出張日記

2008年

1月5日

大学で修士設計、学部の卒業設計の指導をした後、成田空港へ。
ANA931便でホーチミンへ。約6時間のフライト。
機中、グラッパを二本買い占める。というのはこのグラッパは
有名なものでなかなか手に入らない。ワンフライトに二本しか置いていないと言う。帰りにも二本しか買えない。そのため行きにも拘わらず買い込む。
23時ホーチミン着。ホーチミン空港のあまりの変わりように驚くことになる。かつてはパスポート・コントロールで長時間待たされたものでその記憶があるのでぜいぜいしながら走って行くと拍子抜け。コントロール・ボックスが横一線に多く並び待っている人がほとんどいない。
聞けば日本のODAで最近完成したとのこと。建物は立派なのだがデザインが
どこか古臭い。もったいない。
空港からタクシーでホテルへ。Chancery suite Hotel。名前の通り全室スーイト・ルーム。模型ボックスを1階レセプションに預けて部屋に。リビングとベッドルームが分かれている。バスルームもしっかりしている。早々と就寝。


1月6日。

8時、ホテルのレストランで朝食。7階にあり、公園に面している。窓が開け放たれていて、自然の風が本当に気持ちが良い。初夏の朝のような気候だ。メニューも豊富。
9時45分、タクシで空港へ。ヴェトナム航空596便でダナンへ。ダナン空港からホテルへの途中フォー(ヴェトナム米麺)の店に立ち寄る。ここは現地の人のお勧めでなかなか旨い。
嘗てハノイで仕事をしていた時には毎朝フォー・ガー(ガーとは鶏のこと)を二杯食べていたものだ。ホテルへ着くとクライアントがいて今日の打ち合わせは明日の朝9時からにしようと言われる。「奥さんもヴェトナムは初めてなのだから今日はホイアンに行こう」とクライアントが言い出し一路ホイアンへ。この辺のフットワーク(?)の良さがヴェトナムなのだ。
ホイアンのヴィッラ・ヴィレッジ・プロジェクトの敷地を見る。前面のビーチも購入したとのこと。敷地はクリークに面したアイランドで中央に池がある。まるでドーナッツの形だ。敷地内で打ち合わせの後ホイアンの街へ。前回11月に来たときは大洪水の後で日本橋の周辺も水に覆われていた。今回は気候もよくゆっくりと街を歩く。ここに最初に来たのは1993年。当時はさほど観光客もいなかったが今は世界有数の観光地で多くの観光客でごった返している。
海外青年協力隊の人にヴェトナム・コーヒーを飲みながらいろいろと現地の話を聞く。
18時にホイアンを出る。ダナン市内のヴェトナム伝統料理店で夕食。ホテルに戻ったあと明日の講演会、プレゼンテーションの準備に追われる。


1月7日

朝食もフォー。8時半ホテル発。

9時よりプレゼンテーション。パワー・ポイントを用いて説明。高さ160メートルの計、画でダナンで最も高い建物になる。ここではきわめて新しい、斬新な提案を行っている。
それは20世紀のデザインのためのデザイン的な発想はなく21世紀のアジアから西側への挑戦状になる筈だ。おおむね好評。映像も気に入られたようだ。その後昼食会。
農村などで正月に食べられる本当のヴェトナム料理とのこと。猪の肉が珍しく味も良かった。その他、山鳩、地鶏なども珍しかった。昼食後、ダナン工科大学へ。講義室へ。学長先生に会う。14時から講演会。終了後ダナン・ビーチに面したレストランへ。ここはヴェトナム戦争が始まったとき最初に米軍が上陸したところだそうだ。木造のこぎれいなレストラン。ここの料理は昼食に比べるとやさしい。但し本格的なヴェトナム料理が好きな人には物足りないだろう。夕食後ホテルに戻り打ち合わせの議事録作成。1月末締め切りの原稿を書く。


1月8日。

8時半、ダナン工科大学のハイ先生が午前中ダナン市内を案内してくれるため
ホテルに来る。タクシーでチャム彫刻博物館へ。前回11月に来たときには毎日雨で
どんよりして陰鬱な印象だったが今日は地元の人も驚く位に最高の天気。彫刻も美しい。
そこからダナンカトリック教会を経てハン市場へ。この雰囲気は15年前と全く変わっていない。その近くの国営のパン屋へ。噂どおりに旨い。フランス人の友人ベルモンさんが
以前ヴェトナムのフランスパンはフランスよりも旨いと言っていたが本当だ。聞けばここでは昔ながらの製法で作っているから旨いのだそうだ。そこから最近ヴェトナムで流行っているカフェに。オ−プンエアの伝統的木造建築がいい雰囲気を作り出し平日の午前にも拘わらず店は混んでいる。ヴェトナム式アイスコーヒーを飲む。これが驚くほど旨い。コンデンスミルクと苦味の強いコーヒーがミックスされた味は独特で癖になる。LONG COFFEEというブランドが旨いと聞き500グラムほど買う。ついでに市場でヴェトナム式のアルミのフィルターを2ケ買う。

ホテルに11時半に戻る。12時からダナン在住で早稲田のOBのYさんたちと昼食会。
ワインを飲みながら最近の早稲田の話で大いに盛り上がる。果ては早稲田の校歌「都の西北」「早稲田の栄光」などを合唱。まさかダナンの街のど真ん中で昼から酔っ払い「都の西北」などを歌うとは夢にも思わなかった。そこから空港へ。ヴェトナム航空でハノイへ。フンさんが迎えに来る。10数年振りだ。途中フンの計らいでハノイの観光名所を通ってくれた。メリアホテルにチェックイン。ここはタイ資本のホテルだがサーヴィスが全くなっていない。黙っていると日本人の場合大体最悪の部屋に回される。最下階の景色も悪い場所。猛烈に抗議をする。こんな時アフリカ、中近東仕込みのタフな交渉術が役に立つ。

結局12階のセミ・スイートに移してくれた。しかしこのホテルは驚くことにインターネットが有料である。この時代五つ星ホテルで有料なところはまず無い。車寄せのスタッフのサーヴィスがまるでなっていない。ここには泊まらないことを勧める。
チェックイン後シルク通りへ行きシルクのパジャマを2セット買い込む。15年前に来たTan Myは昔は良かったが店員の態度がかなり悪い。Khai Silkも同様。
この辺はすっかり観光地でかなりすれっからしで悪質。タクシーでヒルトン・ホテルへ。そこからNさんとオペラハウスの地下のレストランへ。高級インターナショナル料理のレストランである。。味はいい。スタッフのマナーもかなり良い。夕食後オペラハウスのコンサートへ。何と偶然なことに知人の指揮者の本奈徹次氏が今夜ヴェトナム国立交響楽団を指揮するという。Nさんが電話をするとチケットを手配してくれた。受付でチケットを受け取り中へ。ここには以前15年程前に来て以来。リノヴェーションしたらしく内部はずいぶんきれいになった。曲目はブラームスのハンガリア舞曲、リストのピアノ協奏曲2番、ドヴォルザークの新世界。舞台の後半は垂れ幕の内側になっているので音が出てこない。弦楽は良かったが特に新世界ではフルートを除いた金管楽器が不慣れのようであった。しかし
アンコールのシュットラウスはこのオケの18番らしく見違えるように良かった。ヒルトンでタクシーを拾ってホテルへ戻る。


1月9日

9時N氏が来てに朝食。ゆっくりと朝食を楽しむ。タクシーでヴェトナム建築家協会へ。
建築家協会副会長に会う。今年の8月のダナンでの日越学生共同ワークショップへの協力を要請する。快諾してもらえる。しばらく話し込む。ル・イェン前会長によろしくとメッセージを伝えて別れる。その後water puppetのチケットを17時15分に予約する。反対側にあるホ・バン・キエムの中にある玉山祠に行き見学。その後、メトロホール・ホテルの中庭のカフェへ。ここは、1992年,3年、ハノイ・ウエスト・レーク・サービス・アパートメントの設計工事監理をやっていた時に常宿にしていた所。
当時は現在の半分程の規模しかなく、中庭も小さかったが、随分と大きくなり、カフェの雰囲気も良く気持ちいい。夕方までお茶を楽しむ。17時、Water Pnppet劇場へ。15年前に比べると随分きれいになった。出しものは変わらないが、人形も豪華になった。19時レストランへ。かつての施主マダム・ゴーの長男、スタンリーがハノイで事業を展開している。今夜は、彼の招待で高級レストラン。ワインセラーがあってボルドーの高級ものがずらりと並んでいる。ハノイでは、15年前に比べると高級レストランも増え、ヴェトナム人の金持ち階級も増えたそうである。確かに周囲を見渡すと欧米の外国人もチラホラと見かけるが、裕福そうなヴェトナム人が多い。
 基本はヴェトナム料理。ワインとヴェトナム料理は赤でも白でも料理に合わせるととても旨い。夜遅くまで続き、ホテルに戻ったのは深夜。


1月10日

9時、N氏が来て朝食。そこからハノイ・タワー横の旧刑務所博物館へ。現在のハノイ・タワーの敷地は、もともと刑務所があった所。この刑務所は、フランスが植民地統治時代に作ったもの。当時の反体制者をここに収容していた。その後、アメリカとのヴェトナム戦争に入るとアメリカ空軍の空爆がハノイ人を襲った。その時、撃ち落されたアメリカの空軍パイロットがここに収容された。当時のアメリカ人捕虜達は、ここをハノイ・ヒルトンと呼んでいたことは、良く知られている。1980年末にドイモイ開放策により、やがてアメリカとの国交が必要と感じたベトナム政府はこの刑務所を取り壊すことを決めた。
アメリカ兵で帰国しなかった家族が、ハノイ・ヒルトンに収容されているとアメリカ政府に訴え、やがてベトナム政府の働きかけで取り壊されることとなった。
私達は、このハノイ・タワーの基本設計を行った。その時ベトナム政府に働きかけて、この刑務所の正門とその両側に続く壁及び、そこに面する内部の保存を提案し、受け入れられ、提案したのが現実に実現されているものである。博物館内部に入ると昔完全に保存されていた刑務所を調査した時のことが強く思い出された。展示は、当時の様子を良く伝えていると思われた。
そこを出て、ホーチミン廟へ。思ったよりも空いていた。物々しい白い軍服の警備兵の姿は昔と変わらない。ホーチミンの遺体を回る。正面から頭を垂れる。その近くのホーチミン旧居。この住宅は好きな住宅の1つ。夏を主とした開放型住宅、2階は完全なオープン・リビング。冬場は2階に住んでいたのだろう。周囲は果樹園。ホーチミンはかつて、貧しい人々にここで取れた果物を分けていたという。そこからホーチミン博物館によりかつての科挙を教育した大学授に行く。全く変わってない。12時半、ベトナム人しか行かないような本物のベトナム料理店へ。一昨夜ハノイオペラハウスでコンサートの折指揮した本名徹次さんに出会った。その本名さんがベトナム料理店に昼食を招待してくれたのである。
ヴェトナム交響楽団のプロデューサー、コンサート・マスター、楽団員数名も同席。ここのメニューは面白かった。本物のヴェトナム料理ばかり。特に子熊全身が入った酒はびっくり。野菜中心のメニューは、やはりヴェトナム風だ。団員を交え話を楽しんだ後、タクシーで一路空港へ。途中、N氏が進めているソン・ホン河畔の開発プロジェクトの敷地を見る。広大な敷地。空港には5時に着く。予約は7時だったが、首尾よく5時半のフライトに乗れる。ハノイからホーチミンまでは、約2時間。7時半着。タクシーでホテルLegendへ。ここは日本人経営のホテル。エグゼクティブ・フロアーはなかなか快適。


1月11日

9時半、1階のカフェで朝食。その後、サイゴン河を見下ろすフロアーラウンジで過ごす。このフロアーはお勧め。軽い昼食もここで済ますことができる。午後、部屋でメール送信。夕方、タクシーでドンコイ通りへ。土産物を買い込む。それにしても15年前に比べると当時の面影はまるで無い。きれいなヨーロッパ風のショップが並ぶ。夜7時半、ホテルの日本食レストランへ。ここの日本食は安くないが味は、ヴェトナム一番とのこと。


1月12日

終日、ホテル室内で過ごす。正午チェックアウトの予定を6時間延長。6時過ぎにチェックアウトし、そのままラウンジでワイン、軽食で夕食。夜8時ホテル発。11時ホーチミン空港発。1月13日、7時半成田空港着。

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