出張日記

2008年

8月24日

成田空港へ向かう。空港のラウンジで古谷誠章、藤本壮介と出会う。
そこでいろいろワークショップの話をしたり、建築の話をしたりして楽しむ。午後6時30分、成田発、午後時11時、ホーチミン空港着。そこからタクシーを拾いホテルへ。ホテルは、ドンゴイ通りのグランドホテルサイゴン。このホテルは、ホーチミン建築家協会が強く推薦したところで、値段も特別に安く手配してくれた。ホーチミンでも最も古いホテルのひとつで植民地時代に作られたものでフランス様式の色が濃く出ている。


8月25日

午前9時に人民委員会へ。領事館の紹介でホーチミンの都市計画局、建築局、特に文化関係の担当官と会う。ホーチミンの文化施設の将来の展望の話を聞く。現在ある、ホーチミンのコンサートホールは、非常に古くなり現在、修復中であるが音響が余り良くなく何とかしたいと相談を持ちかけられる。1時間ほど話す。
そこから人民委員会の紹介でホーチミンコンサートホールの現場へ向かう。そこの館長が親切に案内をしてくれる。
ステージから入るが、館内はハノイと同じフランス様式である。この様にクラシックなコンサートホールは、音楽を楽しむのにも適していると思われる。内観も外観も修復中であるが、音響にはまだ一切手をつけていないとのこと。そこでの見学が終わった後、古谷氏、藤本氏、および新建築の山田氏は、ホーチミンが初めてということでドンゴイ通りを中心に案内する。最初、サイゴン教会へ向かう。丁度午前中で運よく開いていた。外部は、レンガ造りの中々良いデザインであるが、内部は意外とつまらない。
そこを出て隣の中央郵便局へ行く。この建物は、外観はそれ程目立つものではないが、内観はすばらしい。オープンエアーな中央ホールは、天井が高く、ヴォールト天井になっている。そこを郵便局のカウンターが取り囲んでいるのだが、その空間の構成、光の取入れ方はすばらしい。このホーチミンの気候にも実に良く合っていて、中にいると快適な風が入ってくる。そこでしばらく時間を過ごし、やがてドンゴイ通りをショッピングを楽しみながら歩く。私の行き付けの仕立屋へ立ち寄りそこで東京から持ってきたジャケットを渡し、同じようなものを2着ほど作るよう頼む。色は、ベージュと白を選んだ。3日後には出来るとのこと。1着140$である。2着で280$であるからかなり安い。ここは、お勧めで造りも中々良い。そこからホテルに戻り、シャワーを浴び講演会に使う資料等をかばんに入れ、ロビーへ。そこからタクシーでホーチミン建築大学へ向かう。ホーチミン建築大学に着くと正面に我々の講演会を説明する赤い垂れ幕があり、またさらに奥へ進んでいくと我々5人の写真が使われた大きなたて看板があった。すでに受付には、人がいて様々な準備を忙しそうにしている。ホールに入るとまだ、誰も来ていないが、約250席ほどの結構大きな階段状のホールである。大学側に案内されて2階の建築学科の学科長室へ行く。そこでしばらく話をした後、1階のホールに戻ると日本首席領事が着いていた。挨拶をしていると、そこにホーチミン建築大学学長、ホーチミン市建築家協会会長が次々と入ってくる。早速、名詞交換会。しばらくすると、ホーチミンの建築家や学生が次々と入ってきて満員になってしまう。
最初に僕が、今回の講演会の趣旨を説明する。この講演会は、日本・ヴェトナムが国交35周年を記念して開催されるものだと。そして、23日から29日ダナン工科大学で日本から学生が20名ほど参加して、現地の大学生、40名ほどが加わり、5つのチームに分かれてワークショップが既に行われている。既に、ダナンに入っていた千葉学氏が到着。彼もここで公演を行うのだ。僕のスピーチの後、総領事がスピーチを行い、次にホーチミン市建築家協会会長、ホーチミン建築大学学長が次々と挨拶を行う。
その後、ホーチミン市建築家協会より、首席領事、私たち4名に記念品が贈呈される。
公演の最初は、藤本壮介氏。会場を見ると、周囲には、立ち席の人がいっぱいである。1人50分ほど英語でスピーチを行う。次に、千葉学氏、古谷誠章氏、私と公演を行う。公演が終わったのは、午後6時20分。その後、記念写真などを撮る。現地の建築家、学生が次々と我々に寄ってきて、質問攻めをする。
この人達の熱心さはなかなか感動的である。午後6時30分にタクシーを拾い空港へ一直線。
ホーチミン空港発、午後8時。ダナン空港着、午後9時。
ダナンに到着するとN氏、およびダナン工科大学の先生方が向かえに来てくれていた。大学の車を出してくれ、その車でホテルへ向かう。ホテルは、ダナン市中心部のロイヤルホテルである。ダナンのレストランは、おおよそ午後9時なると閉まってしまう。
そこでやむをえなく、近くのダナンの有名な麺類の店に行く。冷房も効いていないなか、汗だくになり、そこの麺を食べる。これは、かなりいける。みんなでビールを飲み、最初のダナンでの食事が始まった。午後11時ホテルに戻りシャワーを浴びて就寝。さすがに疲れた。


8月26日

午前8時に2階のレストランに集合し朝食。ここの朝食は、ヴェトナム料理があるのがありがたい。ヴェトナムの各種の麺や御粥なども豊富である。僕は、御粥を頼んで食べる。

午前9時に大学のバスが迎えに来る。バスに乗り込みワークショップの敷地を見学に行く。今回、敷地はダナン市の5箇所から選ばれた。この5箇所に対して日本とヴェトナムの学生達が混合した5チームがそれぞれ敷地に提案を行う。最初に向かったのは、マーブルマウンテンと呼ばれる場所。ここは、ダナン市の郊外南の地にあり、昔から人々の信仰の場であった。大きな大理石の岩山がありその頂上に寺院がある。現在では、大理石は発掘禁止で遠くから運んでくるそうだが、今でも大理石の工場が数多く点在する。この頂上の寺へ向かうアプローチが階段状に岩にへばりつくようにできている。そこが参道になっているが参道の両脇には、数多くの土産物屋があるが、規制がなかったためかなりバラバラに建てられていて信者、あるいは観光客が進むのに邪魔になっている。

そのため、この参道部分をどのように再開発したらよいかが今回のワークショップの課題だ。現実にこの場所は、ダナン市が同じような開発を考えている所で非常にリアリティのある課題である。周囲をしばらく散策した後、そこから再び市内へ戻る。

市内に戻る途中、ダナンビーチの有名なフラマホテルに立ち寄り見学。このダナンビーチには、現在、ハイヤットリージェンシー、などが建設されていて将来、東南アジアでも有数のリゾート地になるだろう。

そこから向かったのは、市内の中心部にあるハン・マーケットである。

このハン・マーケットは、市民の台所というべきもので様々な食材がところ狭しと並んで市を行っている。現在、2階建の大きなRC造の市場があるが、そこから川に向かった敷地部分をこの大きなRCのビルに連結させようという計画である。

この周囲は、かつてフランス植民地時代に作られたいわゆるコロニアルスタイルの建物がいくつか並び細い間口の高い(といっても4,5階だが)建物が並んでいる。このスケールと合わせ、現在ある町並みの風景を残しながら如何にこの大きなハン・マーケットと連続させていくかということが重要なテーマである。この建物が面する通りは、野外マーケットになっている。そこには、様々な食材、食器、衣類などが売られていて賑やかである。それにしてもヴェトナムの女性のこの勤勉な働きぶりはどうだろう。世界広しといえどもこのヴェトナムの女性ほどよく働く人達はいないだろう。とにかく全員、手を休めることなくいつも動いている。感動的である。

そこから一旦、ホテルへ戻る。昼食をとった後さらに、残り3つの敷地へ向かう。

一つは、ハン川。この川は、ダナン市の中央を流れる大きな川である。この川に面したところに現在、港がある。しかし、この港をダナン市は、撤去する計画でその跡に市民の憩いの公園を作ろうと計画が実際にある。長さ約500m程、幅は、大きいところで50mと広大な敷地だが、この広大な敷地でどのような提案をしていけば市民が楽しめるかという重要なテーマである。

そこから次の敷地、ダナン駅に向かう。この駅は、ホーチミン駅と同じように移転が既に計画されている。この駅は、屋根が曲面状の変わった形だが、残念なことにこれは、比較的最近建てられたものでかつてフランス植民地時代に建てられたクラシックな建物は取り壊されてしまった。しかし、これは写真が残っており当時を知ることができる。プラットフォームの方へ出ると丁度ハノイ行きの急行が出るところである。多くの人が大きな荷物を抱えわいわい騒いでいる。やがて列車が出て行くと同時にまた別の列車が入ってくる。ここの問題は、この広大な敷地にどのようなソフトを提案するか、また鉄道によって分断された東と西をどのように連結するかなど課題がたくさんある。また、駅前中央通りは、現在でも市の重要な道路であるが、この道路との関係も大きな課題である。建築というよりは、都市計画に近い。

そこから大学に向かう途中、最後の敷地、コン・マーケットによる。コン・マーケットは、道路の交差点にL字状にRC造の建物が建てられているが、その後ろにいかにもヴェトナム的なごみごみとしたといってもかなり秩序はしっかりしている店舗が控える。品々は、山高く詰まれ、その間の通路は、わずか7、80cmしかない。その両側にそこの店で女性が、(なぜか男性はいないが)数多く忙しく動いている。

それにしても品物の谷の間を歩くような感じである。よくよく考えて見ると日本のドンキホーテは、このヴェトナムのマーケットをヒントにしたのかもしれない。

大学に午後2時30分に着く。大学に着くとまず、学長の部屋へ挨拶に。しかし残念ながら学長は、留守だった。そこから、今回のワークショップの学生の作業場となる大講義室へ入る。既に学生達は、5つのグループに別れ大きな模型などをつくり、全員汗をかきながら一生懸命にスタディをしている。私たち(古市、古谷、藤本、千葉)は、1チームずつプレゼンテーションを聞き、コメントを行う。各チーム1時間程、ディスカッションを行う。まだ考えは、まとまっていない様だが現地調査は、しっかり行われているようだ。彼らのコンセプトに対して我々がコメントしていく。午後6時30分にワークショップの中間発表が終わり、その後、藤本が1時間程、公演を行う。この公演は、元々予定されていなかったものだが、私たちの講演会(ハノイ、ホーチミン)を学生が聞く機会がないということで突如企画されたもので、昨日は、千葉が公演を行っている。公演が終わった後、質疑応答。学生達は、熱心に質疑を行う。そこから、タクシーで向かい、空港近くのレストラン「チャジオ」へ向かう。特に、ヴェトナム風春巻きの揚げ物がおいしい。十分に夕食を楽しんだ後、ホテルに戻る。


ワークショップのチーム分け                    中間発表の様子

 
中間発表の様子                          講演会風景



8月27日

ホテルで朝食後、大学の車でホイヤンへ向かう。ホテルを午前9時出る。

途中、かつてのヴェトナム戦争時のハンガー格納庫を見る。ここも当初、ワークショップの敷地のひとつと考えていたが、ヴェトナム軍が管理しているため、見学が出来ず、資料も秘密ということで諦めたが、なかなか面白い建物だ。そこを進むと右手に昨日訪れたマーブルマウンテンが現れる。下から見ると余りよく全体が見えないが遠くから見ると全体構成が見えるので30分周囲を見学。再び、ホイヤンへ向かう。ホイヤンへ向かう途中、最近完成したリゾートホテルナムハイへ入る。ナムとは南。ハイとは、海。つまり南海リゾートホテルという意味である。ヴェトナム語である。ここは、バリ島などと同じ中央にプールや水を満々と称え、両側に鳥居などが並ぶ典型的なヴィラ風コテージーが並ぶリゾートホテルだが、グレードが圧倒的に高い。これに比べるとフラマホテルは実に貧しく見えてしまう。聞くとヴィラ1個の宿泊料が1000$つまり10万以上だから驚きだ。それでもプールには、ヨーロッパ人がたくさん泳いでいる。私たちは、案内された屋外のテントに覆われたコーヒーショップに向かう。ここからは、周囲が一望できる。その下を見ると同じようなテントに覆われた朝食スペースが見える。みんなここでゆっくりと朝食を楽しんでいるのだ。聞くとほとんどの人が1〜2週間の滞在とのことである。日本時は、短期滞在型であるが、ヨーロッパ人は、ゆったりと長期間過ごす事が多いのだ。しかし、単純な疑問として、こんな退屈なところでどのように過ごすのかと気になってしまう。

そこを出た後、一路ホイヤンへ。市内に入る手前に日本人墓地がある。何とかやじろべいという人の墓で、ホイヤンの日本人街に住んでいた人である。しかし、江戸幕府の鎖国令により彼らは、日本に帰られなくなってしまった。そのため、多くの日本人が没している。墓参りをした後、ホイヤン市内に入る。3人の建築家、古市、古谷、藤本は様々な空間を見つけては立ち止まり、写真を撮りまくっているのでなかなか前に進まない。N氏も苛々している。国際協力海外協力青年隊の人と昼食の待ち合わせをしているのだ。途中、わき道にそれたりする。ここは、京都の町と同じく間口が狭く、奥が広い。そして、中庭が所々にあり、風通しが実によく計画されている。そこから対岸のレストランへ向かう。
客は、ほとんどいないが、高級な店である。屋外のテラスにテーブルを作ってもらい、対岸のホイヤンの街を眺めながら昼食を楽しむ。


ホイヤンのレストランにて

昼食後、対岸から日本橋を眺める。橋を渡って、日本橋に至り日本橋を見学した後、かつての日本人街を回る。この日本人街はほとんど現在は、土産物屋になっているが、つくりは、ほとんど一緒で通りに面して店舗があり、その2階は、道路に面してテラスになっている。建物の奥へ進んでいくと中庭があり、吹き抜けがある。よくよく見てみると日本の農家のように上部から自然光が入る仕掛けがある。これらの構成は、じつに良く、風を取り入れ、光が入り、快適な空間だ。ここでは、機械の冷房を入れている家は、全くない。それでも十分に快適なのである。1個1個家を巡って行った後、再び、駐車場に向かい車に乗りダナンへ戻る。

大学に着いたのは、午後4時30分。再び5つのチームとディスカッションを行う、昨日の私たちのコメントに対して、学生達が案を進めている。しかし、中には思うように案が進まなくて困っているチームもある。私たちは、様々な可能性を示し、スケッチを描いた入り、模型を作り直したりしながら、学生とディスカッションを行う。日本人がリーダーシップを握り、日本人だけが喋ってしまう様な傾向も止むを得ないが、出来るだけヴェトナムの人にも発言の機会を与えるよう努力をする。ディスカッションが終わった後、今日は、古谷の講演会である。古谷の公演が終わったのが午後8時30分のため、またほとんどのレストランが閉まってしまった。そのため、フォー専門店の「フォー24」に行く。

この店は最近、ヴェトナムのあちこちに展開している店で高級なフォーを出してくれる。通常のヴェトナム人が行く店の値段は倍である。しかし、味は、悪くない。しかし、地元の人に言わせると、洗練されすぎて観光客用であるとのことも話を聞いた。

午後10時まで夕食を楽しみホテルへ戻り、午後10時から2時間ほどバーボン、ウィスキーを頼みホテルのラウンジで飲む。日本における最近の建築の傾向や様々な話をしながら楽しむ。部屋に戻ったのは、午前1時近くだった。


8月28日

午前7時起床。朝食をとる。午前8時に予約しておいたタクシーでフエに向かう。フエは、かつてのグエン王朝、このグエン王朝は、1804年から1945年約150年続いた王朝である。この王朝の都であったフエは、ちょうど日本の京都のように古都と呼ばれる。ダナンを出た私たちは、最近出来たトンネルを通らずにあえて遠回りのハイバン峠へ向かう。この峠は、かなり高地にある。しかし、そこから見下ろす南シナ海は、非常に美しい。やがてハイバン峠に到着する。ここは、かつてヴェトナム戦争時代には、南と北の国境線でそのため現在も、北ヴェトナム軍の要塞が残っている。厳重なコンクリート造りでその中は、かつて機関銃を発射したのだ。しばらく見学した後、そこから一気に下って北へ向かう。途中、ランコウという美しい街に出る。このランコウからダナンへトンネルが出来たのだ。しかし、そのトンネルから出てきた道が高速道路となり、美しいランコウを真二つに割っているのは、景観を壊していて残念である。車に揺られながら約2時間半程かかってフエに到着。まず、宮殿に向かう。このフエの宮殿は、北京の故宮の小型版と思えばいい。切符を買い、故宮のような建物の2階に上り見学を行った後、まっすぐ進み、太和殿へ向かう。残念ながらこの太和殿は、ヴェトナム戦争時代に破壊されてしまったものだが、その後、再現された。正面には、皇帝の椅子が置いてある。この構成は、全く北京の故宮と同じである。そこから現在、フエの街の研究をしている東大の大田先生に電話をする。彼が、宮殿に向かう間、宮殿のそのほかの建物を見学して回る。彼と門の外で待ち合わせた後、車で昔から伝わる貴族の館を見て回る。貴族の館には、かつての国交から出された証明書が張られている。そこから有名なフエ独特の平麺の店に入る。味は、やや薄めだがいける。食事を楽しんだ後、郊外のかつての皇帝の廟を見て回る。まず、トウドゥック帝の廟へ。しかし、この廟は、単純な他と違い、生前は、皇帝が離宮として楽しんだところでもある。トウドゥック帝は、王正面に大きな池があり、池の上に建物が建てられている。まるで広島の宮島のようでもある。しかし、内部に入って感心するのは、床が、湖に向かって行くほど下っていく。三段の構成になっている。水の上では、かつて舞踊などが行われ、皇帝、貴族達が楽しんだそうだ。そのため、この様に段状になることによりすべての人が楽しむことができるわけである。空間構成としてもすばらしい。この館は、メインの館と右手奥の方に小さな同じような館がある。ここは、側室が座ったところだろう。

この湖に面して大きな階段がある。この階段をずっと上っていくとそこが廟である。

そこを出てさらに車でもう1つの廟カイディン帝の廟へ向かう。カイディン帝は、グエン王朝の最後から数えて2代目の皇帝であった。彼は、フランスに留学し、そのため、彼の廟は、ヨーロッパ建築の赴きも備えている。しかし、あくまでもヴェトナム伝統の建物でヴェトナムの伝統とヨーロッパの伝統が、完全にミックスした奇妙な建物であるが、中々魅力的である。黒い原石を十分に使いしかもその配置は、バロック建築の様でもある。独特の境内は、見るものを飽きさせない。しかし、この下から皇帝の廟までは、かなりの階段を歩くので相当に疲れる。見学後、我々はさらに下に向かう。そこで車に乗り込み再び市内へ。途中、雨が降ってくる。大田先生と別れた後、一気にダナン市に向かう。

今度は、ハイバン峠を通らず、ランコウからダナンまでは、日本が作ったトンネルを抜ける。そのため、行きが2時間半だったにも関わらず、帰りは、1時間50分程で戻ることが出来た。まっすぐ大学へ向かう。

再び学生の作業している部屋へ。ディスカッションを行う。かなり長い間行う。明日は、締め切りだが、心もとない。学生にも発破をかける。5チームの内、きちんと方向性が見えているのは、2チームほどだろうか。そのため、他の3チームとディスカッションする。


ディスカッションの様子

そして、8時には、学長が夕食会に招待してくれる。ここは、ヴェトナムの一般の人々だけが行く「クエン」というヴェトナム料理のレストランだが、大変においしい。建築の学科長は、いつも打ち合わせの時、おとなしく余りしゃべらない人だったが、アルコールが入ると一気に饒舌になり、やがてシャンソンを歌いだす。彼は、フランスに長い間留学していて、フランス語がたんのうである。私たちもつたないフランス語で会話を始める。やがてシャンソンの交換会となった。ホテルに戻ったのは、午後11時ごろである。


8月29日

今日は、いよいよ最終プレゼンテーションの日だ。プレゼンテーションは、午後1時半からなので、午前中は、ゆっくりする。午前9時からレストランで朝食を取る。藤本氏と1時間以上会話を楽しむ。その後、午前10時30分から1時間程、部屋で溜まったメールに返事を書いたりして過ごす。午前11時30分に車が迎えに来て12時に「94com」というレストランで昼食をとる。ここは、ごく普通のヴェトナム人の家族が経営しているレストランである。それにしても、従業員がやたらと多い。聞いてみると全員家族なのだそうだ。しかも、おじいさんから娘の高校生までみんな黙々と働いている。家族は、全員働く必要があるそうだ。年老いたおじいさんは、道路に出てうちわを扇いで客を勧誘している。一方、中では、夫妻が一生懸命料理を作る。そして若い娘たちが、テーブルにそれらを運んでいる。やがて、白いアオザイを着た美しい女性、女子中学生か高校生だろうかが現れる。その美しさにうっとりとしていると彼女もそこの娘だったらしく、食事運びを手伝う。この家族の絆には、全員大いに感動する。昼食後、ホテルに戻り、午後1時30分大学へ。

プレゼンテーションは、昨日までの作業室とは違い、大きなオーディトリウムホールで行われる。ステージには、プレゼンテーションのテーブルやプロジェクター、スクリーンなどが用意されている。ここは、完全にエアコンも効いている。やがて学生達が次々とスタジオから模型を運んでくる。それらを見ると、大いに感激した。昨日まであれほど悩んで案が進まなかったものが、かなり良く出来ている。一堂、大いに感心して、みんなで写真を撮る。それにしても、1晩でどのようにしてこの様なものを作ったのだろうか。我々講師陣は、みんな不思議がる。やがてすべての模型がそろい、最終プレゼンテーションが始まる。最初のスピーチは、学長のナム先生。次に僕がスピーチを行う。そしていよいよチーム1からプレゼンテーションを行っていく。チーム全員がステージに立ち、まず一人一人自己紹介する。そして、パワーポイントを用いながら模型を壇上に並べ説明していく。ずいぶん大きな模型を作ったチームが多い。第1のチームから第5のチームまでプレゼンテーションを約10分ずつ、そして、私たちがコメントを30分ずつ行う。時間を十分にかけながらディスカッションをしていく。気がつくと、建築学科の学生達が、会場を埋めほぼ満員。みんな熱心に話しを聴いている。やがて、プレゼンテーションが終わる。私たちは、大いに満足をする。どのチームもコンセプトがはっきりし、プレゼンテーションのパワーポイントもすばらしく模型の出来栄えも良かった。最後にナム先生と私たちが壇上に並び一人一人に参加証明書を渡す。そして握手を交わしていく。みんなうれしそうだ。最後に記念撮影。その後、午後6時から7時まで僕が最後の公演を行う。公演を行った後、午後7時30分から日本の学生が宿泊している学生寮のレストランで打ち上げ。ビールで乾杯した後、一斉にみんなではしゃぐ。学生達は、大喜びでみんな満面の笑みを浮かべている。私たちと盛んに記念撮影をする。それにしても結果としてこんなにすばらしいものが生まれるとは、私たちも予想をしてなく、大いに満足する。

 
最終プレゼンテーション会場への模型搬入の様子       最終プレゼンテーションの様子

 
参加証明書授与の様子              記念撮影

ホテルに戻って私たちも午後10時から11時までホテルのバーで酒を飲みながら打ち上げを行う。


8月30日

今日は、午前8時の飛行機に乗るつもりだったが、大きく遅れてなんと午後1時出発とのこと。今日は、午後1時からハノイで講演会が行われるのに間に合わない。大慌てである。しかも、古谷氏は、ハノイからさらに乗り継いで中国に行くのだが、これでは、飛行機に乗れない。ヴェトナム航空と散々やり合っているとヴェトナム航空から連絡があり、ホーチミン経由なら間に合うといわれる。しかし、それは、ダナン発午前8時の飛行機に対して午前7時40分に連絡があったので20分しか時間がない。古谷氏は大慌てでタクシーに乗ってダナン空港へ向かう。一方、私と藤本氏は、今回行けなかった市内のチャム博物館に向かう。この博物館は、かつてカンボジアとの間に広がっていったチャム王族の博物館である。無造作にごろごろ置いてあるのだが、価値は、非常に高いそうだ。このチャム王朝の時代は、ヒンドゥー教でそのため、シヴァ神、ヴィシュヌ神など、あるいはリンネテッシェのガーネーシャなどの像。あるいは、臨画などが数多く立ち並んでいる。そこを見学した後、市内を散歩。再び、僕たちは、ハン・マーケットに向か何度来てもこの市場は、楽しいものだ。しばらく市場を巡った後、近くのカフェに行く。そして、そこでヴェトナムコーヒーを楽しむ。このヴェトナムコーヒーは、他では、味わえないものだ。コンデンスミルクをコップの下に溜め、そこに氷を入れ上から濃い香りの強いコーヒーを注ぐ。しばらくするとコーヒーが氷に溶けやがて下のコンデンスミルクと混ぜて飲むとこれが圧倒的に旨い。コーヒーを楽しんだ後、私たちは、近くのCDショップに行き、CDを買い込む。しかし、そこで驚いたことに昨日まで、一緒に学生を教えていたダナン工科大学のゴック先生がいた。偶然の出会いである。やがてそこからホテルに向かい、空港へ向かう。N氏から連絡があり、午後12時30分の便があると報告を受けたためである。しかし、この午後12時30分の便は、満席だということで空港側と交渉を行う。しかし、彼らは相手にしてくれない。我々は、VIPだ。あるいは、有名な建築家だといっても取り合わない。仕方なく、コンピューターを開き、今回のハノイのポスターを彼らに見せる。これが、日本・ヴェトナム国交35周年であることしかも、既にハノイ建築大学では、多くの学生が私たちを待っていること。大使もここに出席することを説明すると、彼らは、何とかやりくりし、無事、ビジネスクラスのチケットを手配してくれた。何とか午前12時30分に乗り込み、午後1時30分に着きそのまままっすぐ、タクシーでハノイ建築大学へ向かう。学生は、既に多く集まっていたが、N氏や大田先生たちが、ワークショップの経過、作品の説明をして時間稼ぎをしてくれたため、何とか僕たちの講演会を行うことが出来た。そこに着くと、日本の大使館の行使が既に挨拶を済ませていたらしく、私たちと挨拶を交わす。そして、驚いたことに私の古い友人、かつてのヴェトナム建築家協会会長のルィ・エンさんが座っていた。すっかりうれしくなり、彼と肩を叩き合って抱き合う。やがて午後3時から藤本氏が公演を行う。今回も英語で行うが、奇妙なことは、英語をハノイ建築大学のノワン先生がまたヴェトナム語に訳してくれる。今度は、2人だけなので時間も十分取れる。質疑も行う。その後、僕が公演を行う。それにしても僕も、藤本氏も互いの公演を聞くのは、これで3回目だ。もう十分にわかっていて、藤本氏は、交代してもそれぞれの公演が出来そうですねと冗談を言う。

その後、質問の後、記念撮影。そこからまっすぐホテルに戻ると思ったが、大学側が夕食を用意していたため、午後6時から7時まで学科長の部屋で夕食会を行う。そこから大慌てでホテルに戻り、着替え、そしてハノイオペラハウスへ向かう。今夜は、ヤマハのスポンサーでヴェトナム交響楽団のコンサートが行われる。指揮は、本名徹次さん。彼は、福島県出身の同郷で親しい友人でもある。やがて午後8時からコンサートが始まる。意外だったのが、最初にタンゴが演奏されたことである。ピアソラの名曲が次々と演奏される。中々良かった。そしていよいよ本名徹次氏が登場して日本から来た石川さんがバイオリンを弾き、バイオリン協奏曲を演奏する。アンコールは、このヴェトナム交響楽団の18番とも言えるブラームスのハンガリー舞曲である。すっかり楽しんだ後、そこから車でドンソン・マーケットの近くに向かいレストランで再び夕食会。


8月31日

午前6時起床。午前6時20分にN氏がホテルに迎えに来る。

タクシーでハノイ空港へ。今日は、ラオスのヴィエンチャンへ。日帰りをするのだ。

ヴィエンチャンでは、今回話が出たプロジェクトの敷地を見学すること。もう1つは、ラオス国立大学の建築学科教授に会い、来年の講演会の話をすることである。

午前8時ハノイ空港発、途中空港までの道中は、土砂降りであった。しかし、午前9時30分にヴィエンチャン空港に着くと、天気が良く快適である。空港を出ると、地元のチャンタパニヤさんが待ってくれていた。彼は、大阪大学に留学した人で、日本語がたんのうである。彼の車でまず、今回のサービスアパートメントプロジェクトの敷地を見学に行く。ノボテルホテルの隣で、広大な敷地である。かつて、ここは、高校だったそうだ。それにしても敷地は広い。そして、周囲には、大きな木々が茂る。中央にも10本の木が固まっている。これらは何とか残したいものだ。撮影をし、図面と敷地を照らし合わせたあと、このオーナーの自宅へ向かう。ここのオーナーの住宅は、伝統的なものと現代的なものがうまくミックスされた建物で、しかも風の取り入れ方も非常にうまい。庭は広大で、中央にオーナーの両親のストゥーパがある。中でヴェトナム式コーヒーを頂きながら私の建築に対する考え方、などの話をする。すっかり彼は、気にいってくれたようだ。そして、ルワン・プラバーンの建築集を持ち出してきて如何にこの建築が伝統的に優れているかを説明してくれた。今回のプロジェクトも出来るだけ自然通風、自然採光を取り入れたいということで意見があった。1時間話しを行った後、そこから近くのレストランへ。ラオス国立建築大学の学長と出会う。

しかし、なにぶん私が帰る飛行機が午後2時の飛行機ということで、安全のため空港のレストランで昼食をとることにする。空港へ向かう。元々、午後6時の飛行機で帰るはずだったのが、到着したヴェトナム航空の飛行機がエンジントラブルを起こし、このままでは、日本に戻れなくなる恐れがあるので急遽2時に変更した。それでも1時間以上昼食を共にすることができ、ダナンで私たちが行ったワークショップ、講演会などの話をコンピューターを用いながら説明する。彼は、すっかり興味を持ち、何とか来年、ヴィエンチャンのラオス国立大学で同じようなイベントが出来ないかと話を持ちかける。私たちは、積極的にやりましょう。ということで合意をする。そして、午後2時、ヴィエンチャン発で再びハノイへ向かう。なんと、ヴィエンチャン滞在は、わずか4時間であったが、敷地見学、オーナーと打ち合わせ、そして、国立大学の先生と昼食。随分、充実した滞在だった。

ハノイ空港に着いたのは、午後3時過ぎ。私の飛行機は、午後6時30分だから隋分と時間がある。空港でコーヒーを頼んだり、カバンの中を整理したりして時間を過ごす。そして、午後5時過ぎにチェックインを行い、空港内部のロビーに座っていると偶然にもまた藤本氏とそこで会う。藤本氏は、ハノイの町並みを随分歩いてきた様で相当疲れた様子だが、すっかり感激した様子で、ハノイの面白さを話してくれる。彼と僕の飛行機は、わずか5分の違いだが、ほぼ同じ時間にゲートをくぐる。飛行機に乗る。飛行機に乗るとオーストラリアのシドニーから来た夫妻と同席する。この飛行機は、ホーチミン経由のシドニー行きなのだ。そのため、夕食も中々良かった。午後8時30分過ぎ、ホーチミン空港着。そこで再び藤本氏と出会い、荷物をピックアップした後、ドメスティックエアポートからインターナショナルエアポートへ歩いていく。そこでチェックイン。ラウンジでしばらく時間を過ごす。3時間もラウンジで時間があったので、メールを打ったり、休憩したり、随分リラックスが出来た。午後11時55分ホーチミン空港発。

翌朝7時30分成田着。

シャンパンと誘眠剤を飲んだので、しかも、耳栓とアイマスクをして寝たので十分睡眠をとることが出来た。それにしても今回の出張は、有意義だった。出発前は、やや憂鬱な気持ちがしたが、講演会もワークショップもこれだけ成功に終わると達成感と満足感でやや幸せな気分となる。今度は、11月にブータン行きだ。また忙しくなりそうだ。そして、12月には、東京での展覧会とスケジュールはびっしりである。


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