出張日記

2008年


6月5日

ANA成田発11時30分、パリ着16時40分

パリCDG第一ターミナルは本当になつかしい。かつて丹下事務所がパリに事務所があった頃、そこを基点にイタリア、中近東、アフリカの仕事をしていたが、当時(1977〜1983)CDG(シャルル・ド・ゴール)空港は、第一ターミナルしかなかった。中央の円形のセンタービルから地下道で放射状にサブ・ターミナルが周囲に作られている。センターとサブ・ターミナルを長い自動通路がつないでいるがそれは、大きく上下する弓形の断面をしたユニークな空間になっている。

かつてアフリカのナイジェリアに2、3ヶ月滞在して夜行便で早朝、この空港に着き、このチューブ内を通る時、パリへ戻って来たという嬉しさがこみ上げてきたものだ。現在では第2、第3ターミナルと出来、エアー・フランスや先進国の空港会社はそちらに移り、第1ターミナルは昔に比べると華やかさも無くなり雑然とした感じ。第2ターミナルへシャトル・トレインで移動しエアー・フランス18時25分パリ発で19時30分ボルドー空港着。空港でレンタカーを借り、市内のホテルへ。チェックイン後ホテルのレストランで夕食。明日からのワイン・シャトー巡りの予定を確認する。

6月6日

朝食後、ホテルを8時に出て10時にサンテミリオンのChateau Fougeres へ。

我々3人(原尚氏と家内)だけのツアーでも丁寧に案内してくれた。ぶどう畑、粒子をつぶして最初の2,3ヶ月間、醸造する。そこからバルク(樽)に移し、そこでじっくりと寝かせる。シャトーによって異なるが14〜24ヶ月程が多いとのこと。気温は12度位と寒く、湿度は80%と高い。1つのバルクから300本程のワインが出来るそうだ。ボルドー全体のワインを作るぶどうの酒類は、ほぼ4種類でそれらをブレンドする。シャトーを訪れると必ずそれらのぶどうの割合が説明される。主にカベルネ・ソヴィニヨン、次いでメルロー、この2つが大半を占め残りの10数%がカベルネ・フランそして10%以下のプティ・ヴェルドが加わるそうだ。
実は、このワイナリーはサンテミリオンのボーダーよりやや外にある。ぶどう畑はサンテミリオンにあるのだが、今後はサンテミリオンの名前が付けられないので、現在、境界道路の反対側にマリオ・ボッタの設計でワイナリーを作るための工事が行われている。最後にテイスティングをさせてくれる。驚くべきことに我々3人のために2004年と2005年のChateau Fougeres をあけてくれて試飲させてくれた。色といい、香りといい又、味も言うまでもなく美味である。帰りの際に、2001年を120ユーロ(約2万円近く)で1本購入。


マリオ・ボッタの設計でワイナリー        テイスティングの様子

そこを去り、ドルドーニュ河を超え、高速に乗り、やがてボルドー市内に入る。
ボルドー市内には大きなガロンヌ河を渡って入る。
ボルドーはかつてパリがナチスに占領された時にはフランス共和国の首都だったこともあり、長い歴史と繁栄を誇った大きな街である。ガロンヌ河沿いには豪華な建物が並ぶ。そこから環状線にのり一路、北のメドック地方を目指す。PaulliacのChateau Batilleに午後1時30分に着く。全てのChateauはあらかじめ電話とメールで予約を取っておいたこともあり、快く受け入れてくれた。Chateauは、なかなか立派でその前面に広がる庭園も広大で美しい。オーナーはボルドーに住んでいてV.I.Pを招いた宴会などに用いられているとのこと。ワインの貯蔵所は普通だが、樽作りをしている工房が古い木造建築でいわゆる洋風小屋組の大梁(しかも下部にテンションが着いている)が作る大空間は見応えがある。


工房が古い木造建築

ワインを醸成するのは、最近はどこもステンレスのホーローで科学的に温度コントロールされているがここも例外ではない。ここで、驚かされたのは、オーナーの個人用ワイン・セーラーで1880年位のものからずらりと年代ものが並んでいるのに圧倒された。テイスティングは木造のリビング風の所で十分楽しめる。Chateau Batille 2001を購入する。1本40ユーロ(6,500円)で安い。


ワインセーラー1880年位の年代ものがたくさんある ステンレスのホーロー製

そこを去りポイヤックから南下する。途中Chateau Houguevilleに立ち寄り外部を見て回る。15時30分にChateau Palmer着。ここでもChateau Palmer 2004年(1本135ユーロ)を購入。見学後、ボルドー市に戻り環状線にのりコールハース設計のボルドーの家を見学に。OMAのOleがアポイントメントを取ってくれたおかげでゲートを開けてくれた。前回来た時は予約が無かったので入れなくて断念した所。丘の上の見晴らしの良い所に達ている。リビングは住宅の2階になっていて上部の丘に連続している。1階のアプローチはリビングの丘よりも1層低くなったかつての丘の下に作られ周囲は壁に囲まれた中庭になっている。ここのご主人は昨年亡くなったそうだ。1階のホールで待っているとニコニコしながら婦人が下りてきた。この婦人がオーナー婦人である。まず設計者を選ぶまでの経緯を話してくれた。世界中から建築家をリストアップし当初、日本からは、篠原一男、長谷川逸子、安藤忠雄もリストに入っていたそうだ。リビングには妹島和世がデザインしたテーブルと椅子が置いてある。婦人は、得意そうに3つのテーブルがバラバラも又一体化にしても使えることを家具を移動させながら説明してくれた。そこは、キッチンスペースで妹島の家具は、朝食や日常の食事に使われているようだ。正面奥は、上下に昇降するステージになっている。たまたまメンテナンスで工事中だったが、オーナーがわざわざ動かしてくれた。

このステージは亡くなった車椅子のご主人が用いたもので4畳半程の広さがあり、主人の書斎になっていた。そのためステージのたて穴の壁は本棚になっている。1階から3階までどこでも仕事が出来るようになっているのは、勿論車椅子の主人のためだが、このアイディアは一般の住宅でも使えるものだ。この上下に移動する書斎をレムは、コックピットと呼んでいる。ここの主人は大きな交通事故で奇跡的に助かり、そのため車椅子に頼るようになった。脇の階段を上がっていくとリビングになっている。リビングの中央はステージの上下移動のためのヴォイドスペースになっている。ステージがこの階に止まるとガラスの手すりは下部に収められリビングの一部となる。因みに3階は寝室、バス、トイレと小リビングになっているが、ステージがこの階に止まるとそれまで手すりとして立ち上がっていた鉄板が軸回転しながら床にぴったりおさまるようになっている。2階リビングの丘側の大ガラス面は、外部に引いて全面開放となりリビングと芝生の丘が連続した空間となる。外部に引くためにレールが屋外まで伸びている。

3階は実は、2つのヴォリュームから成る。主寝室棟と子供達の棟である。外壁は連続しているが2枚の壁の内側はこれらの2つのヴォリュームから成り両者は完全に断ち切られているのが分かる。主寝室は大きなテラスに面している、反対の洗面台は長いアクリル・カウンターになっている。これは倉俣史朗のデザインだそうである。 バラの椅子のように配管がアクリルに埋め込まれてしまっているのがいい。オーナーは得意になって様々な仕掛けを説明してくれる。壁に面したバスタブからは壁に空けられた円い開口を通してガロンヌ河が見えるように作られている。この穴は河が見えるように下部に傾けられて空けられている。この外壁の窓はユニークだ。大人の視点と車椅子の視点と赤ん坊あるいは大人が横になって見る3つのレベルから成る。OMA作品集を見るとこの窓の平面と立面が同時に描かれ光の入り方、内から外への見え方、外観がスタディされているのが分かる。セシル・バルモンドの構造の説明を読むとコの字形の3階の壁・重力を支える子供部屋へ上がるシリンダー、ラーメンの一断面、シリンダーの上に乗っていて3階の壁を吊っているH鋼の大梁、コの字形の壁の浮き上がりを防ぐおもしと5つの要素がアクロバティックに奇妙なバランスを保ちながら構造が成り立っているのが分かる。これらが圧倒的にユニークな外構を作り出している。丘を反対側に下りていくと正面がプールである。ここからガロンヌ河がよく望める。当初のOMAの計画の模型を見ると1階(実は半分は地下になっている)の空間が地面とひだを作りながら複雑に入り組んでいるのが分かる。OMAの建築はあまり好きになれなかったがこの住宅は圧倒的に良い。外観もダイナミックな割には周囲とマッチしているし、何よりも内部空間がよくスタディされていて動き回るのが楽しい。住んでみたい家だ。1時間半程の滞在だったが婦人は本当に親切に案内してくれた。この婦人は大変な日本びいきで娘さんが1年間日本に留学したのだそうだ。




お礼を告げ、一路、北上しジロンド河に沿って半島の北端に近い民宿へ。車で2時間弱。本当の田舎町。何とかたどり着く。ベルを押すと婦人が出てきて案内してくれる。本当の民家なのだ。ご主人はフランス料理店のシェフをしていた人。婦人は高校の教師をしていて今は、民宿に専念している。夫婦は食事を取らず待っていてくれて一緒にディナーを楽しむ。次から次と本場のボルドーワインが提供され、料理も流石に美味しい。コニャックの後、夫婦と話し込む。主人は、英語が苦手でそれでも付き合ってくれる。プレスリーやビートルズやフランス民謡といった具合に歌あり話ありで夜遅くまで楽しむ。

民宿でのディナー



6月7日

8時に朝食。朝食後、主人が作っている農園を案内してもらう。様々な野菜を作っている。あちらこちらにバーベキュー・コーナー、鉄の球を投げる野外コート、野外ディナー・テーブル、野外ティー・コーナーと盛りだくさん。植え込みもきれいに刈り込まれランドスケープも楽しい。そこをあとにして南下する。途中五大シャトーをChateau Lafite-Rothschild外から眺める。広大な庭園とシャトーに圧倒される。11時にChateau Pichon Longueville Cotessa de Lalandeへ。

 

 

 

このシャトーはシャトー・ラトゥールに面している。このシャトーに面する畑は、ラトゥールのものでこのシャトーの葡萄畑はその向こうの飛び地になっている。長い歴史の中で権利が複雑に入り組んでいるのだ。そこから車でポイヤックの街へ。ここは、ジロンド河に面した街で河にはヨットハーバーが連なる。この辺りから上流のドルドーニュ河とガロンヌ河が合流してジロンド河となる。河は恐ろしく濁っている。完全な泥水だ。湖畔のレストランでランチ。ボーイの勧める白ワインで食事を楽しみながらシャトーの話が弾む。ランチ後、南下しやがてボルドーの環境道路から更に下がってグラーヴのChateau Simith-Naut Lafitteへ。女性と話をしたら彼女は以前、Chateau Pichon Longueville Comtessa de Lalandeに勧めていたとのこと。そこのセラーも現代風にデザインされていたがここもなかなかモダン。
 

ここのバルクを全て片付けて大宴会をやることもあるそうだ。

テイスティングは赤と白の両方を出してくれた。白ワインはピーチやプラムの味が入っている。そこで赤ワインと白ワインを1本ずつ購入。結局全部で6本ほど購入。このシャトーでうまい具合にワインが3本ぴったりと納まる木箱を購入する。これがあれば飛行機に荷物をあずけても心配は要らない。しばらく周囲を散歩。そこから車で15分程でJ・ヌーベル設計のSaint James Hotelへ。このホテルは、2005年4月30日〜5月14日の出張日記で紹介しているのでそちらを参照されたい。

 

前回、クローズしていたここのミシュラン2つ星のレストランを予約していたので部屋で荷物を解いた後、レストランに直行。90ユーロのコースをオーダー。ワイン・メニューを見てびっくり。3000ユーロ(50万円)から4000ユーロのワインがずらりと並ぶ。
ここは、ソムリエに相談。
100ユーロの軽めの赤ワインを頼むとニコリとしてサン・ジュリアンのワインを勧めてくれる。「これは、90ユーロでも500ユーロくらいの価値はあるよ」とのこと。さすがに2つ星のソムリエ。ディナー・コースはアペリティフから始まり、最後のスイーツ(20種類全部食べても良い。) チーズ、アイスクリーム、コーヒー、コニャックと続く。安い。




酔いが回ったところで部屋に戻り就寝。長い一日。


6月8日

朝食も昨夜と同じレストラン。朝食後、前面のガロンヌ河沿いにはマンサール式の屋根をのせた3層の同じファサード・デザインの石造りの建築が並ぶ。同じファサードの建物がこれだけ長く達ている例は、パリにもない。その前を市電が走る。この市電は数年前に新しいデザインになったものだ。やや起伏のある街並みを歩いて行く。カテドラルは工事中であったが、見応えはある。ゴシックのリブ・ヴォールトのリブのデザインが面白い。リブの形と屋根の形と天窓の取り合いが面白く見ていて飽きない。この大きな教会で驚くべきことはバシリカが単相なのだ。

平面的なもう1つの大きな特徴は、身廊正面から入るのではなく袖廊から入る。そのためゴシックの正面ファサードも袖廊側に付いている。そのため、パリのノートルダムのように入ると正面に祭壇がある構図とは異なり正面を入ると祭壇は左手側に現れることになる。



ボルドー市内を散策した後、空港に戻りレンタカーを返し、16時ボルドー空港発、

パリCDG空港に17時30分着。タクシーでホテルに行き、部屋でシャワー、着替えを行い休憩後、日本料理店「あい田」へ。

ここは、日本料理店としては初めてミシュラン1つ星を獲得したレストランでオーダーの時に驚かされた。まずメニューは90ユーロ(ステーキコース)と140ユーロと160ユーロのコース3つしかない。値段にも驚かされたがまず味を見ないと何とも言えない。女性は140ユーロは

3人分しかないと言う。仕方なく90ユーロのステーキコースを2人分頼むと160ユーロのコースを取るようにしきりに勧める。何か儲け主義が強く感じられ不快。結局140ユーロのコースを5人前作ってくれることになる。であれば最初からそうすればよいものを160ユーロのコースをしきりに勧めたのは解せない。材料もそれほど多くなく異なる料理に同じスズキが3回出されたのも驚いた。味も日本人から見ればどうってことない。フランス人が決めたミッシュラン、ただそれだけのこと。昨夜のミッシュラン2つ星のSaint Jamesの方がはるかに満足度が大きかった。ミッシュランの審査員にも問題があるが、ミッシュランを楯に料理に見合わない高い値段を付けるレストラン側にも大きな問題がある。日本のパリ在住の会社の接待には、この手のお墨付きが良く効く訳で味は関係ない。値段が高いのと話題性。何か日本人の底の深さが感じられてしまった。不愉快なレストラン。お勧めできない。





6月9日

朝食をゆっくりととる。タクシーでオランジェリー美術館へ。30年も前に来て以来、その変わりように驚いた。オランジェリーとは元々オレンジを育てた温室。暗く精神的に落ち込みがちの冬のヨーロッパではたわわになるオレンジはどれだけ人々の気持ちを明るくしたことだろう。そこの地下にかつてかの有名なモネの水蓮の作品群があった。新しく改装されたオランジェリーは、ガラスの空間の中に2つの楕円体のヴォリューム(水蓮の展示室)が作られエントランス部門も1つのコンクリートの固まりになっている。建築的には新しく面白い。更に地下にも増築がなされている。2時間程、絵を見て楽しむ。これだけの一級品がずらりと並ぶとさすがに疲れる。そこから観光客のようにシャンゼリーゼの並木を歩きグラン・パレへ。「マリー・アントアネット特別展」をやっている。その後、カンペールで靴を買い、スペインのアドルフ・ドミンゲスのパリ支店で買い物。夕食後、ホテルに戻る。

6月10日

朝食後、オデオン座の建築専門書店へ。数冊購入。

そこからタクシーをチャーターしてポワシーのコルビュジェのサヴォワ邸へ。ここは、何度も来ているので特に新しい発見はなかったが、聖地を訪れたような不思議な感覚。

見学後、そこからホテルに戻り荷物をピックアップし、まっすぐCDG空港へ。

20時、パリCDG空港発

6月11日

14時30分成田空港着。

迎えに来ていた事務所の車で大学へ直行。

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