出張日記

2007年


8月16日

UA884便で成田空港を14時に出発。シカゴに同日、11時着。タクシーでPalmer House Hiltonへ。ツインを申し込んだにも関わらず、セミダブル。レセプションで抗議。結局、同料金でセミスイート・ルームに変更してもらう。部屋で仮眠、16時45分に堀越夫婦、子息と1階ロビーで会う。17時30分発のGreyhound Busでマディソンへ。このバス会社は、アメリカ国内全土を走っている。極めて安いバス。シカゴ―マデイソン間は往復で50$。マディソン到着後、Holiday Inn Expressに宿泊。


8月17日

7時、レンタカー Hertzへ。車を借り、一路Taliesin Eastへ。受付でシカゴの友人の建築家Neil Frankelさんが予め上層部に連絡してくれていたおかげで内部撮影が可能となる。9時ツアーのスタート。ガイドとツアー参加者20人程がバスに乗り込み、ライト家のチャペルへ。フランク・ロイド・ライトの祖父母はウェールズからアメリカに移民をし、この地に植民したのであった。チャペルの横にはライト家の墓がある。中央正面に祖父母、手前に両親の墓がある。その脇には、ライトの第2婦人の墓がある。墓石の高さはライトの身長と同じそうだ。


その墓は婦人の死後ライトが木を植えたもの。木は、大きく育ち、木の足元に婦人のプレートが据えつけられている。


その近くにライトの墓がある。この墓はライトが遺言で望んだ場所だそうだ。良く知られているようにライトの第二夫人は、有名なチェーニー邸の夫人。つまり施主の夫人。この夫人とライトは妻や幼い子供達を残したまま、駆け落ちしてしまう。

墓を後にしてバスでタリアセン・スタジオへ。
2つのボリュームを2階のブリッジがつないでいる。ブリッジ脇の玄関を入ってブリッジを右側に渡るとスタジオ。スタジオは大木造架構の空間。木造の三角トラスが20mもあろうかと思うほどの巨大な架構を可能にしている。これらの三角トラス梁をトラスの端部が床まで下がり逆三角形の三角形の柱が受けている。そのため、柱と梁が一体のデザインとして作られているので空間全体が三角形によって包まれる感覚がある。

梁の上部は、トップライトになっている。今でもそこでは、スタッフ達が仕事を続けていている。全員自然光の元で仕事をしていて電気照明は使われてない。梁下から床までの寸法が大スパンにしては、驚くほど小さい。しかし意外とこれは、安心感がある。三角形を除けば日本の民家を思わせる。高山の住宅のように梁下は低くしかしそこから上部の木造架構ははるかに高くつくられている。上部から入る光の取り入れ方は、まさに日本の民家そのものだ。このような空間は日本以外に見当たらない。

 


外観は、更にダイナミックで自然光を取り入れるための斜めの屋根が一方的に連続しながら空に突き出したようになっている。

スタジオの手前の階段を下りるとスタジオとは異なり天井の高い吹抜空間になっている。屋根の架構は通常の切妻で頂部の稜線の片側がトップライトになっている。

 

そこは展示室になっていてブロードエーカー・シティの巨大な模型が壁に貼られている。空間の途中階がメザニン(中2階)になっている。切妻の屋根は、端部で入母屋になっている。その架構は天井に露出しているが、日本の寺院の平行垂木のデザインでここにも日本の空間の影響を感じる。


ライトは、否定しているが、この架構は日本建築の架構そのものである。そこから直接、外の庭に出ることが出来る。そこの芝生はスタジオの壁面まで続いている。

最初上がって来たブリッジの反対側はラウンジになっている。ここは、ライトとスタッフのための空間で周囲にソファが置いてあり、コーナーにはピアノが置いてる。四隅に石積みの柱が置かれ、リラックスのための空間になっている。

空間は、二層吹き抜けになっている。中間階は居間に対して45°振られた吹き抜けである。その上部を全体を覆う方形の天井が覆う。

構造が面白い。この中間階を支える柱は独立柱になっていて居間の四隅の内側に立っている。一方で全体の屋根を支える柱は、部屋の四隅に石積みのコア壁のように作られている。そのため、中間階は全体を包み込む表皮の構造らは独立している。

 

四隅の壁柱から立ち上る方形の天井を作る垂木は居間の正方形の平面の辺に直角方向に上昇する。それらの垂木は方形の稜線でジョイントされる。これらも日本の平行垂木を見るようで面白い。


それにしてもライトの建築には線が異常に多く使われる。これは、紛れもなく日本建築だ。かつて来日したコルビュジェが日本建築に全く興味を示さなかったようだ。曰く「線が多すぎる」。

更に特筆すべきは中2階が外壁に接するところは吹抜けになっている。この外壁は全面ガラスになっている。それは十分に自然光を内部に導きいれるためである。

この空間はシンドラー設計のハウ邸の空間そのものだ。シンドラーは更にこの空間をヨーロッパ流に洗練させたものにしている。このラウンジの壁の一面に三角形状空けられた部分がある。そこを除くと吹き抜けになっていて、そこは食堂である。

この三角形は食堂の屋根の形がそのまま現れたもので頂部には日本レンガのようなものが付いている。壁の両側に作られた照明が見ものでライト特有の構成主義者ドゥースブルグ風のヨーロッパ構成主義的なデザインである。

 

食堂棟の外壁は格子状の柱梁の面構造になっているようにも見える。
食堂棟につながってホール棟がある。ここへは低い屋根のホワイエから入る。


ホワイエはかなりゆるやかな勾配の切妻屋根で中央に構造に見せかけた2本の板が空間の中央天井をダイナミックに平行して走る。そしてライト風なのは、片側に更に天井の低い平らな天井が切妻の天井に平行して走ることである。
そこから、劇場ホールに下る。そのホール空間は地下に沈んでいくように席のひな壇がステージ側に下りている。ステージは三角形で2辺に客席が面している。

 

これらの客席は下段と上段になっている。おまけに屋根架構が複雑にデザインされているので濃密な空間が作られている。先程入って来た低い天井のホワイエとブルータルなこのホールの内部空間の対比が見事であり、空間の天才ライトの本領が完全に隅々まで行き渡っている。スタジオ前の芝生ははるか向こうの丘まで連続している。そこには、有名なロミオとジュリエットの塔が立っている。ロミオの方は、鋭角の三角形のタワーで、ジュリエットの方はやや低く八角形の筒状になっていて帽子をかぶったような形になっている。よく見ると男性と女性の形を思わせそれらの2体が抱き合っているようにして見るのがユーモラスである。この塔の頂部には風車がつくられウォーターポンプになっていたとのことである。そこを上がり切り裏側に下がっていくと小さな家がある。これは、妹の家であり、外壁全体がシングル葺きになっている。

 

そこからはゆるやかな下りの広大なランドスケープになっている。はるか向こうの丘の上にライトの自邸が見える。ゆるやかな斜面を降り、右に折れ曲がり、しばらく進むと農場が見える。ここでは牛、にわとりなどが飼育されていた。

ライトは農業をよく理解したようでこのタリアセンでは、自給自足の生活を目指していた。ここで生まれ育ちシカゴに出て、様々なスキャンダルの末、都会に嫌気がさし、世間の目から逃れるようにし、再びここに戻りこの地に理想郷を求めたのである。面白いのは牛でいえば、白いホルスタインや黒い牛は駄目で、茶色の牛だけをそして、鶏も自然の中ではその容姿が調和しないとライトは考えていた。農場は手前にシリンダー状の石積みに切妻の屋根が載ったシンボリックなモニュメントがゲートを作っている。


その横を入っていくと飼育場や食料庫棟に入っていく。これは、奥に長い切妻がはるか向こうまで連続している。この外観は、壁、屋根も赤い色に塗られている。これは、やや不思議でライト流の自然との調和の表現なのだろうか。横に長い連続した壁面に対立するように円形のサイロと切妻屋根が直角に上部に高く突き出していてダイナミックな立面を構成して手前の芝生斜面の上に堂々とした立面を作り出している。そこからしばらく歩いていくと丘の上にライトの自邸が建っている。丘の下の方からアプローチする。
テラス側に出る。そこにはライト邸のリビングになっていて、テラスはそのリビングに連続している。

 


そこからL字型に続くデザインされた庭や両側の宿舎に挟まれた中庭を歩く。L字型の建築がライトの自邸である。L字型の左側の部分はこの下のレベルの車のアプローチへ降りる階段で住居と大きな空間の居間に入ることができる。車寄せは大きな庇に覆われている。


切妻の頂部の稜線は中央ではなく北側にずらされている。そのため、南側の天井面が大きく、北側の天井面は小さい。北側の開口が大きくとれて、その面がガラス面になっているため、北からの自然光が十分に入ってくる。実は、当初は南地にたして左右対称だったのが、ライトが自分の建築スタジオをここに作り、その時、北側の開口を大きくするために屋根を作り直したとのこと。リビングの奥には、半階ほど上がったバルコニーが設けられ、ここにピアノが置かれていた。ライトはピアノの名手だったようだ。南側奥に暖炉が作られ、その上部にはライトの母アンナの肖像画が飾られている。その奥は、極端に天井の低い細長い部屋が続いている。

 


ここタリアセンは外観よりも内観つまり空間の作られ方が圧倒的に素晴らしい。外部に関していえば、外観というよりも自然と建築の交わり方の方が素晴らしい。ランドスケープと建築が一体化していて、ランドスケープも建築の一部なのである。逆の言い方も出来る。L字型のウイングの東側は住居になっていて、西側に伸びるのがかつてスタッフ達が住んでいた棟。斜面に突き出したように作られているのがライトの住居棟のリビング。天井の低い玄関を入り、左側に折れると大きなリビング。L字型の角が外部に面しているため、ここからの景色は、抜群なのだ。角はコーナーウィンドーになっている。壁面中央に暖炉が設けられそこを中心に空間が展開していく。

 

リビングの一角がニッチになっていてそこから、細長い壁手すりのついたバルコニーが下り、斜面に大きく突き出している。リビングから続いて寝室、ダイニング、ティールーム等、様々に部屋が並んでいる。一番奥は、ライトが集めたコレクションが展示された部屋でそこは最初に我々が入って来た丘の上のテラスになっている。日本の絵画部屋は、やや過剰とも思えるほどの様々な装飾にあふれている。このことが、ライトがヨーロッパ近代建築史の中で高い評価を得られなかった理由とも言われる。このツアーを終えた後、ビジター・センターに戻りランチ。その後、マディソン市内に戻り、ユニタリアン協会に行く。運良く内部に入れてもらう。

 

更にマディソンのバスターミナルに行き、Greyhound BusでMilwarky からシカゴへ。ホテルに戻ったのは、深夜。


8月18日

起床後、電車でOak Parkへ。到着後、駅からまっすぐ、Wright Foundation へ。
ここは、元々ライトの自邸、スタジオがあったところ。前回1983年に来た時に比べると随分と観光化したように見える。しかも、建物もきれいに修復されたが、最初に来た時程、インパクトを受けない。人が多すぎる。最初に来た時は緑の中にひっそりとたたずんでいたように覚えている。

内部はツアーに参加しないと見学できないので午後2時からのツアーを予約する。それまで近くのライトの建物を見て回る。極めて初期の住宅はサリバン時代に設計したものと思われる。あくまでも習作であると考え方が良さそうである。特にどうってことない。


しかし、ハートレー邸は見応えがある。シンメトリーを保ち、中央正面にエントランスがある。エントランスに至る手前に階段を階段上がった。基壇がある。この建築では、ライトの特徴でもある水平線が十分に強調されている。赤いレンガもライトの住宅には良く見られるものである。


自邸に戻り、ツアー・スタート。

 

ライトの自邸は増築を重ねている。第一期時代の玄関から入る。
住宅部門を見た後、アトリエ棟へ。

ツアーを終えた後、私が好きなユニティ教会へ。この建築は平面の明快さもさることながら何と言っても協会の内部空間。とにかく周囲のバルコニー席の複雑なレベルが見事に解決されているので空間も緊張感がある。
照明器具と天井のトップライトも素晴らしい。格天井は日本的なのだが、しかし考えてみれば、線をこれだけ多用すると逆に日本的になってしまうのだろう。

 

そこから、タクシーをチャーターしてリバー・フォレストまで足を運ぶ。ウィンズロー邸、クーンレー邸。


夕方、昼食を駅前のレストランでとる。ホテルに戻ったのは、夜の8時。


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