出張日記

2005年


3月17日

事務所で打合せを済ませた後成田空港へ。
成田空港発17時30分。北京空港着20時30分。空港では先に中国に入った研究室の学生が僕の瀋陽行きの航空券を既に購入済みで、国内線カウンターでチェックインも済ませてくれているはずだ。瀋陽行きのフライトが21時20分なので飛行機を出ると一目散にパスポートコントロールへ。しかしとにかくこの空港は距離が長い。息切れをしながら着くと既に別のフライトで着いた乗客が並んでいる。僕の前にはいてイライラしながら待つ。
20時45分パスポートコントロール通過。手荷物だけなのでそのまま待合ラウンジへ。学生が7名程迎えてくれる。話す時間もなくそのまま搭乗券を受け取り国内線へ。
運悪く中国南方航空は旧空港を改築した第一ターミナル。歩くと10分程かかる。
足早に歩きながら学生と北京での予定を打合せしながら21時無事に瀋陽行きのゲートに着く。すべり込みセーフ。
瀋陽までのフライトは1時間。満員だ。さすがに疲れて機内で眠り込む。
瀋陽空港に着くと市政府の人と通訳の張さん達が迎えに来てくれた。
そのまま真っすぐ市内のホテル。ホテルはいつも泊まっているシェラトン。チェックインして部屋へ。何とセミスイートルームが市政府によって用意されていた。 明日は市政府主催のシンポジウム。部屋に荷物を置いた後、2階のレストランへ。旧知の秦さんが待っていた。そこでワインを飲みながら語る。彼とは10年来の友人である。現在市政府の建設関係の要職にある。随分と大酒飲みだったが、健康を考えてワインを飲むことにしたとの事。明日の予定を話す。


3月18日

朝8時に起床。二階のレストランへ。中国の朝食はなんと言っても朝粥に限る。とにかく胃にやさしいし、うまい。沢山ある具(トッピング)を選ぶのも楽しみ。
市政府の人達も朝食に加わる。中国ではこのような時、上下の位に関係なく運転手も通訳もまだ若い下の位の人達も皆平等に食事をする。
9時に会議場へ。テーマは二つ。一つは瀋陽市の渾河の開発。市民の憩いの公園にし、かつそのための、河の汚染の浄化を中心とした環境問題への取り組み。それに伴なう渾河南部(現在の市街地は渾河の北側に広がる)の開発などへの提案が説明される。
もう一つのテーマは方城計画である。方城とは故宮のことである。北京の故宮は有名だが、清朝をおこしたヌルハチは北京へ遷都する前は瀋陽を都としていたためにこちらが故宮のオリジナルなのである。この故宮と近くの距離にある張府(張学良の住まいや事務所があった所。張学良の父、張作霖はかつてこの奉天を中心とした満州を治めていたが、日本の関東軍に奉天駅近くの柳条溝で列車にのっていたところを爆殺された歴史がある)を結び付け一体化した観光開発を行うのが計画の目的である。
南京の東南大学の王建国教授が五つの案を説明した。その中で第二番目の案が際立っていた。故宮には明代の建物が一ヶ残されている。そこから引かれた軸線とヌルハチの清朝の軍隊である旗の館から引かれる清代軸線を南京路に面した張府の横を通り、メインストリートの南京路へ結び付けようとするものである。
張府には南京路に面した広場が作られている。その結果、明代軸線、清代軸線、民国(孫文が建国した中華民国)広場がこの地域がもつ三つの時代を表現するという明快なコンセプトである。
10時半に説明が終わり、そのままバスに乗り方城及び張府の見学へ。
王建国教授と話す。彼は名古屋にいた事があるとの事。中国では40代以上で留学経験のある人達は圧倒的に日本が多い。しかし残念ながら現代の優秀な学生はほとんど美国(アメリカ)へ行ってしまう。
故宮や張府の回りの開発は驚くべき速さで進んでいる。10年程前に来た時は、周囲は古い建物に囲まれ雑然としていた。しかし当時の方が、趣があったように思われる。現在のように周囲を赤い中国様式の建物群で取り囲んでしまうとやや興ざめになるものだ。第一周りがけばけばしくて、かんじんな故宮がシンボリックに見えてこない。
そのため午後のセッションでは二つの遺産をつなぐ外部空間はあまり中華様式で飾り立てない方が良い。つまりそこは現代風デザインでしかもニュートラルなデザインの方が二つの遺産を引き立てることができるとコメントした。現地見学から帰って来るとランチ。午後2時から午後5時まで午後のセッション。セッションは渾河プロジェクトと方城プロジェクトの2グループに分かれて行なわれた。私が参加したのは方城プロジェクト。招待された専門家は北京の清華大学から二人の先生、杭州市建設課の役人、王建国先生、瀋陽市政府の文化局長、瀋陽建築大学教授、それに私とオーストラリア人であった。それぞれが一人ずつ五つの提案に対してコメントを行っていく。
しかし共産主義国家の持つ演説調のプレゼンテーションはたまらない。簡単に済むコメントを延々と大声で演説するのがこの国のスタイルだ。
午後5時から会場を移して二つのグループが再び合同で総括を行う。これも長い。午後5時50分で終わる予定が結局6時半。終了後、副市長に挨拶をすると先方はニコニコと話しかけてくる。どこかで見たことがある顔だと思っていたら、昨年私の事務所を表敬訪問してくれた人であった。こんなにも偉い人だったのかと驚く(瀋陽市は人口700万人)。
私が二年前書いて出版された「風・光・水・地・神のデザイン」がこの二月、中国語に翻訳された。私より先に入った研究室の学生が買っておいてくれて10冊程持ってきたので、要人達に配布する。
午後7時から夕食会。副市長と同じテーブルに招かれたので話をする。「瀋陽で現在進めている仕事はありますか。」と聞かれるので「ない。」と答えると「是非かつてのように沢山仕事をして下さい。」と言われる。これが外交辞令だと思い「謝々」と答えたのだが、この後建設部の人が来ていくつかの仕事を勧められる。「出来れば全部やってくれ。」と言われる。十年前に仕事をしていた時にはフィーが安くて往生したものだが、確かにこの瀋陽も豊かになった。今回驚いたのが一日のシンポジウムへの謝金が日本円で12万円あったこと。航空券、ホテル代は別途。かつては一万円程だった。
夕食後、市政府の事務所へ。そこでさっそく仕事の打合せ。中国人の若いスタッフが30人程待機している。次々とプロジェクトが提示される。担当者が一人一人自分の担当している内容を説明していく。
現在の中国はかつての日本の高度経済成長時代のようにとにかく建設ラッシュで設計に携わる人達も猛烈に忙しいのだ。ここの所長もまだ32歳という若さ。中国ではよくあることでとにかく若い人達が主要なポストに就いて猛烈に仕事をしているのだ。
中国で驚くことは圧倒的にスケールが大きいこと。提示された集合住宅のプロジェクトも7,000戸という巨大なもの。他にオフィスビルの仕事も持ちかけられる。打合せは深夜にまで続いた。
打合せが終わったのは夜の11時。その後一旦ホテルに戻り、そこから再び夕食会へ。元国家建設部長(日本で言えば建設大臣)の林氏も同席。林氏はあの林彪の甥とのこと。既に72歳でモスクワ留学時代、クラスメートに元中国首相の李鵬、ルーマニアのチャウシェスク元大統領などがいたとの事。
秦氏より紹介された実業家からビルの改修を頼まれる。個々での食事が終わったのは結局午前2時。ホテルに戻る。



3月19日

起床後、朝食。市政府の人がホテルに来る。そのまま車で空港へ。11時瀋陽発。12時10分北京空港着。事務所の高橋が空港に迎えに来ていた。
タクシーで清華大学構内へ。ホテルにチェックイン。千葉工大の学生全員とホテルロビーで会う。
やがて張敏教授が来る。車で建築学科棟へ案内してもらう。展覧会場のセッティングは無事終わっていた。そこから車で近くの地下鉄駅へ。そして松原弘典君の事務所へ行き見学。日本人のスタッフ二人をかかえて忙しくやっている様子。彼は慶応で、助教授として教えているので毎週日本と北京を往復しているとの事。「国内出張と変わりませんよ」の言葉に納得。
そこからタクシーに分乗し、前門街へ。裏通りへ入るとすさまじい勢いで開発が進んでいた。古い建物はどんどん壊されている。この辺はかつて古き良き昔の北京を残していていい雰囲気だったのだが残念。
前門街から横に入る大柵街へ入る。この通りは活気がある。かつて絹商人達がその財力を誇示するかのように豪華な建築を競い合った。それらは今、重要文化財になっているが、内部は完全に造り変えられている。その対比が面白い。道の両側には飲食店や、様々な店が建ち並んでいる。途中茶を売る店に立ち寄り、プーアール茶、ロンジン茶、ジャスミンなどを買い込む。
しばらく散策した後、レストランへ。二階の席に千葉工大の学生、清華大学の学生、張敏教授、松原君及び彼のスタッフ二名、高橋と僕を含めて14名で夕食会。ビールを飲み、たらふく食べた。味も好吃(美味)。値段を聞いてびっくり。240元(¥3600円)一人250円程。食事を終え、先ほどの茶室で各種の茶をごちそうになる。そこからタクシーを拾い、清華大学ホテルへ。



3月20日

起床後ホテルとレストランで朝食。朝食後、張永和の事務所に。彼はいなかったが女性のスタッフが事務所を案内してくれる。かつて伝説的になっている程美しかった陽明園に面した独立棟(長屋)になっている。若いスタッフ達が忙しそうに仕事をしている。その後中国建築設計院のツィー・カイと昼食。彼は800人の大事務所の副院長である。上等な上海料理をごちそうになる。そこから再び清華大学の建築学科棟へ戻る。オープニングセレモニーの準備が終わっていた。
午後2時オープニングセレモニー開始。清華大学建築学部長、副学部長、三宅氏、古市と挨拶。これから2週間ここで三宅理一氏や張敏と進めてきたウズベキスタン、アゼルバイジャンのワークショップの作品が展示される。14時30分から清華大学建築学部講義ホールで私と三宅氏が講演。ほぼ満席。私は丹下事務所時代のナイジェリア新首都計画、及び東京都庁舎プロジェクト、及び古市事務所の作品を一時間半程講演する。三宅氏はサステナビリティに関して一時間程講演。ほとんど席を立つ人もなく盛況だった。張敏氏もほっとした様子。
講演後数名の学生が来て質問される。日本の新建築やGAなどをよく見ていて僕の作品もよく知ってくれていた。その後清華大学の建築学科ツアー。先生方の研究室、製図室などを見て回る。製図室は学年毎に割り当てられ、学生達がもくもくと模型を作っていた。廊下に展示された模型群を見ても中国はかつてのような社会主義建築を脱し、完全に世界の最新情報を追っている。
次回、学生のプレゼンテーションに参加することを約束する。あと5年、10年で日本を追いつき追い越すだろう。
建築学科棟正面で記念撮影をした後、清華大学構内のレストランで夕食会。中国式にそれぞれの国の代表が代わるがわる挨拶をしながら乾杯。しかし北のように飲み干す必要はない。
食事が終わると校外の現代風バーへ繰り出す。グループ毎に話し込む。学生の一人は(女子学生)今年の10月から東大の内藤廣研究室にPhd獲得のため3年間留学するとのこと。再会を約す。しかし学生達には勢いがある。国の勢いが学生を元気にするのだろう。日本はどうしたら未来が開けるか?
課題である。深夜ホテルに戻る。清華大学の人達と再会を約束する。



3月21日

6時起床 6時30分ホテル発。空港でチェックイン後、ANAのラウンジへ。高橋はノースウエストなので成田で待ち合わせ。午後1時成田空港着

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