出張日記

2007

10月26日

成田空港11時発。オーストリア航空で、ウィーンへ。15時30分着。驚いたことにまだ、サマータイム。空港ホテルにチェックイン後、Driendl氏に電話。オフィスに行き東京から送られてきた画像をプリントしてもらう。午後7時半ライムント劇場へ。今夜は妻の強い意向でオペラではなくミュージカル「レベッカ」を見る。意外と面白かった。終了後、予約しておいた車でホテルへ戻る。


10月27日

ウィーン発8時30分のオーストリア航空でリヨンへ。空港の隣接は、リヨンのTGV駅がカラトラバのように鳥が両翼を上空に広げたような形をしている。内部に行って驚いたのは、ほとんど使われていないこと。エスカレーターも動かず、カフェも用いてなく人もほとんどいない。見かける人々は、駐車場から空港に入る人々。それにしても極端な造形。

リヨンのTGV駅

この手の建築は、面白いのだがそれ以上のコメントが難しい。リヨン空港でレンタカーを借り、一路フィルミニへ。道は分かりやすかった。時間にして1時間ちょっと。高速を降り、一般道に入り地元の人々に道を聞き進んで行くと最近完成したコルビュジェのフィルミニ教会が見えている。チケットは、青少年会館から始まる。チケットは、青少年会館、競技場とスタンド、そして教会を見るコースとなっている。青少年会館の内部には、コルビュジェのスケッチ、模型、ドローイングが展示されている部屋とコルビュジェに関する映画を上映しているホールが設置されていて、そこからツアーのコースが始まる。建物は、断面が逆V型になっていて、グランド側のほうが、傾斜が強いがそのまま壁としては、現れない。展示室では、3層のレベルの床が斜めの壁に載せられている。一方、シアターの方は、斜めの壁の角度で座席が、置かれているためかなりきつい勾配になっている。そこから、グランドに降りて、スタンドに行き、上がり切ると、眼前に教会が広がる。信者はスタンドから向かって右側の湾曲したスロープを上がることになる。湾曲したスロープは、ハーバードのカーペンターセンターやストラスブルグノ会議場インド・アーメダバットの繊維会館でも馴染みのものである。外観はとんがり帽子の先を斜めにカットしたような形の礼拝堂が正方形のヴォリュームの上に載った形をしている。四角は、上部に行くにしたがって丸められていく。これは、イスラムでも良く見る形である。この上のヴォリュームの周りをスパイラル状に帯のようなものが巻きついている。この形は特徴的である。これは、内部に光を取り入れるもので、内部に入ると4面に光が入るようになっている。4面とも色が異なる。そこから裏側に回ると(これが、車でアプローチする場合は正面となる)スロープが建物に取り付く部分の造形が圧倒的に優れている。遠方から見るとヴォリュームのコンポジション(構成)は、美しい。その部分には、シャンディガールの議事堂正面やショーダン邸のエレメントが感じられる。


フィルミニ教会外観写真

  
内観写真

  

午後3時半過ぎには、フィルミニを出て空港まで戻り、車を戻しリヨン市内へバスで。ホテルにチェックイン後、J・ヌーベルのオペラ座へ。今日のプログラムは、オペラ、ワグナーの「ジークフリート」。しかし、開園は18時30分と早かった。ワグナーは、時間がかかるので、早かったのだろう。内部をみて回る。ヴォリュームが空中に浮かんでいるのは、紛れも無いヌーベル・デザイン。このヴォリュームの構成は、第2国立劇場で彼がよりダイナミックな空間にして作りたかったもの。これができたら、第2国立劇場のオペラハウスも世界に誇れるものになったであろう。外にでて、ホテルで紹介されたレストランへ。リヨンは、フランス第1のグルメの町。さすがにうまい。このレストランは、カジュアルなもので、地元の人々で込み合っていた。こういうレストランが一番うまい。


J・ヌーベルのオペラ座


リヨンでのディナー




10月28日

ホテルを出て、旧市街からケーブルカーで上部の町へ。帰りの中間の駅で降り、ローマ時代の遺跡へ。とくにどうということもないケーブルカーで、麓の駅まで下り、そこから別のラインで、教会へ。特に興味を持てるものは無い。旧市街に行き、通りを歩くが両側は土産物屋が建ち並び、興ざめ。両側に所々に中庭へ通ずる細長い通路があるが、ほとんど閉じていて、ここは、行く価値はない。ガイドブックや町で買った本によるとこれらの中庭は、面白そうなスペースの写真に興味をそそられたが実際に見られたのは、3箇所でどれもつまらないものばかり。空港に早めに行くチェックインしようとするとオーバーブッキングのため、フランクフルト経由で行ってくれとの話に憤慨する。午後9時40分着がフランクフルト経由だと午後11時10分とのこと。「ふざけるな」と怒りまくり、本来の搭乗券を獲得する。日本人は文句を言わない民族と言われ、こういう場合、必ず、日本人に回ってくるので要注意。日本的な性格の良さは、仇となる。午後9時40分ウィーン着。そのまま空港前のホテルにチェックイン。

 
リヨンのゴシック教会              地中に埋まった美術館



10月29日

空港で明日のザグレブ行きをチェックイン。ポストオフィスで東京にFAXを送る。電車で市内へ。サン・ステファンプラザに降り、アルトマン・キューネ(チョコレートショップ):かなり高いがここはヨーロッパ隋一。客層もよく、何しろパッケージが100年前のウィーン工房でつくられていたものをいまだに使用しているのが良い。そこからタクシーでDriendlオフィスへ。かつての研究室の学生であった永岡美恵さんが事務所内を時間をかけて案内してくれる。かつての事務所の奥の建物を購入し、そこに大きな吹抜けや中庭、トップライトをつけて楽しい空間を作り出している。ヨーロッパや最近では、中国の建築家達もこのような贅沢なオフィスを所有していて、彼らが来ると恥ずかしくて事務所を案内できない。午後1時半、Driendlさんの案内でPlecnikの教会へ。極めてモダン。近代建築的という意味。3相バシリカの身廊が2層吹抜け、側廊が2層になっている。2階を作るために大梁が大スパンを飛ばし下部の無柱空間を可能にしている。大梁の上には、列柱が載っている。大梁は両側に身廊に沿ってそれぞれ2本平行に走るように作られている。手前にそれらに直行するように、2本の大梁が同様に走る。それらを抜ける柱は大梁が直行する部分で4本になっていて正方形の上に配置されている。極端に装飾が少なく、その意味では、近代建築的であるが、これは予算のせいでプレチニックらしさが無いといえるかもしれない。アドルフロースは、オットワグナーにとっては、気に入らない学生だったとDriendl氏が説明してくれたが、よく理解できる。その点、プレチニックは、もっともワグナーのデザインを引き継いでいると言える。シンドラーもノイトラもおそらく装飾的なものに反抗していたのかも知れたい。外観は、列柱が立ち並びギリシャの神殿風であるが、柱も外壁も砂利の洗い出しで予算の無さを思わせるがそれがかえって力強いファサードを作り出しているしかし、例外は身廊奥の裁断で金色を巧みに使い、これは、まさに、プレチニックでプラハの教会を思わせるものである。

  
Plecnikの教会

  

そこを跡にDriendlさんの薦めで1965年に完成した教会へ。60年代は、ウィーンでは、近代建築の全盛の時代で70年代に入ると、極めて保守的な、装飾主義の時代となってしまったそうだ。外観はおとなしいのだが、内部空間が圧倒的である。四角のヴォリュームの天井を十字型のトップライトがはしり、それらは壁にまで連続し地面まで連続している。よく見ると4つの構造体からなり、L型の壁に支えられた、片持ちの梁が交差して、一つの独立した構造体を作り、それが4つ合わされ、その結果中央の十字形が作られる。極めてダイナミックな構造である。この時代は丹下健三が代々木のオリンピックのプールを作った時代で、構造主義の全盛時代であった。

  
1965年に完成した教会の外観                                  内部空間

  
十字型のトップライト

  

事務所に戻り、休憩した後スタッフの案内で市内のプレチニックの作品を2つ案内してもらう。共に共通しているのは、窓が平滑な面でなくややつきだして平らな表面を崩そうとしていることと、ファサードに金属を用いた装飾的なものを付け加えていること。しかし、共に商業ビルでファサードだけのデザインで、内部空間には、見るべきものはないので建築の面白さは、味わえない。

  
プレチニックの商業ビル

そこからあるいてDriendl氏がデザインした工事中のアパートのリノベーションを見に。7階建てで、かなり大きなもの。最上階が圧巻で斜めのガラス屋根が屋上を覆うように中央のみの周りにコの字型に作られている。天井も高くコア側は2層になっている。完成が楽しみだ。そこからケルトナー通りを歩き、本屋で「Tropical Architecture」という本を見つけ購入。その後、オペラハウスのアルカディアに立ち寄り、Dreindlオフィスに戻る。そこで網野と永岡さんを加え、ゼツェッションやアン・デア劇場前の通りにDreindlさんがデザインしたレストランへ。ここは、かつて、屋台が立ち並んでいたところ。構造は、網野氏が担当した。彼に直接、木構造の話を聞かせてもらう。料理はアラブ料理あり、トルコ料理あり、オーストリア料理あり、で夜遅くまでわいわい騒ぎながら談笑。午後11時過ぎホテルに戻る。

 
Dreindlさんがデザインしたレストラン



10月30日

朝7時ウィーン発のオーストリア航空でクロアチアのザクレブへ。飛行機が送れ、8時45分着。空港バスで市内へ。駅で明日のクロアチア・リュブリア−ナ行きの電車のチケットを購入。ホテルにチェック後、建築家Njiric氏に電話。スタッフが迎えに来てくれる。そのままNjiric氏の事務所へ。そこに中国から来ていた建築家張雷氏に会い、一緒にNjiricの最近の作品を見せてもらう。いろいろと面白いプロジェクトを野心的に進めている。その後、張雷氏の作品も説明してもらう。彼のデザインは、中国的な伝統を極めて現代風な表現としてまとめている。作品の質も極めて高く関心する。中国の新しい波の代表だろう。今後このような建築家が続々と出てくるだろうと思われる。その後Njiric氏の案内の案内で張氏を交え彼の設計した建物の見学へ。最初の建物は集合住宅。周囲の建物が下品なくらいに様々な色を使っている。それに対するアンチテーゼとして、白で統一したとのこと。次に訪れたのは、やはり集合住宅。現在、ザクレブは、オフィスと住宅の需要が高く建築家は忙しいとのこと。この集合住宅は、建設の最中。いくつかの住宅が絡み合って棟を作っている。それらの棟が彼が通りと呼ぶ中央のオープンスペースの両側に配置されているが、それぞれの棟の形が異なるので単調さは無い。スペインの木板と白いアルミパネルが立面を覆っている。その覆い方がランダムのように見えてそのコントラストが面白い。最後に見たのが幼稚園。ガラス面を多用した物で柱や梁の部分は、紫色に塗られている。それらの紫色は全体として立面にグリッドを作り出し、強いフレームのような役割をしている。内部は、全てガラス張りで部屋同士が見通せる。しかし、彼の意図に反して多くの部屋にカーテンやルーバーが施されて、完全な間仕切りになってしまっている。彼によれば、このような間仕切りの無い空間には、慣れていないためだと言う。そこを後にして、旧市街のレストランへ。アプローチが雰囲気のある半地下のレストランである。ここは、クロアチア料理。強い食前酒で乾杯。クロアチア産の白ワインを飲みながら、クロアチア、中国、日本の建築状況やそれぞれの国の建築家の生活に関して話が弾む。2時間半ほどのランチで終了したのは、午後5時半過ぎ。次はランチディナーだと冗談を言い合いながらその後、クロアチア建築家協会へ。展示が行われていた。特に面白いものではなかった。そこからクロアチアの建築雑誌「Iris」の編集長RUSAN氏を訪問。彼は、自ら事務所を経営し編集や出版は、趣味だと笑っていた。午後7時半そこを後にし、ホテルに戻る。

 
Njiric設計の集合住宅              張雷(左)とNjiric(右)



10月31日

ホテルをチェックアウトした後、中央駅へ。7時50分ザクレブ発のECに乗り、リュブリャーナへ向かう。


ザグレブからリュブリャーナへの途中の風景

一等チケットを買ったが、二等列車と全く同じ車両。不思議だ。二等は込み合っているが、一等はがらがら。それだけのメリットにしては、50%増は大きい。途中、国境の町DOBOVAでパスポートチェックのため、20分ほど停車。この辺がかつての共産主義を思わせる。そういえば、オーストリアとスロバキアの国境もそうだった。スロベニアは、現在経済的にクロアチアより豊からしい。通貨もクロアチアは、クーナという通過をいまだ使っているのに対し、スロベニアは既にユーロになっている。リュブリャーナからは、車で1時間でイタリア国境のトリエステに行くことができる。到着30分前、Njiricに訪れたようにVasaに電話を入れる。彼は、いなくパートナーが出る。17時に電話をし、夜会う約束をする。10時3分にリュブリャーナ駅着。ツーリストインフォメーションでプレチニックに関して聞くと、プレチニック専用のツーリストパンフレットをもらうことができた。これは、プレチニックのリュブリャーナにおける作品21個が全て網羅されていていて、しかも作品の位置を示したマップもついている。アールトもそうだが、建築に対する評価が高いのだ。駅前にある銀行を見る。クラッシクなオーナメントや金属のアタッチメントがついているのがいかにもプレチニックらしい。ホテルまで歩いて荷物を預け、タクシーを呼んでもらう。リュブリャーナ市街地から6kmほど離れたST.Michael教会へ行く。結果的に言うとこれがリュブリャーナで見た建物では一番良かった。シンメントリー建築の中央に2階の教会に至る階段がまっすぐに上がっている。正面には、鐘楼塔がそびえる。その足元をくぐって玄関の扉に至る。1階は住宅になっているようだ.扉は、閉まっていたが、1階の扉をノックすると婦人が出てきて、開けてくれる。中に入ると息を呑むような空間が開ける。教会の空間様式としては見たこと無いものだ。アクセスから中央祭壇に向かっては5列の柱になっている。ユニークなのは屋根全体が切妻屋根でしかも、妻側から入るのではなく、直角に入ることである。左側だけが中二階になっている。そこにパイプオルガンが置かれている。そのためパイプオルガンの音は通常の教会のように背後からくるのではなく、左側から来ることになる。しかも鍵盤は吹抜けに向かって置かれているので、信者は演奏者の顔を見ながら賛美歌を歌うことになる。圧巻なのは柱だ。RCの柱と木造の柱が混じり合ったハイブリット構造なのだ。RCの柱は左右に2本づつの合計4本、残りは木造の柱だ。両方の柱とも表面には塗装でユニークな模様が描かれている。バシリカ教会のように特に強い方向性はないので、空間内部に柱が林立するのはモスクのようである。木造の柱の途中は継がれているが、その部分にはプレチニックスタイルとの柱頭が作られている。正面の祭壇、隅部の懺悔室などの、造作はプレチニックデザインのものである。外観に目を移すと鐘楼塔が教会堂の切妻屋根よりはるかに高く突き出ていてユニークな外観になっている。アプローチ側から見ると1層目は石積みのような表情を持ち、木造建築が載っているのがわかる。外観のデザインもそれを正直に表している。

  
ST.Michael教会の外観              内部空間

そこを出てタクシーで教会、スタジアムと回り墓地へ正面には真っ白い列柱のゲートが控える。このゲートは内部と外部でそれぞれ半円にえぐりとられたような形になっていて、その形に合わせて、列柱が作られている。ゲートをくぐると正面軸線上に葬祭場が建っている。これは中央の最も大きなもので、周囲に小さな葬祭のホールが建てられている。それぞれのデザインは異なっていて様々な形態のものが配置されている。古典的なものから、明らかにオットワグナーのデザインの影響を受けたものまで様々である。
そこに共通するのは細部のデザインで柱頭やモニュメントなどで、その造形力には驚かされる。中にはブランクーシを思わせるようなものまである。バルカン・デザインとでも呼ぼうか。日本人にはミニマリズム的には強いと思われる。よく言えば抽象化のデザイン、悪く言えば造形力の無さがそちらにむかわせるのかも知れない。禁欲的な抽象的なデザインには日本人は圧倒的な力を発揮するのだが、造形を前面に出したものとなるとやはり弱い。最近の傾向はコンピュータ3次元のデザインが大きな流れの一つになっているが、この領域に日本人が食い込むには難しいのかも知れない。


葬祭場

この墓地の後、国立大学図書館、三本橋、市場などを見てまわるが、ただただその造形力に圧倒されていく。しかし、造形は見続けると疲れるし、意外と最初に受けたインパクトに比べると印象に残らない。結局、今日見たプレチニックの作品では空間の構成が明快であるし、空間のデザインの質も高く良かった。午後6時にホテルに戻る。ZagrebのNjiricに紹介された に会うためである。彼らは今年のミース・ファン・デル・ローエ賞を受けたSloveniaの新進気鋭の建築家である。午後6時半ホテルに来る。彼と一緒に外に出て、三本橋近くのレストランへ。ここはSlovenia Food の有名な所だそうだ。Slovenia wineと食事を楽しみながら、Sloveniaの話を聞く。夜10時、ホテルに戻る。戻り際、午前中彼らの建物を案内してもらうことを約束して別れる。


国立大学図書館のファサード           図書館前のランドスケープ



11月1日

朝食、近くのレストランへ。

この建物というよりは土木建築物は 川へ流れる水の量をコントロールする大がかりなもの。上部に河川同士をつなぐブリッジが渡っている。ワグナーのウィーン鉄道もそうだが、このような土木建築物でもきっちりとデザインされているのがヨーロッパ。その点日本は土木後進国。
天候も良く、水の流れも勢いがあって、デザインが映えた。


川の水を止める堰

午前10時約束通り迎えに来る。最初に彼が設計したStudent Dormitoryへ。アルミのパンチング・メタルを外観に用いた極めてモダニズム的な端正な建物。男・女二棟が平行してそこをつなぐ低層の平屋部分が共通のリビングと学習室になっている。それらに挟まれた部分が中庭になっている。中庭の半分は池。残りは芝生とデッキになっているが、それらは全て低層の建物と平行している。デッキにはアルミパンチングメタルのベンチが置かれている。中庭側の低層部分にはガラスが多用されていて1つの大きな空間となっている。デザインはシャープで収まりも良い。
彼ら建築家の話によると、モダニズムには新しい形、提案を行っていく上でまだ無限の可能性が残っている。僕らの世代のようにアンチ・モダニズムの意識はない。
モダニズムは日常化しているのだ。次にローコストの集合住宅を見せてもらう。市街地をはずれた所にある。中央に大きく外部空間をとり、両側に5階建ての住戸棟が左右それぞれ3棟づつ並ぶという単純な構成。表面には茶色のボードが張られている。ボードはビス止めされているが、ビスを隠すのではなく逆にビスを直径7〜8mmのワッシャーを立面、その円盤が印象的なファサードを作っている。
住居形式まで理解できなかったが、新しい。最後に大学の増築案を見せてもらった。既存の建物の上部に鉄骨による増築をしている。全面、縦線のプリントの入ったガラスに覆われているが、それが下部の既存まで処々に侵入しているのが、上と下が分かれていることを壊し、ダイナミックな立面を作っている。何てことはないプログラムだが、表現としては面白い。これは明らかに妹島を思わせる。しかし、一歩そこから出ているのは処々に外部空間を作り出したり、突起させたりと単純な平面を崩していることによる。これは本年のミース・ファン・デル・ローエ賞の受賞作となった。彼らにプレチニックの建物まで送ってもらう。


Student Dormitory


集合住宅

途中、彼から教わった1960〜70年代のスロヴェニア・モダニズムの巨匠による集合住宅を見に行く。もちろん主要構造はRCなのだが、仕上げはレンガになっている。特に面白いのはコーナー部のレンガの処理で、これでもか、これでもか、という位に様々な納まり方を見せてくれる。全体の構成は中央中庭を囲むように棟が並ぶ。それも単純な箱ではなくキャンティレバーあり、上部もカーブありカッティングありの強いブルータルな造形になっている。このあたりは何やらJ・スターリングの一時期の作品を思わせるが、オリジナルなのは郊外や車中から見たスロヴェニアの民家の造形が取り入れられていてリージョナルなデザインになっている。それがこの建築に強さを与えている。

 
スロヴェニア・モダニズムの巨匠による集合住宅

途中ランチのためピザ屋さんに入る。これが旨い。ここはもう、イタリア国境に近い為、(ベニスまで車で2時間位で行ける)イタリアンは本場並みなのだ。午後3時50分の電車でリュブリアーナを出て6時位、ザグレブに着く。
ザグレブの駅前、街中は暗い。スーパーもないと思っていたら、駅前の地下街(important Plaza:名前が面白い)はたくさんの人々でにぎわっていた。
「Important Plaza」とは不思議な名前だが、そこにはマクドナルドあり、レストランあり、バーあり、様々な店舗が並んでいて市民の生活の中心なのだ。それにしても不思議だ。駅前の地上はあんなにも暗いのに地下は明るくてにぎやかで、多くの人々でにぎわっている。
Hotelに戻り、メールを接続し、返事を出したり、夜遅くまで東京の事務所との連絡。



11月2日

午前8時半ザグレブ空港発9時半ウィーン空港着。空港前のホテルに預けていた荷物を受け取り、パッキングし直し再び空港に行きチェックイン。午後2時オーストラリア空港ウィーン空港発。


11月3日

9時前成田着。



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