の庭園に面したカフェで軽いランチ。そこから歩いてセーヌ河畔アレクサンドル?世橋の横に建っているジャン・プルーヴェのトロピカルハウスを復元したものを見た。今日まで展示とのこと。J・ヌーベルの美術館よりははるかにこちらの方が良かった。50年以上も前にデザインされたものだが、今でも新鮮である。構成がシンプルで鉄骨部材のジョイントも妙にデザインしていなく、メカニックさが良かった。タクシーでホテルに戻る。ホテルで休憩した後。タクシーでベルモンさん宅に行く。夕食に招かれ深夜まで談笑。
  

ケ・ブランリー美術館



ジャン・プルーヴェのトロピカルハウス




1月7日

6時50分、パリ・モンパルナス駅発のTGVでトゥールへ。ロワール川の城めぐり。駅に着くと、ツーリストオフィスの人が話しかけてきた。この手の人物は警戒してしまうのだが、公認ツーリストとの事で、ミニ・バスをチャーター350ユーロ。9時に中年の女性ドライバーが来て出発。このミニ・バスは正解だった。ドライバーの女性は英語が堪能な上に話も面白い。最初にシュノンソー宮殿へ。朝早いので人もいなく朝日の中の河にかけられた城をゆっくりと見学。ここは、1980年に来たから27年ぶりになる。当然のことだが、全く変わってない。シュノンソーからブロワ城へ。見学後、近くのレストランで急いで昼食。そこからアンボワーズ城とレオナルドダヴィンチが住んでいた館クロ・リュセ城へ。ここは、中央の2重らせん階段が有名。それにしてもこの女性ドライバーの段取りの良さは驚きである。ブロワ城、シャンボール城まで見ることが出来た。時間が正確でしかもちっとも急がずゆっくりと見学することができたのは彼女の配慮が素晴らしかったからである。トゥール駅には、6時頃着く。駅の途中親切にゴシックのカテドラルを案内してくれる。午後6時半発のTGVでパリに戻る。モンパルナス駅近くのレストランで夕食。



1月8日

起床後、近くのカルティエ美術館へ。そこからノートルダム寺院に行き見学。じっくりと撮影する。内部は多くの人で混んでいた。そこからルーブル美術館へ行き、ゆっくりと過ごす。6時近く、オペラ座通りに出て日本料理屋を予約。7時ベルモン夫妻を招いて夕食会。
終わってホテルに戻り荷物をパッキング。



ノートルダム寺院




1月9日

ホテルからタクシーでCDG空港へ。10時半発でウィーンへ。オースリア航空に乗り換えて一路東京へ。

1月10日

朝9時、成田着。

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