出張日記

2007年

3月25日

ルフトハンザ航空で成田13時35分発。ミュンヘンに18時着。ここはトランジットだが外に出る。ヘルムート・ヤーン設計のケンピンスキーホテルが真正面に見える。かつてこのあたりは何もなく閑散としていたのだが新しいターミナルビルができてケンピンスキーホテルも以前よりも良く見える。ミューヘンを19時45発で ベルリン テーゲル空港に20時45分着。タクシーで市内のホテルへ。

3月26日

ホテルで朝食後、ゲルカンの設計で新しくできたベルリン中央駅へ。かつてのゲルカンのデザインらしくなく、軽快なデザイン。

ガラスの箱の中を地下から2階まで鉄道が吹き抜け空間の中で一体となっている。

特に、2階レベルの鉄道が空中を飛んでいく様は 未来都市のようで圧巻である。駅のコンコース、ロビーも十分に広い。そこを出て川を越えノーマン・フォスター設計の国会議事堂上部の展望台を見に行く。既にエントランス前は長蛇の列であるため、翌日、早朝行くことにする。歩いてブランデンブルグ門へ。しばらく歩いていくとピーター・アイゼンマン設計のユダヤ・メモリアル・パークへ。パークといっても高さの異なる石の角柱が林立していてその隙間を人は歩くようになっている。石の上に登って見ると角柱というよりは緩やかな斜面にグリッド状に溝を切り込んでいるといったほうが正しいかも知れない。そこからリベスキンドのユダヤ博物館へ。ここは、7年前に来ている。その時は、まだ、博物館としてオープンする前で空間はがらんどうで展示がなくスリットから入る光も効果的だった。今回は、展示が所狭しと並んでいるのでやや興ざめ。ただコリドールやロビーは以前と同じ劇的な空間である。

外に出るともう、18時をまわっていた。タクシーで赤の市庁舎へ 近くの380年の歴史を持っているという老舗パブ、ツア・レッテン・インスタンツへ。かつてナポレオンも訪れたとか。人気店だが、ちょうど席が空いていた。そこで、名物料理アイスバインを頼み、ビールで楽しむ。

3月27日

今日は、ポツダムへ・ベルリン中央駅からポツダムのひとつ手前のワンゼー駅で下車。丁度、5人が乗れるタクシーを見つけチャーターする。そこからまず、グリーニケ宮殿へ。シンケルというと左右対称の古典建築が思い出されるがポツダムのシンケルは、ピクチャレスクの庭園で知られる。ピクチャレスクとは、左右対称物や幾何学にこだわらず、土地の高低や川、森などの自然条件を守り、ランダムな配置構成をしていくもので、ベルリンのシンケルとは、まったく反対。対照的なものだと言ってもよい。ミース・ファン・デル・ローエに影響を与えたのは、このピクチャレスクの方で、バルセロナのパビリオンとシンケルのピクチャレスクを並置してみると分かり易い。グリーニケ宮殿は、アプローチを進むとすぐ左手に正面が現れる。中庭を囲んで2つの建物が向かい合うが、面白いことにそれらの2つの建物だが向かい合う角度が微妙にずれている。シンケルらしくない。しかし、宮殿の背後に回ると噴水。2つの四阿(あずまや)、ガジノなどがパビリオンのように自然の傾斜の中、敷地を選びながら、距離を保って配置されている。ここで思い出したのは、P・ジョンソンのコネティカットの自邸。自然の勾配の中、住宅、書斎、パビリオンが配置されているのは、シンケルのそのものである。ミースを介してシンケルは、ジョンソンにまで受け継がれているのだ。ガジノハウスは、中央に空間、両側にブドウ棚が長く水平に延びる、ダイナミックな構成である。それは湖に面した急斜面に作られているため、反対には、階段で降りることになる。ブドウ棚からの湖への景色が考慮されている。敷地の端部で湖に面した丘には円形の四阿が作られている。また 宮殿の内側庭にも噴水や半円の四阿が 敷地の高低差をいかしながら、巧みに配置されている。それぞれのパビリオンから見る時 景色がかなり緻密に計算されていているのが理解できる。そこから、ロシアンコロニー-へ。ロシアから多く移住してきた人々のため、住宅群のモデルをシンケルが作ったのであるが、僕らが知るベルリンのシンケルとは、どう考えても繋がらない。

タクシーに途中サン・スーシ宮殿に立ち寄ってもらう。ここには何度も来ている。そこからシャルロッテンホフ宮殿へ。タクシーとは、ここで分かれる。この宮殿は、サン・スーシー宮殿の広大な敷地の一角にある。宮殿そのものは小さいが、ブドウ棚を水平に伸ばし宮殿と反対側の半円の壁を結んでいる。それらの3つの建物によってコの字形に囲まれた部分は、芝生の庭になっている。この芝生の庭は、宮殿の2階レベルに土盛りされているのだ。ブドウ棚の通路は、擁壁上にある。中庭中央ブドウ棚の反対側の地上部は、半円の池になっているので、2階レベルの芝生の中庭から池へは、斜面によって連続されている。思ったよりも全体の構成は小さい。半円の池越しに宮殿の列柱ファサードを見上げるのが一番美しい構図で、紹介されるのはほとんど このアングルの写真である。池から宮殿の建物とは、反対方向に行くと有名な「庭師の家」がある。シャルロッテンホフ宮殿から進むと手前に芝生公園があり、池に面している。池の向かい側に建っているのが庭師の像である。庭師の家といっても実際にここに住んだのは、ここを直したフリードリッヒ皇太子であった。既存の建物を改修したものであるため、一見してシンケルのデザインには見えないが、L字の建物が芝生庭を囲むが 空間が開放された二面は、池に面している。建物は、L字形の角の部分から入る。この部分には、建物はなく上部がブドウ棚に覆われた外部空間である。進行方向左手は、雛壇状になっていてそこに様々なプラントボックスが置かれている。空間は、建築への入るための前室的なものになっている。そこを通るとトンネル状の通路があり、そこを抜けると芝生広場になっている。左手は、シンケル風のデザインのコロネードになっていて、コロネードの奥の空間は、有名なローマ風呂である。反対側の建物が、住居棟である。

外部から見ると2つのブロックが分節されている。既存の建物に手を加えプロポーションが整えられている。この住居棟の離れが池側に建てられている。ギリシャ神殿風のティ・ルームである。ヨーロッパの各国の宮殿には、必ずといってよいほど、ティールームが作られている。そこは、豪華に作られていて、ここが王候貴族にとっては重要な休息、憩いのための空間であることがわかる。

このポツダム及び周辺のシンケルツアーは、お勧めで、ベルリンのシンケルとは異なったピクチャレスク、躍動感あふれる庭園建築を見ることができる。遅いランチの後、アインシュタイン塔へ。すっかり改装されて真新しくなっている。内部が良くわかる断面模型が外部に展示してあった。そこから車を飛ばして山の上にあるポユレット宮へ。宮といってもごくごく小さいものだ。屋根には、テントが覆われている。全面ファサードには、列柱が用いられている。シンケルの中でも珍しく派手な色が外観に用いられている。その後、ポツダム駅から電車で再びベルリンに戻りアルテ・テーゲル宮へいく。森の中にある現在は、民間人の住居になっているので、敷地内へも入れない。許可を得るため、建物に地下づきブザーを押すが、返事がない。外観周りを見て帰る。

3月28日

7時30分朝食。タクシーで国会議事堂へ向かう。昨日午後行ったときは、長蛇の列で諦めた。オープン時間の8時すぎに着くが、すでに200人位並んでいる。セキュリティーのチェックが厳しいため、1時間程待たされる。エレベーターで一気に最上階の展望ラウンジまで上がる。これは、単なる展望台で下部の国会とは空間的に繋がっていない。ここにくるまでテームズ湖畔に建てられたノーマン・フォスター設計のロンドンの市議会ホールのように下部の議会ホールが見下ろせるもと思っていたが、これは誤り。屋上に作られた。スパイラルのスロープは、最上階の展望ラウンジへ導くが下部は、フラットなロビー。

やや失望。それでもこの空間は、面白かった。そこに紡錘形のガラスドームが載っている。驚いたことにこの内部空間は、外気と連続していて暖房はされていないようだ。スパイラルのスロープの空間は、ライトのグッケンハイム美術館が有名だが、魅力的な空間である。そこから歩いて、ポツダム広場のソニーセンターへ。ヘルムート・ヤーンの設計だが、1980年代のシカゴの彼の作品を知るものとしては、やや失望。楕円形の中庭にテントをかけたものだが、かつての彼の正統モダニズムからは、明らかにはみ出している。時流と言ってしまえば、それまでだが、やや散漫でまとまりがないように思われる。しかし、広場内部は、カフェやレストランがテーブルを並べ多くの人で活気があった。テントの形状が遠方から見ると山のように見え、昨日のタクシーの運転手も「マウント・フジだ」と言っていた。そこから歩いてミースの国立美術館へ。何度も足を運んでいるが、どうも好きになれない。これは、建築家にとっては、批判のできない神のような存在なのである。これを批判できない状態は、「裸の王様」物語のようで、本音がなかなか言えない。しかし、地下のサンクンガーデンになっている屋外展示スペースは、よい。かつてのニューヨークのMOMAGardenは明らかにこの影響である。

タクシーでシンケルのノイエバッハへ。そこからペイの美術館(あまり成功しているとは思えない)アルテス・ムゼウム教会、シュピーゲル劇場などを見て歩く。やはり原点は、ノイエバッハなのだ。ノイエバッハのシンケルのスタディのプロセスを見ていくと面白く、後のシンケルの作品が理解しやすくなる。基本は、列柱ファサードのコーナーを太い角柱で押さえるということである。アルテス・ムゼウムも、シュピーゲル教会の複数のヴォリュームにも、それは当てはまる。しかし、ベルリンのシンケルは、あくまで古典的でシンメトリー、幾何学の徹底化が行われている。昨日のポツダムのピクチャレスク・シンケルの方が現代には受け入れられやすい。そこから歩いてJ・ヌーベルのデパートへ行き食事。ホテルに戻り、正装に着替え、国立ベルリン・オペラ劇場へ。建築は、再建されたものだが、その知名度、格からしてみるとやや物足りない。小ぶりだし、内部もウイーンなどに比べるとややあっさりした感じで、華やかさに欠ける。演目は、蝶々婦人。このタイトル・ロールは、やはり日本人がベスト。着物の着こなしはもちろんだが、日本人女性特有の(と言っても今となっては昔の)立居、振る舞い、繊細な表現を外人女性に期待するのは無理がある。おまけに蝶々婦人役の女性が余りにも体格が立派過ぎるのだ。歌はうまいのだが、目を開いてじっとその姿を見てしまうと興ざめ。おまけに、みんなが畳の上を靴を履いて歩くものだから、怒りがこみ上げてきてしまうのだ。それでも、ベルリン・オペラで見たと言うのが大事である。

3月29日

朝8時30分の電車でデッサウへ。バウハウスを訪ねる。ここを訪れるのは3度目である。着いて驚いたのは、外装がリニューアルされて、依然と比べると真新しく見えたこと。確かにきれいなのだが、以前と、随分違って見える。丁度日本人のガイドの人がいて、その人に案内をお願いする。かつての学長室は、初めて入った。インテリアの家具が面白かった、教授陣の宿舎群も初めて入った。こちらの住宅の方は、見所が多く楽しめた。昼近くデッサウを出て、列車でドレスデンへ。到着後、エルベ湖畔、旧市街と反対側のホテルにチェックイン。こちらのホテルの河に面した公園から見るドレスデンの旧市街は美しい。様々な建物の塔などのシルエットが圧巻である。そこから橋を渡り、旧市街へ。ここは、第2次世界大戦で徹底的に破壊された街である。ポーランドのワルシャワのように焼土から復元された街であるが、すっかり古色蒼然としていて、そのような復興の歴史は、微塵も感じさせない。ゼンパー設計のドレスデン・オペラ劇場前広場の周囲を散策。広場に面したシンケルの建築であるカフェに入り、ケーキとコーヒーを楽しむ。ホテルに戻り正装に着替え、オペラ劇場へ。設計者の名前をとってこの建物をゼンパー・オパーと呼ぶ。今日の演目は、オテロ。この建物の特徴は、正面入った空間が劇場ホールの曲線にそったコリドールになっていることである。オペラハウスにとって重要なホワイエは、劇場ホールの両側である。そのため、正面から見るとヴォリュームが左右に広がっているので、ファサードが左右に長く、広場から見ると、ウィーンなどと比べても大きく見える。そのため、広場は、大きいのだが、この建築は、広場のスケールに負けていない。内部のつくりが、豪華なのだ。正面のカーブしたコリドールも、左右のホワイエも、ホールの内部もとても戦後復興したとは信じられない。オペラがよかった。昨日の蝶々婦人は、やや不満があったが、今夜のオテロは、完璧だった。デルデモーナを演じたソプラノが抜群で、声量といい、容姿といい、表現といい、すばらしい。最初アンジェラ・ゲオルギと間違えたほどだ。最後のカーテンコールでは、彼女への拍手、ブラバー、足の踏み鳴らし。タイトル・ロールの影がかすんでしまった。ヨーロッパの観客は、冷徹なのである。やや興奮の冷めない劇場をあとにする。

その後、近くのシンケル・カフェで、ワインで食事。

3月30日

朝食後、ホテル前のエルベ河畔を歩く。ややひんやりとするが、驚いたことに桜が満開である。どう見ても、日本の桜と同じ桜である。ドレスデン・エルベ河畔で、花見ができるとは、夢にも思わなかった。橋を渡り、ゼンパー・オパーの周囲を歩きながら、撮影。広場に対して、湾曲した長いファサードが、圧倒的なインパクトを持つ。上部に劇場ホール空間、舞台上部のヴォリュームが乗っている。これらは、ギリシャ神殿形式であるが、その両側は、紛れもなくシンケルを引き継いでいる。劇場正面の左側のツヴィンガー宮殿をまわる。ここも一部はシンケルで、大きな中庭を取り囲むように建物が配置されている。そのフラットルーフは、散策路になっていて、中庭を見下ろしながら周囲を歩くことができる。建物の内いくつかは、博物館になっている。そこから、昨年復興が完成したばかりのフラウエン教会へ行く。黒い石と、白い石がまだらの紋様のようになってファサードを作っている。その理由は、空襲で焼け落ちた現場から広い集めたオリジナルの焼けた石を使用しているためである。黒い石がそれで、白いものは、新しく作られたものである。頂部にはイギリスからに寄贈による新しい頂冠が取り付けられ、焼け落ちた頂冠は内部に展示されていた。周囲の広場を歩き回る。周囲は復興工事の真っ最中で、あちこちが工事現場の状態で見栄えが悪いが、将来は、かつてのドレスデンの旧市街が復元されることだろう。教会に面した広場に面した野外のレストランで昼食。ビールがあまりにもおいしいので2杯も飲む。1杯の量が多いので、かなりよいがまわる。それにしてもドイツに着いて以来、天気が本当にいい。休憩後、近くのマイセン陶器店へ。かなり買い込む。新市街のほうへ出ると、本屋があったので、ゼンパーの本を買う。ホテルにもどり、荷物を受け取り、予約していたタクシーに乗り、空港へ。ドレスデン20時30分発、ミュンヘン21時30分着、到着後、タクシーでホテルへ。ホテルは、市街地の外れにあり、やや交通が心配。

3月31日

小さなホテルで、集合住宅の2フロアー分を使っている。しかし、朝食はキチンとしていて、よかった。ホテルの斜め正面が駅になっていて、そこから電車に乗る。ミュンヘン中央駅まで10分ほど。意外と交通の便は良い。そこから、ツーリスト・インフォメーションに行って、マップをもらい、場所を押さえる。アルテ・ピナコークへ。ここは、ミュンヘンでも記念碑的な建物と言われるところ。正面に●門。左右は、それぞれ美術館になっている。バロック的な、構成になっていて、かつて中央の広場は、ヒトラーがミュンヘンから政界に進出したときには、主要なイベントに用いられたと言う歴史を持つ。そこから、歩いてノイエ・ピナコテーク美術館へ。展示ももちろん面白いのだが、建築もなかなか良い。スロープと中庭。吹き抜けが効果的に作られ、特筆すべきは、建築と展示がいったいとなっていることである。動線を回ると中央にハイライトの展示が置いてある。そこには自然光が劇的に取り入れられたりしている。ミュージアムショプで買い物をした後、近くの建築専門書店へ。ここは、ヨーロッパでも、有数の建築専門書店である。その奥が、建築ギャラリーとなっていいて1ケごとに展示が異なる。2001年には、ここで、僕の展覧会が開かれた。書店の人に話をすると彼女は、僕のことを覚えていてくれた。

そこから、近くのトルコ料理店へ。ここは、以前、展覧会の準備のため大学の研究室の学生とセッティングをしていたときによく食べにきたところである。味は変わらずに安くておいしい。昼食後、旧市街を歩く市役所、バイエルン歌劇場などを見た後、タクシーで予約していた、日本食レストランへ。親友のピーター、奥さんのマリア、息子のマーティンを招待していて、食事を楽しむ。

寿司がおいしかった。かなり、日本酒を飲んだこともあり酔う。ピーター達とは、昔の話で盛り上がる。私とピーターとの出会いは、クエートで、そこで一緒に仕事をしていた。

その後マーティンが、僕の事務所で働いていたこともあり、一緒にヨーロッパのコンペをやったりしている。彼との共同で行った、チェコの、ブルノのコンペは、首尾よく勝ったのだがその後残念ながら中止になってしまった。深夜、奥さんのマリアの運転でホテルまで送ってもらう。マリアも相当飲んでいたはずだが、かなり酒に強いのだ。

4月1日

午後空港へ、チェックイン後、ショッピング。15時30分ミュンヘン発。

4月2日

10時30分過ぎに成田着。事務所の車が迎えに来てくれていて、事務所に直行。

溜まった仕事、メール、郵便物を整理。

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