出張日記

2008年


9月12日

ラグーサの旧市街を回る。シラグーサはシチリア島の南島部の山岳地帯にある。

この一帯は後期バロック建築様式の地域として世界遺産に登録されていて、シラグーサ、モディカ、ノート、カターニアなどを含めた4つの町からなる。


そして、1693年の大地震によりほとんど壊滅した歴史があるがその復興期が丁度後期バロック期にあたったため、その傑作建築が多く点在する。ラグーサは大きな2つの谷が3つの丘を作りそれらの上に建設された街である。およそ紀元前2000年近く前に人々が住み始めたのが現在、ドゥオモなどを含んだイブラ旧市街地区である。谷を挟んだ反対側の丘がスペリオール地区である。ホテルのあるスペリオール地区から谷間を越えていったん新市街地に入り、そこから道を下り、これらの2つの丘にはさまれた谷底の部分に行く。スペリオール地区からこの谷間へは日光いろは坂のようにジグザグとしながら車でも下れる道がある。このいろは坂に直交するように谷間からスペリオール地区にまっすぐに上がる昔からの階段がある。そのため、所々に階段を上って行くと頭上を道路がまたいでいる。

 

 

谷間はちょっとした広場に成っている。そこから階段を上がっていくと右手にサン・ジョバンニ大聖堂教会があり、その前が小広場になっている。

広場の道に面してスペリオール地区にパラッツォがある。

建物の角に上り階段があるので二面の立面が見えて、ヴォリューム感が理解できる。バロックの特徴である凹凸がこの建物ではバルコニーに強く現れている。

手すりも単純な垂直のものではなく、ふくらみを持たしたように外側に出っ張るように曲面に作られている。



しかし、何と言っても著しい特徴はバルコニーを支える方杖のデザインである。それぞれの方杖が擬人化され様々に異なる彫刻となって表現されている。

ドームを覆う青いタイルが印象的である。建物の下を歩道が貫通しているのは地中海の斜面都市では良く見られるものである。

 


しかし、特記すべきは階段はあくまでも歩行のための外部空間で生活と密着したものとは思えない。上りきると反対側のイブラ地区の全景が見える。


イブラ地区の足元には、プルガトリオ教会が大きなファサードを作り、背後の景色をかくしてしまっているようだ。

イブラ地区の山頂近くには聖ジョルジュ聖堂が建っている。この建築家はシラクーザ生まれのロザリオ・ガルディである。


しかし、特記すべきは階段はあくまでも歩行のための外部空間で生活と密着したものとは思えない。上りきると反対側のイブラ地区の全景が見える。

イブラ地区の足元には、プルガトリオ教会が大きなファサードを作り、背後の景色をかくしてしまっているようだ。



イブラ地区の山頂近くには聖ジョルジュ聖堂が建っている。この建築家はシラクーザ生まれのロザリオ・ガルディである。

この建築を特徴づけるのは正面に取り付けられた柱である。

三層構成の聖堂の両側にはそれぞれ3本の柱がそして両端部には、二本の柱がそれぞれ取り付けられている。


三層構成と言っても一層目は実は、二層からなる。垂直の柱を二層分つき立てることで垂直性、高さを強調したものと思われる。この教会の建てられ方がユニークである。教会正面は教会前の広場の上になく軸線方向ではなくやや右手の方に振られている。パリの新凱旋門と同じ効果で正面と左の側面が同時に見える。

柱の詳細を見ていくとデザインは華麗である。

 


バロックで言えばボロミッニよりは、ベルニーニ的でやや甘さを感じさせ、激しさが感じられないのは個人的にはやや物足りない。柱頭や彫刻も繊細である。しかし奥行きのある広場の中央軸線からはずれてこの教会の正面ファサードがやや角度が振られて鎮座する構成は悪くない。これは自然の傾斜や地形が作り出した造形である。内部は特にバロックを感じさせるものではなくむしろルネッサンス空間だ。

 


教会周辺の斜面に作られる建築群は圧巻である。

ラグーサを離れる時に遠く離れた所からイブラ地区とスペリオール地区の2つの丘が作るシルエットが美しく見えた。


ラグーサを去り、モディカへ。この街もラグーサ同様に谷間と両側の斜面に建物がびっしりと造られている。この街はチョコレートの生産で有名でメイン・ストリートに面した高い階段の上にサン・ピエトロ大聖堂が建っている。




三相バシリカの空間がそのまま立面を構成しているがユニークなのは、正面二階に作られたバルコニーで垂直な柱群を分断し水平線が強調されていること、そしてそれらの柱が荒々しい組積表現になっていることである。三相頂部の扉の上部の破風が破られてそこに彫刻が作られているのも面白い。


その通りに面した二層のパラッツオ建築も面白い。ローマのパラッツオ・マッシミ・アッレ・コロンネのように曲面のファサードになっていてやはりバルコニーを支える方杖が擬人化された彫刻になっている。

そこから近くの街ノートに行く。ノートは1693年の大地震で町は完全に崩壊した。そのためこの街の再興をあきらめ、そこから10km程離れた所に現在の町が作られた。つまり現在のこの町は新しく計画されたということになる。そしてこの都市はバロック都市だ。都市の中にいくつかの軸線がちりばめられている。町へは東側のレアレ門から入る。


この門から西に向かってこの町を横断するように主軸が引かれる。この軸線に直交するのがドゥオモ軸である。直交する所は広場になっている。広場の北側には大階段、そしてその上部にドゥオモが堂々と鎮座している。

 

ドゥオモに軸線上に対面するのがパラッツオ・ランドリナ、現在市役所として使われている建物である。


この建物は中央が外部に膨らんでいてバロック建築の特徴を良く表している。ドゥオモ建築は三相バシリカの立面の両側に更に鐘楼と時計台が塔状に作られていて意匠的にバランスを保っている。これもラグーサのドゥオモ同様に柱が立面に作られ垂直線を強調している。


東西の主軸に対して直交するもう1本重要な軸線が走る。ニコラチ通りである。

この通りはやや北側に上り勾配になっていて、正面にパラッツオ・ニコラチが控える。その両側には例のジュリアンバロックのバルコニーが通りに突き出している。


このバルコニーはラグーサやモディカのパラッツオ同様に曲面の手すりが付けられ擬人化した方杖に支えられている。



正面のパラッツオ・ニコラチの建築は中央が大きくへこんだバロック建築である。へこみの部分の正面には階段が設けられ、上った所が入口の扉である。左右に塔を持ち、中央が半円状にへこんだダイナミックなファサードは上り勾配の通りの正面奥にシンボリックに鎮座し、強い軸線を持った見応えのあるバロック空間を作り出している。



ノートはバロック建築としてもバロック都市空間としてもかなり楽しめる町である。夕方暮れるまでゆったりと。ノートで時間を過ごした後、シラクーザへ。シラクーザはギリシャ時代、アテネに次ぐ第2の都市であった所である。旧市街地は海上のオルティージャ島にあり橋でつながっている。ホテルはオルティージャ島の有名なアルトゥーザの泉に面した所である。

チェックイン後、夕暮れの街を散策。島の周囲は車道になっているが内部の市街地に入ると車が入れない狭い通りが網の目のように走っている。


出張日記リストへ   9月11日の日記へ   9月13日の日記へ

inserted by FC2 system