出張日記

2008年


9月10日

ローマ空港8時発のエアワン航空、9時シチリア着。時間は正確だった。エアワン航空は、ドイツのルフトハンザの子会社のようだ。時間は正確だが、バゲージルームで荷物を待っていても我々4人のうち2人のバックが届かない。紛失してしまったのだ。このバゲージを受け取る場所の正面には、かなり立派なオフィスがある。カウンターもかなり立派だ。こうしてみるとここの空港では、いつも荷物が失われているにちがいない。事実、カウンターの横には、紛失した荷物が山積みされていた。

必ず探すように依頼し、空港を出て、到着ロビーへ。そしてレンタカーを借りる。一路、モンレアーレに向かう。

モンレアーレは、途中パレルモを右折する。パレルモから南西のモンレアーレは8キロである。


                            モンレアレーの街

山に向かっていく道は、壮大である。ドームが正面に見えてくる。その手前で車を駐車させ、そこから道を歩いて上がる。本来はこの道の突き当たり正面の広場からこの教会へ、アプローチするのだが、我々は一本手前の道を左折してしまった。しかし、左折したおかげで、ドームの祭壇の外観を見ることができた。ちょうど、この祭壇の外観は、キリスト教会にしては珍しく、ポインテッドアーチが水平に連続曲面上に水平に連続し更にそれが上部に積まれたように何層もの構成になっている。重なりあうような外観を作っているがアーチは、レンガを積み重ねたものが外部に露出されたデザインになっている。全体では、三廊構成になっている。その頂部は、やはりポインテッドアーチが連続したものになっているが、外部と違うのは、アーチを作る柱面、アーチの表面に濃いグレーと薄い茶の2つが複雑なパターンを作り出している。さらに三層目は同じようにアーチが連続しながらもより軽快な形態に見える。なるほど、これはアラブ的である。

祭壇正面には、中間部に柱が取り付けられている。これもやや奇妙だが面白い。




祭壇の外観

広場の方へ向かうと正面に連続アーチのポルティコが見えてくる。ここはちょうど屋外で、そこから内部へ入る。この教会は、三廊のバシリカ式である。

この壁をみて驚くのは壁面全体に金色のモザイクである。これは、ビザンチンなどでよく見られ、ここはまさにビザンチン文化なのだ。これは、シリアのウマイヤドモスクなどでも見られ、当時のビザンチンの職人が得意としたものだ。バシリカをつくる列柱は、まぎれもないギリシャでの頭部は、コリント様式。しかし、その上に連続したアーチは、先が尖ったポインテドアーチでありしかもその上部の壁画は、ビザンチンだから、紛れもない折衷様式である。その壁面には、夥しいほどの聖書が描かれている。天井は、木造の三角トラスが身廊に対して直角に連続している。その梁の表面にもモザイクのようなものが貼られている。正面祭壇のドームは、ペンデンティブドームになっている。身廊、側廊とも切妻の屋根が連続している。平面は、ややラテン十字を意識したものだが、そのクロス部分は、ドームになっていない。むしろ、切妻が交差する形を正直に作られている。しかし、

クロスの部分は、大きなドームが4面を作る。通常、その大きな4つのアーチの上にドームが載るのだが、切妻が載っている。これが、奇妙な空間を作り出している。

さらに、三層バシリカ、身廊、側廊の正面には、半ドームがあり、切妻と半ドームとアーチで奇妙で複雑な構成になっていて、新しい感動を与える。

我々は、側廊の一番手前の階段を上ってちょうど切妻屋根の端の部分にでる。すると、隣の大きな回廊付の中庭が見える。これを見下ろしながら、切妻屋根と平行しながら祭壇の方へと向かう。



教会内部                 切妻屋根の天井

祭壇の屋根部分に入り口があり、そこを入っていくと狭い階段がありそこを上っていくと、正面の頂部に出てしまった。この部分は、身廊正面の祭壇の上部に当たる。上部に突出した小さな展望台からは、はるか遠くの金の盆地が見え、その正面には、マデヌマの街が眼下に広がる。マデヌマの街の向こうは、青い海がある。それにしても随分高く上ってきてしまったものだ。展望台を降り、回廊付中庭に出る。この回廊は、二層構成になっている。


回廊付中庭                展望台から景色 

よく見ると、大きな外壁の中庭のさらに内側に列柱が作られ、その上に屋根が載せられ、ちょうど、ポルティコのようになっている。柱は、基壇の上に建っており、そのため、回廊と、中庭は、空間的に完全に仕切られている。回廊に直角に2本の柱が連続して建つ。アーチは、微妙に尖がったポインテドアーチである。一見、なんのこともない中庭だが、よくよく見ると、そこにはドーム独特のデザインが発見できる。柱の表面を見ていくと、一本一本、異なったモザイクが貼られている。市松模様、らせん状のモザイクが貼られたり、あるいは何も貼られてなかったりしている。しかし、柱の形態はあくまでもギリシャの列柱だ。中庭とこの回廊は、空間的には分断されている。そのため、中庭は緑のデザインを施されているが。使われる様子はない。中庭に出て、この回廊を見ると面白い。細い柱の上にコリント式の柱頭が載り、その上にやや重たいアーチが連続していく様はアンバランスな感じがしていて面白い。先ほど見た外観の祭壇の外観と同じようにここには、濃いグレーと薄い茶の石が複雑なパターンを作り出してドームを強調している。中庭から外を出てみると、建物全体の正面が見えてくる。ドームの正面は、両側に石造りの塔が建ち、その正面中央に3連のアーチの建物がちょうど挟まれたようになっている。その上部は、バルコニーになっている。

1本1本異なったモザイクが貼られた柱

近くで昼食を取った後、再び坂を降り、駐車場へ向かいパレルモに向かう。

モンレアーレからパレルモの市内に入るのは一苦労だった。地図を片手に街へ入っていく。この通りは、ヴィア・ビチクレッタイオ通りである。最初にノルマン王宮が見え、やがて大きなゲートをくぐって行く。左側にカテドラルを見ながら正面に大きなモニュメントが見える。ローマ通りを左に曲がるつもりが、間違えてマクエダ通りを左に曲がってしまう。しかし、幸運なことにマッシモ劇場の正面に出る。このマッシモ劇場は、かつてパリのオペラ座に次ぐ、ヨーロッパ第2のオペラハウスと言われたもので、最近修復されたものである。そこから、ローマ通りを出て、目指すホテルへ着く。ホテル・グランド・デ・パルマでなかなか立派である。チェックインを行う。正面にワグナーの像が置いてある。不思議に思い、レセプションに聞いてみるとかつて、このホテルにワグナーが長期滞在したそうである。荷物をおろして市内へ出てみる。

パレルモでどうしても見たいと思っていたクアットロ・カンティへ向かう。このクアットロ・カンティは大きな通り(マケレ通り)とエマヌエレ通りの交差する地点に作られたものでちょうどローマのクアットロ・フォンターネを思い出す。しかし、クアットロ・フォンターネよりは、遥かに大きなスケールで、四隅の建物すべてのコーナーが円形状に切り取られ全体として4つの円が組合されて円形広場が作られている。立面は、3層構成になっている。1階には、それぞれのコーナーに噴水が作られさらに、その最上部には、彫刻が置かれる。かつて、大きなフェスティバルの際には、この4つのアーチの頂部が道路上でも繋がれ冠のようにこの広場を取り囲んでいたというから大きな円弧を繋いだひとまとまりとなったそうだから、さぞかしダイナミックな広場であったろう。



 

 

クアットロ・カンティをあとにし、プレトーリア広場へ。このプレトーリア広場は、クアットロ・カンティのすぐ横にある。中央に噴水を捕らえ、広場正面の右側がかつてのパラッツォ。現在は、市役所になっている。さらに歩いていくとベルニーニ広場がある。そこに2つの教会が面している。1つは、ノルマン時代に作られたマルトラーナ教会。この教会は、何度か修復されている。内部に入ると目に付くのはやはり、金色に輝くモザイクである。これは、ビザンチンのデザインだ。しかし、よくよく空間を見ていくと奇妙で面白い。基本的には、三相バシリカである。しかし、平面はややギリシャ十字のようでもある、十字中央のドームは、一段高くなっている。4つのアーチの上にドームが上っている形式は同じだが、中央ドームはイスタンブールのハギアソフィアに比べるとやや未完成に近いものでドームの底辺の円とアーチの頂部によって作られる空白の部分はここではまだペンデンティブになっておらず、よくよく見ていくと4つのアーチの上に八角形の壁面が載っているようにも見える。そのため、アーチの四隅の部分と八角形の部分が奇妙にジョイントされちょうどその入隅の直線が上部に広がっていって空間になるような奇妙な面白い造形が作り出されてユニークである。その八角形の上に奇妙に形態をずらしながら、円形のドームが載っている。その両側の側廊の部分は、ヴォールトになっている。しかし、このドームに面した両側のヴォールトは奇妙で袖廊のヴォールトとは、異なっている。身廊のドームの奥はさらにドームになっているが、不思議なことにここは、ペンデンティブドームになっている。その頂部は、円形の穴があけられ、自然光が入り、その正面にキリストの像が置いてある。


 

列柱は、ギリシャ様式でよく見るものだがこの柱も1本1本異なっている。まるで、コルドバのメスキータのようだ。縦筋が入ったものや表面がつるっとしたものなど、ばらばらになっている。入口部の天井を見るとそこには浅い楕円形のアーチのクロスヴォールトになっているのがわかる。ややなまめかしい。しかし、その表面にはさまざまな聖書の物語が描かれている。空間的には不思議な空間である。その隣のサンカタルド教会は、さらに面白い。平面形はギリシャ十字を意識したものでやや長方形のプロポーションだが九等分に割られた平面になっている。中央は、4本の柱の上にドームが架けられているが、そこもまだペンデンティブが完全な形としては現れず、石をうまく組み合わせて積み上げたようなむしろ、構造に忠実に載せられた屋根のデザインが魅力的である。

一見、確かにギリシャ十字のような平面に見えるのだが、しかし、天井の空間を眺めていくとこれは紛れもないバシリカなのだ。なぜなら、中央の身廊の部分が全てドームになっている。それらのドームは身廊方向に連続していて軸線を強調している。

それに比べると両側。袖廊の天井は、通常のヴォールトになっている。

表面には、モザイクなどの装飾はなく、簡素でむしろそのことが建築に力を与えている。この建築は、造形的に見ても飽きがこない。ドームの側面に空けられた4つの穴これらの位置も奇妙に45度にずれた位置に空けられ、本来そこにペンデンティブが載る部分の上部に空けられているので、構造的には合理的である。このように初源的な建築は後期のようにさまざまな気を衒った構造に走ることなく、かなり忠実な構造の形態をとる。ここでも柱は、ギリシャ様式で柱頭はコリント様式である。この構成は、外部から見ると実はよく分かる。つまり、3つのドームが連続していくのがあらわに外部に見える。これを見ていくと、明らかにバシリカ空間なのだ。これはイスタンブールのハギアソフィアと同じ構成でハギアソフィアも一見ギリシャ十字の教会に見えるが天井を見ていくとドーム、半ドームが軸船方向を強調しているのが分かる。これは、まったくハギアソフィアと同じ構成となっているのだ。

 

そこを出てホテルに向かう。狭い通りだが、しかし、ところどころに大きなバロック的な凹凸をもった教会の立面が見えてくる。このような狭い通りに面してこのような巨大なバロックの立面を作っても通りからはほとんど全貌が見えない。しかし、意識としては、都市と建築を一体的に結びつけようという意図は十分に理解できる。

 

フィレンツェがルネッサンスだとすれば、ローマはバロックである。ルネッサンスは、あくまでも都市との関連性はなく、建築単体として設計される。そのため、日本の書院造りのように約束ごとが多い。自由な造形とはほど違いものとなる例えば、3層構成、秩序空間のオーダー及び数学などがデザインを締め付ける。そのため、ルネッサンス建築は後期に至るとやや教条的である。これらのルネッサンス建築を作るものにとっては、欲求不満を覚えたに違いない。これは、ちょうど日本の建築を考えると当てはまる。つまり、神殿造りから書院造りに行くに従って建築のルールが厳密になる。木割り等。全ての建築にルールが作られやがて作家としての力を出す場面が少なくなってくる。これは、ルネッサンスでも同じことが言える。それに反発してやがてマニエリスムが起こってくる。例えば、ローマのパラツィオ・マッシミ・アッレ・コロンネ。曲面の三層構成の窓のデザインをそれまでのものとは異なった異質なものとする。少しずつルネッサンスに対する反発が増えていく。マニエリスム期と言われる。その時期を経てバロックに至るのである。バロックは建築を単体として捕らえず、都市との関係性の中で造形を作り出していく。そのため、壁面がカーブし、都市空間が建築に、あるいは、建築空間が都市に侵略をしたりすることにより都市に面するファサードはどんどん変形していく。それらの取り合いが非常に面白い。バロックは、言ってみれば建築と都市との戦いなのだ。日本建築史に於いても同じようにルネッサンスに当たる書院造りから数奇屋に至るプロセスに同じ傾向が見える。しかし、イタリアのバロックはローマからシチリアに至り、その精神は、見事に受け継がれこのような狭い道路に面した所でもバロックのファサードが数多く試みられているのだ。これは奇妙であり面白い。

ホテルに戻り、夕食をとり、休む。



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