出張日記

2007年

11月16日

19:00シンガポール航空で成田発。午前1時シンガポール着。

昨日までひどい風邪。おかげで教授会は欠席。大学の講義まで休講にしてしまった。しかも、13:00から黒川紀章氏の葬儀まで出られず、心残り。黒川氏とは、何度か会った。世間の風評とは異なり、意外とストレートで男っぽい人間だというのが実感だった。氏が生前言われていたようにデザインよりは思想が残るというのは賛成できる。20世紀の科学至上主義で進歩を追い求めたの時代ならいざ知らず現代この時代で形のためのデザインなどと言っているのは能天気に思われる日がもう来ている。

それにしてもシンガポール航空SQも随分と堕ちたものだ。僕が昔1980年代の前半に乗っていたSQは他の航空会社とは格段に違った。しかし現在のSQの、Air Grewは乱暴そのもの。Chineseの悪い所丸出し。客層も悪い。荷物の空きスペースが無いので座席前に置いていたら無断で荷物を取り上げ、空きスペースにギュウギュウに詰め込んでいる。たたき付ける様に。中にはコンピューターが入っているのだ。注意したら憮然とした表情でふて腐れて投げつけるようにワードローブに。これでは、最近の中国の航空会社の方がはるかにましだ。

出発直前のトラブルに続き、不快な精神状態をそのまま機内に持ち込んでイライラしているとSQの野蛮さにコンピューターもバックも傷つけられるので散々。機内食がひどい。和食が出るのは、良いのだが、箸がない。そばをフォークで食えるか。数回頼んでも箸はこない。意地でもそばをフォークで食える訳が無い。しかし、並びの4席、後ろを含めて全員が和食だ。何故、こいつらシンガポーリアンは中華を食べないのだ。廻りを見るとっほとんど全員が和食。旨いから食べているとは思えない。和食は、高いしシンガポールでは、ステータスなのだ。日本が貧しかったら誰も和食何かに見向きもしなかったに違いない。この理屈で行くと近い将来、中国のあの奇妙な屋根のった帝冠様式が世界の建築の先端を走ることになるかも知れない。一葉のあーいやだ、いやだの台詞が聞こえてくる。しかし、人間などと言うのは単純なものだ。ひたすら機内で目をつぶり、楽しい、楽しいと自分に言い聞かせると不思議にイライラもどうでも良くなってくる。デザイナーなどというのは、こういう能天気なoptimisticなprofessionなのだ・もう来年は還暦で、しかも事務所設立20年。何か新しいことを真面目に始めなければ。もう20年位しか人生の残りはないのだ。ワインやウォッカなどさんざんに飲みぐでんぐでんの状態でシンガポール空港に午前1時半着。ヨーロッパの空港なら逮捕だ。Airport Hotelに行くと予約していたにも関わらす、部屋は無いとのこと。これがシンガポールの現状だ。しかしながら文句を言い続け、やっと得た部屋がシャワーなしの倉庫部屋みたいなところ。チェックイン後、空港内をうろつく。もう店もほとんど閉まっている。明日は、ベトナムのダナンへ飛ぶ。飛行機は午後2時45分なので久しぶりにじっくりと眠ることにしよう。チェックイン後、シャワーを浴びる。スタンダードルームが取れなく、バジェットルームなのでシャワー、トイレが共同。なかなか寝付けない。隣の部屋で中国人がカラオケ(厳密に言うとアカペラ)。カバンの中から耳栓を見つけ出し、やがて眠りに付く。


11月17日

9時半モーニングコールで起床。耳栓のおかげで何とか眠れた。10時チェックアウト。フードコートの中華で朝粥。旨い。ついでに野菜スープとウーロン茶。健康的な朝食。

11時理髪店へ。髪を短く切ってもらう。シンガポールドルで33ドルだから2500円。安いし、上手だ。ホテルの受付にパソコンの充電を頼んで、パスポートコントロールを通り外を出る。外気に触れる。さすがに熱帯だ。暑い。気持ちが良い。丹下事務所時代、日本の冬期にシンガポールに着いた時の感動を思い出す。20分程度外部のベンチで休む。その後、SQのチケットオフィスで帰りの便の予約をする。再びパスポートコントロールを入り、Enjoy Airport。そんなことが出きるのは、こことドバイが一番。日本の空港など論外。成田が外国人にトランジットを敬遠されるのは当然。シンガポール空港もそうだが、国の管理が隅々まで行き渡っている。もっとも、若いシンガポーリアンにはtoo much control などを不満をもたらすのが。日本は国が大きすぎてout of control なのだ。官僚が自分達の利権だけを追求するあまり、権力を保とうとする。あまりにも多くの権力が複雑化しているから目が届かない。地方分権の必要性とは、そういうことなのだ。カフェのラウンジで2時間ほど仕事をする。14時45分のシンガポール航空でシンガポール発。途中、カンボジアのシェム・リアプでトランジット。全員ラウンジに行かされる。しかし、この変わりようとは、驚くばかりだ。勿論この近くには、あのアンコールワットがある。以前来た時は、1994年。空港ビルと言えるものは無く掘立小屋。今や世界中の酒やチョコが売られている。ラウンジも相当立派になっている。シェム・リアプを離陸してダナンに18時着。ベトナムはシンガポールよりも時差が1時間ほど遅れている。地理的に言えばシンガポールがベトナムよりも1時間遅れなければならない。これは、シンガポールがワールド・マーケットをにらみ、日本時間に近づけているためである。空港には日本人のN氏とベトナムのH氏が迎えに来てくれた。ダナン空港は市の中央にあるため、空港を出るとすぐ市街地へ。チェコのピルゼンビールのレストランへ連れて行かれる。ベトナムの333(バー、バー、バー)を期待していたのだがここはチェコのビール。ダナンの名物料理イカと野菜のボイルしたものを強いヌックエムで食べる。これは、相当に旨い。やはり、ヌックマムはこの位臭くないと本物ではない。

最後に米で作った麺を鍋のスープで食べる料理を頂く。スープの中にはうなぎとなまずの輪切り。うまい。それにしてもこの客の元気の良さはどうだ。パワーに満ち溢れている。日本の30年から40年前のムードだ。成長する国の勢いなのだ。当時ヨーロッパも今の日本と同じで沈み込んでいて英国病など言われた。サッチャーの強力な改革が今の英国の復活をもたらしたのだろう。それに比べて日本のこの暗さはどうだ。前を見るのではなく後ろばかり見て足の引っ張り合いだ。新しいものは生まれないだろう。洗練に走ると動きは止まるものだ。日本は何ら建直し方策を立ててない。このままでは、ジリ貧だ。

レストランを出てHAN河辺を散歩。暑い。対岸の夜景がまぶしいくらいだ。13年前に着た時はネオンなどなかった。このパワフルなアジアから何を西洋にぶつけることができるのだろうか。ホテルの部屋に戻り、下着を洗濯。汗をたっぷりかいた後のバスタブでの洗濯は心地よい。かつて中近東、東南アジア、アフリカに滞在した時はこれが夜の楽しみだった。久しぶりにゆったりとしたバスタブでの洗濯を楽しむ。


11月18日

6時45分起床。7時朝食。7時半にロビーに集合。8時よりクライアントと打合せ。プロジェクトの内容を聞いてやや驚いた。120mの高さを目いっぱい使うこと。各フロアの有効面積1,200?が1ユニット。フロア売り、高級アパート。ロケーションは抜群。

道路をまたいで同じ高さのオフィス・タワー。出きるだけ他と違うユニークなものとの要求される。又中国のようにとにかく案を出せという話かと思いきや、その場で契約書を作り、サインさせられ契約成立。設計料は格段に安いのだが、今時日本でこんな面白いプロジェクトには出会えないだろうと仕事の面白さを優先し、快諾。色々と自分の過去の仕事をパワーポイントで見せていたら、もう一個の仕事も頼まれてしまった。12月10日に中間発表。1月6、7日に最終プレゼンテーションをダナンで行うことになった。早速、敷地を案内される。以前、この町に来たのは1994年だから13年ぶり。もう昔の面影は全く残ってなくHAN河沿いには、高層ビルが建ち始めている。その後、ベトナム料理の昼食。ダナンの名物と言われるムック・ハップが美味しかった。これは、イカのぶつ切りをボイルしたもの。それに野菜をそろえる。これをヌックフムで食べるのだが、美味しい。もう1つ変わった料理が焼き飯というよりは、表面を焦がした飯。それにブン・デン・ラック・ムオグという独特の黒ゴマ、ピーナッツ、塩をあえたものをかけて食べる。これは、絶品。かつて北のハノイは93,94年と30回近く通ったが、これは初めて食べる。それに驚いたのが、フルーツを食べるのに塩と唐辛子をまぶしたものをつけて食べること。しかし、これが意外とうまい。日本でもスイカに塩をそえることは、案外この辺りから伝わったのかもしれない。ピリッとした辛さが意外にフルーツの甘さにあう。その他にも盛りだくさん。そこから南のホイアンに向かう。ホイアンは江戸幕府が鎖国を発令する前に日本人が住み着いた街がある。中央には屋根付きの橋があり、かつての日本人が作ったものだということ。ダナンからの途中にはビーチ沿いに高級リゾートホテルやクラブが連なる。以前1993年に来た時はダナンからホイヤンに向かう道路には農家や田んぼが連なり、片側に砂浜が連なっていた。すさまじい変わりようだ。やがてホイアンに入る。ここでクライアントがプロジェクトを始める予定の敷地を次々と見せられる。ホテルやレストランが道路の両脇に立ち並ぶ様は異様である。日本橋に行くと人また人の波。ラフな格好をしただらしない外国観光客の多さがやたら目につく。安っぽい観光地に成り下がったとがっくり。1993年に来た時には、全体がひっそりとした街で観光客もいたにはいたが、こんなにひどい様ではなかった。両脇の建物は前面が土産物屋で街の風景などあったものではない。おまけに以前、北山恒夫妻や原尚氏らと来た時の印象的なフローティングカフェが完全に消え去ってしまっていた。水没してしまったそうだ。そこから見る日本橋はなかなか美しかったのに。この1週間の大雨で街全体が水浸しになったとの事。市内のホテルは休業している所があった。水の来た跡を見ると1m以上床上浸水。日本橋は比較的高い所にあるが、そこから道が両側に下がっている。しかし、道路の低い部分からじわりじわりと水が迫ってくるのは不気味だ。人々は、ただおびえている。なすすべもない。60年振りの洪水なのだそうだ。CNNを見るとバングラディッシュでも洪水で、1,800人死んだとのニュースがあったがここも無関係ではなかろう。ややがっかりしてホイアンを後にする。もう何の価値もないのではないか。特に建築そのものに見るべきものもない。

17時15分、ホテルに戻る。浴槽に浸り休息。18時45分、1階ロビーで待ち合わせてタクシーでダナンビーチに面したMy Tanhというシーフードレストランへ。ここでも例のイカは出たが、大して旨くなかった。旨かったのは、ハマグリをニンニクスープで煮込んだもの。これは、相当いける。最後に出た魚のぶつ切りがそのままに入った、おじやが旨かった。かなりこってりしている。先週は、函館と京都に入る。鯖街道沿いの会席料理がおいしかった。ダナンもうまい。新鮮だし、次から次へとシーフードが出される。ビールで堪能する。ホテルに21時30分に戻る。本日の打合せのドキュメントや名刺の整理。

写真の取捨選択を行う。メールの打ち込み。コンペ案のスタディを行う。又、湯舟につかり久々とゆったりとお湯につかる。安いが快適なホテルだ。ダマスカスのホテルが22ドルだが、ここはオーナーの意向でディスカウントもあり、1泊25ドル。それにしては、部屋もきれいだしNHKも映るし部屋もクリーンで広い。満足しながら眠りにつく。


11月19日

9時、ホテルのロビーに集合。N氏と10時30分近くまでプロジェクトの話を進める。11時ダナン工科大学の学長と面会。来年の1月7日14時〜16時 ダナン工科大学で講演することが決定。及び来年の夏、日本の建築学科の学生とダナン工科大学の建築科の学生間で1週間ほどワークショップを行うことを合意し、内容を詰める。参加者は学長及び建築学科長、環境学科長など。12時まで会議。その後、日本料理店「四季」へ。しようが焼定食を注文。なかなかいける。同席のN氏、H氏はそれぞれ親子丼、ラーメン、餃子を頼む。これも味見させてもうがうまい。驚いた。13時から15時まで昨日、クライアントから見るように言われた敷地4箇所を見学・撮影。その後、博物館へ。ここは、1994年に北山恒夫妻、原尚氏と来たところだ。以前と比べると後部が大きく増築されている。15時30分、ホテルに戻り荷物をピックアップし空港へ。チェックインまで時間があるのでN氏とカフェでハノイプロジェクトの打合せ。16時30分にチェックインし、ラウンジでBoardingまで1時間程、来年の8月ワークショップの案を作成。18時30分ダナン発。


11月20日

8時50分起床。SQのフライトは9時50分発。この時間に起床してもフライトに間に合うのはエアポートホテル(パスポートコントロール内のラウンジ上部)に宿泊しているおかげ。

17時30分、成田着。

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