出張日記

2008年


9月13日

起床後、ドゥオモを見に行く。このドゥオモのあるオルティージャ島はギリシャ時代、アルキメデスが生まれた所。ホテルの前に有名なアルトゥーザの泉がある。海沿いにあるのに淡水の湧き水という不思議な池。池にはパピルスが自生している。アルキメデス時代からあるのである。


ドゥオモ広場は教会堂の反対側のファサードが曲面になっていてバロック都市空間が感じられる。かなり大きな平面的には縦長のプロポーションを持っている。ドウォモは長辺に建っている。広場をちょっと入った所の壁にマリア様の像が天に祈る姿で取り付けられているのが面白い。

 


ドゥオモはギリシャ神殿をリノベーションしたものである。モスクをキリスト教会にキリスト教会をモスクに改装した例は多いが、ギリシャ神殿をキリスト教会にリノベーションしたものを見るのは始めてである。ギリシャ神殿にバロックのファサードが書割的に貼り付けられている。三相バシリカの典型的なヴァル・ディ・ノート地域のバロックファサードである。正面の1、2階を一層分の柱として表現し、主廊の上端まで連続し、垂直線を強調するのは、ラグーサのドゥオモと同じ。しかし、特に驚く程の目新しさはない。


圧巻は内部にある。平面的に説明するともともとあった神殿の外側の列柱を残し、身廊空間の内側の壁は完全にキリスト教会風のものとして作られている。


つまり、分かりやすく言ってしまうとギリシャ神殿の外側の列柱を残し単廊教会堂をはめ込み、そのような内部の身廊と外部の側廊空間が作られている。そして正面に書割ファサードが付けられていることになる。

側廊に入ると外側はギリシャ神殿の列柱、内側には教会堂の連続アーチが同時に見えることになる。


 

逆に教会堂内部に入ると身廊のアーチから側廊のギリシャ列柱が見えることになる。外観も書割正面の横に回って側面を見るとギリシャ神殿の柱が露出しているのが見える。

 


実は今回の旅を振り返ると最も感動したのがこの教会であった。新しいものに出会う程、感動の大きなものはない。ギリシャ神殿の力強い太い列柱とキリスト教会の優美なアーチの取り合わせは新鮮だった。その後、街中を歩く。最も興味が湧いたのは海側に開く極端に細い道とそれを挟む建築群である。これらは平行してオルティージャ島の中を走る。

 

この街路はギリシャ時代に作られたものだ。島を出て山の斜面際に作られたギリシャ野外劇場を見るがどうってことない。


ちょっと面白かったのは、天国の石切場と呼ばれる所。ギリシャ時代の神殿や市街地の建物を作るための採石場の跡。横穴のように掘り込んでいったために洞窟になっている。牢獄としても使われたことがあるそうだ。一番奥に入ると狭い入口から入ってくる光が劇的な空間も演出する。

 

そこを後にして、カターニアへ。ここは、シチリア第2の都市。かつて丹下事務所で集合住宅のプロジェクトを推進していたので興味があった。


この街の見所は何と言ってもドゥオモ広場とその周囲に建つ建築群。この街の中心となるVia Etnas(エトネア通り)の突きあたりに広場はある。エトネア通りから軸線上に進んで行くと一番奥にアーチのゲートが見える。その両側に左右対称の建物が作られている。まっすぐ進んでいくと左手にドゥオモが現れる。

 

そして右手前の角にあるのが市役所。しかし、この街のシンボルとも言うべきこの建築は特別に興味を引かない。この広場を囲む他の建築群が圧倒的に良いのだ。これらの建物の位置関係を説明するとエトネア通りからこの広場へは北から南へ進む。アクセス軸となる。南側突き当りにゲート、ドゥオモは広場の左手つまり東側にある。カラドラル教会の空間は、祭壇が東側に来るようになっているのが普通でここも例外ではない。しかし、ローマのサン・ピエトロ大聖堂は西向きでこれは浄土宗寺院と同じだ。何故だろうか。西側と南側に立つ建築群が素晴らしい。外観は市役所を除いて全て統一されている。同じ建築家の設計のようにも見える。


濃いグレーと白っぽい石の2種類の材料がこの広場を囲む建築群を覆っている。濃いグレーの石はエトナ山の噴火による溶岩で白っぽい石は、シラクーサの白い石灰岩だそうである。しかし、不思議なことに市役所の建物にはこの溶岩が一切使われてない。そのため違和感を感じさせるのだ。


ドゥオモの建築家はヴァッカリーニだが、広場の南と西の建物の建築家はドゥオモとは別な建築家によるものと思われる。ドゥオモは典型的なヴァル・ディ・ノート様式で特に大きな特徴はない。正面の円柱の上に柱頭が置かれていることと、側廊の西端部のコーナーが45度に切られていることが強いて言えば特徴か。


それに比べると西側の建築のファサード、南側の建築のファサードは迫力があって圧巻である。


ドゥオモの円柱がややひ弱に見えるのに対してこれらの建物は強い存在感がある。ローマのバロックで言えば、ドゥオモがベルニーニとすれば南と西の建築はボロミッニと言ったところだろうか。ドゥオモ建築はプロポーションもディテールも美しいのだが、それだけのこと。

広場の中央には市の紋章でもある古代ローマの象、更にその上にエジプトのアラベスクがのった銅像がある。この像はエトナ山の噴火で作られた溶岩でできているそうだ。グレーの砂岩と見えているのは同じ溶岩かもしれない。西側の建物を見ていくと何と言っても大オーダーが目立っている。

大オーダーの柱間の地上に面した所はアーチになっている。大オーダー柱間の地上に面した所はアーチになっている。アーチは白い石灰岩でそのまま2階、3階へ連続し、それらが開口になっている。大オーダー柱とこれらの開口の白い縁取りとの間を濃いグレーの溶岩が埋められている。この対比はかなり強烈な造形を作り出し広場に強く迫ってくる。バルコニーも中央が出張っていて都市空間と呼応している。ルネッサンスのファサードが平面的で建築として都市空間に対してひかえめるのに対してバロックは都市空間との交わりによって表面が出張ったり、へこんだりするのだ。意外なのはバルコニーを支える受けがシンプルでここでは、ラグーサのような擬人化した 彫刻はない。


しかし、南西の角に立つ建物は、他の地域でもよく見るヴァル・ディ・ノート様式である。造形も激しい・ここの柱も大オーダーで、仕上げの異なる石を1個おきに重ねたものが柱の表現になっている。柱だけをみていくと広場西の建物と南の建物の柱は全て異なっていてここで建築の表情を変えようとしている建築家の意図が見てとれる。


この南西の建物はやや過剰と思える程、装飾にあふれていてバルコニーの受けも擬人化されたものである。

南側の建物は中央にエトネア通りの軸線を受けるアーチ(ウツェダ門)が中央奥に控え、その両側に、左には司教官、右手に神学校の建物が建っている。

よくよく見ていくとファサードが対称ではない。柱は右手が組積の表現が上部まで達しているのに対して左手は二階上部で終わっている。3階の開口窓の縁取りのデザインも異なっている。

しかし、ウツェダ門は左手の司教官と同じ立面なので、司教官の一部と考えるのが自然である。これは、明らかに西側の建築立面と同じモチーフのデザインである。

 

その他、カターニアでの見所はドゥオモ正面の通りを行った交差点広場で四隅がルネッサンス風のコロネードに囲まれている。このての広場はイタリアには多い。ローマのアッレ・カットロ・フォンターナやパレルモのまるなどがその好例である。四隅の建物は全てL形になっていてコロネードが作られている。

 

この広場はおすすめである。パリのヴェルサイユ宮殿に面した通りに面するアルム広場に似た広場だ。カターニアを後にして一路、今夜の宿泊先であるタオルシーナに向かう。タオルミーナに着いていたのは午後4時過ぎ。タオルミーナはシチリア随一のリゾート地で世界の観光客が集まる所である。海から上がる急な傾斜地に作られた街で、街の東側にはギリシャ時代の大きな野外劇場がある。野外劇場は海に面している。しかし、不思議なことに劇場の観客席から舞台への軸線は海に向いていない。

街の構成はシンプルである。東側の野外劇場から北に等高線上に向かって伸びるテアトル・グレコ通りとそこから東に直角に折れ曲がるコルソー・ウンベルト通りがこの街のスパイン(背骨)で両側は高級ブティックが並ぶ。


そのウンベルト通りに面して所々に上りと下りの脇道が階段やヴォールト状のトンネル空間となって作られている。ジョゼッペ教会が唯一の広場でそこは、海に大きく開いている。それ以外は大して見るものはない。夜の街をウィンドー・ショッピング。突然の大雨。シチリアで暑いうだるような日々が続いたのでほっとする。レストランへ。

 





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