出張日記

2008年


10月18日

18時50分ANAでバンコクへ。機中、シャンパンとワインがあまりにも旨いので飲みすぎて仕事にならない。2005年のBordeauxでVintage。ステーキが抜群に旨い。結局、イスを水平にしてバンコクまで眠り込んでしまう。夜11時バンコク着。ブータン航空(正式にはドゥルク・エア)は、ANAとは提携がないので一旦荷物を受け取る。

それにしてもバンコク空港の建築は見応えがある。勿論、伝統など全く考慮していないが空間もディテールも素材もデザインも素晴らしい。出発階ロビーでチェックインまでしばらく時間があるのであちこちにメールを打ち込む。午前3時チェックイン。ラウンジへ。ラウンジでもメールがつながり、さらにあちこちにメールを送る。




10月19日

ドゥルク航空で5時50分発バンコク発コルカタ経由でブータンのパロ空港に9時着。

途中、ヒマラヤ山脈が左手に見える。


 

その右手側にエヴェレストが見えてくる。パロ空港へのアプローチは圧巻だった。延々と広がる山並の谷間を山の尾根をこするように右に左に折れ曲がりながら機体は降下して行く。山の斜面のあちこちに住居が見える。そこには、段々畑が広がる。

 

自分の農地の中央に居を構えているために住居は、点在している。久々に見た美しい景色にしばし、窓の外を眺め続ける。やがて、右に旋回したかと思うとあっという間に着陸。空港ビルは、ブータンの伝統様式に沿ったもの。


ともすれば、こういう建築はキッチュになりがちだが、これは悪くない。可も不可もないような成田空港は和様を表現した方が面白い。日本には、世界に誇る世界遺産の建築が沢山あるのだから。ブータン空港のように日本を表現した方が外国から来た人々に大きな印象、感動を与えてくれるはずだ。空港は国の顔なのだから。さてここブータン空港あたりの標高は2000m以上。パスポート・コントロールを過ぎて外へ出るとM氏が迎えに出ていた。やがて全員バスに乗り込み市内へ向かう。今回の主な目的はプンツォリン市でワークショップを開催すること。市内の市場へ。それにしても赤唐辛子が目立つ。後で聞いたらブータンの人は、一人当たり大変な量の唐辛子を食べるようだ。


そこから最近出来た市街地へ。全てブータン様式に統一されている。しかも、これらはコンクリート造にペンキを塗ったものでいまひとつ感動がない。しかしこれらが1kmにも渡って延々と続くとそれはそれでなかなか見応えがある。建築の1つ1つを詳しく見て行くとディテールや仕上げの雑さが見えすぎてしまうがアーバンスケールで見るとこれはこれで1つの作品だ。しかし、日本などと違って例外が全くない。国王の命令で全ての建築が統一されている。


中国などの映画のセットのようなキッチュな町並みと比べればこれはこれで面白い。昼食後、パロ・ゾンへ。

ゾンとは、政治と宗教の中心でもあった。しかもいざという場合の軍事拠点でもあり、城の役目を果たした。ブータン国内にはこのようなゾンが点在している。政教一体のこの国ならではの施設である。要塞という機能からパロは、大体斜面に建てられている。建築の工法はまず、斜面に石を積んで基壇を作る。そこから日干しレンガの壁が立ち上がる。中へ入ると分かるのだが、壁厚は2mほどある。これは軍事拠点のための防御というよりは、分厚くしていかないと高い建物は作れない構造的理由による。



この分厚い壁が建物周囲の外壁となる。建物の中央には大きな中庭が作られていて、中庭に面する部分は壁ではなく木造の柱が主要構造になっている外壁の日干しレンガと内側の木造という混構造である。その木造の柱から架けられた梁はもう一方の日干し煉瓦の壁によって支えられている。分かり易い混構造である。そのため外部と中庭の立面のデザインは全く異なる。外壁のデザインが堅固な壁のデザインなのに対して中庭側は様々な木造部材、すなわち線の構成から成るデザインになっている。この建物を外から内へ入っていく。内部へ入ると大きな中庭の中央には寺院がそびえるように建つ。寺院の構法は外周の建築と同じで外側は日干しレンガ、内部と頂部に木造屋根が載っている。つまりこの寺院は中庭は外と同じ建物が入れるようになって作られている。外敵の侵入に備えた外壁の異なり、中庭に面した木造の立面は二重のファサードから成る。内側の木造構造体とその手前の手すりを兼ねたもう一枚の表皮ファサードである。内側の木柱間に架かる梁には、大きく両手を開いたような肘木によって支えられている。柱の内側は回廊になっている。この作り方はブルガリアのリラの僧院と実に良く似ている。


中庭側の桁に載り、その桁が露出している。よく見るとそれらの垂木は二段によっている。上部の垂木が本当のもので、下部のものは肘木の役割をしているものでやはり柱間の構造的な距離を小さくする役割のものである。しかし、上部のものを合わせ二段の木口が美しい装飾になっている。所々には、内部の機能によるのだろうか外壁と同じ白い壁面が現れている。中庭は斜面に合わせて2つのレベルから成っている。

 

 

しかも、中庭の平面は中央に大きなたまりの寺院を中心に構成されるが中央周囲の建物が様々に異なるのでそのファサードの大きさもまちまちで壁面が凹凸を繰り返す。しかも中庭は2つのレベルから作られているので中庭を一望することはできない。そのため中庭を歩いていく度に様々な空間に出くわすようになっていて建築空間としても見応えがある。外に出て外観を斜面の下から見上げるとチベット・ラサのポタラ宮殿のようにも見えてくる。ゾンの下には川が流れていて、橋が架かっている。キャンティ・レバー橋というのだそうだ。

建築専門用語を一般の橋の名前に使っているのは面白い。名の示すとおり、両側の堅固な壁建築から片持梁になっていて中央でつながれている。中央の部材を取り外すと橋は崩れ落ちるのだそうだ。

 


ホテルに行き、チェックイン。ホテルもブータン様式だ。かつてブータン王家の親族の館を改修したものだそうだ。部屋の中もブータン様式である。

 

まだ午後3時過ぎで時間もあるのでタクシーをチャーターし、ホテルの受付の1人を雇い、パロの山奥の古い民家巡りに出る。この民家巡りは素晴らしかった。僕が案内してもらったのはパロの中でも最も古い地区で中には300年近く経つものもあるそうだ。共通している形式は、日干し煉瓦の壁構造に木造の屋根架構が載っていることだ。階数は三階。一階は家畜や倉庫の空間になっている。そのため外部から2階へ直接上がるための階段がどの家でも外部に取り付けられている。

 

2階へ上がると左右に部屋は分かれ片側が居間とプライベートな空間、もう一方は仏間と客間になっている。仏間は住宅の中で最も重要な空間で、その手前の空間は客が来たときに宿泊する部屋になっている。最も重要な空間を客に提供することでもてなしの心を表す訳である。

 

最上階は吹きさらしだが、屋根の架かったいわば半戸外の屋上空間で草を干したり、農作業の準備や食料倉庫が作られている。構造的に説明すると一階は全て日干し煉瓦壁だが、妻側はコの字型平面になって2階、3階まで日干しレンガのまま作られるがそれらにはさまれた部分は2階から木造になり、屋根架構を妻側の壁と共に支えるというものである。壁がコの字型になっているのは水平力に対するものである。これと異なる形式は一階部分のみ壁で二階以上が全て木造というものもある。いづれも、ゾンと大きく異なることはない。見所は木製の窓である。一つの窓は、更に細かく、分けられていて上下に三等分、水平には三ヶ、四ヶ、五ヶに割り付けられている。塗られている赤と青の色と装飾が作り出す形態は圧巻である。最近でもこの方法は守られていて職人もいるが、かなり減りつつあるという話も聞いた。今日は一日、実に多くのブータン建築を見ることができた。

 

10月20日

朝食後、バスに乗り、ハイライトのタクツアン僧院へ行く。この寺院は山を500m程登らなくてはならない。自信がないが、挑戦。無理せずゆっくりと登る。かなりきつい。道がないのだ。しかし山から見下ろす景色は美しい。途中、ヒマラヤのチョモリが顔を出す。廃墟になった小高い丘の上に建つゾンに立ち寄る。このゾンは四面とも日干し煉瓦と石を積んだ壁になっている。そのため開口は少ない。この丘の下の集落は昨日のパロとは異なっていて面白い。妻側の二階の壁の両側がえぐり取られそこに木造の部分が載っている形式のもので面白い。やがて寺院のふもとに着く。何とか登りきる。そこから谷越えに岩山の隙間を這う様に作られた寺院が間近に見られる。

 

 

 

さすがに僕はここでギブアップ。ここにある食堂で昼食。帰りも道が悪く結構きつい。帰途、農村地帯を走りぬけていくが、やはり民家が圧倒的に面白い。ふもとに戻りバスに乗る。寺院キチュ・ラカンに立ち寄る。建築構法は民家と同じで壁と木造の混構造。ゾンよりはスケール感があり、ボリュームが複雑に組み合っているのが建築として面白い。


外壁には人間の手に触れることのできる高さにマニ車と呼ばれるものが水平に連続的に吊るされている。表面にはマニトラ(サンスクリット語で祭司、呪文)が刻まれており、中にはお経が収められている。それを右から左に歩きながら時計回りにマニ車を回して行く。マニ車1回回すとお経を1回読んだことになるので、次々と回していく。これらの建築様式は確かにチベットあるいはモンゴルの僧院と似ているものだが素材こそ違えネパールの建築も基本的には同じものだ。ネパールの場合、壁が日干し煉瓦から素焼き赤レンガに変わるだけだ


10月21日

朝食後、午前7時にホテルを出て一路、首都のティンプーへ。

午前8時半、ティンプーのJICA事務所へ表敬訪問。その後、メモリアル・チョルテン、ドゥプドゥプトリ尼僧院、工芸学校、国立博物館等へ。国立博物館は建築が面白かった。壁構造に載る木造屋根架構や出窓が面白い。特に最上階の農作業スペースの構造が面白い。


 

エンポリアムという土産屋でここの伝統衣装を買う。


夕方、ティンプーのゾンを訪れる。建築的にはパロゾンの方がはるかに面白い。夜、街へ出るとここはすっかり近代化されていて、中にはボーリング場もあり、若者はCDなどを買いあさっている。



10月22日

朝食後、JICAが進めている集合住宅を見学に。その近くにあった民家で面白いものを見つけた。土壁の上に木造が載っているのだが、その受け方がユニークである。土壁から受梁を出し、そこに肘木を載せ桁を架け、更にその上に床の垂木が載せられている。そこから立ち上る木造の柱は均等ピッチに置かれ、その上に三段に連続する垂木状のものが装飾的に作られ、最後に木造の屋根が載っている。これは面白くてじっくりと見て回り、写真も数多く撮る。

そこからプンツォリンに向かう。途中ティンプー郊外でセムトカ・ゾンに立ち寄る。ここの肘木は面白い。桁方向に肘木があるのだが、これは法隆寺の雲斗雲肘木とほぼ同じで興味深い。ここではっきりと判ったことは垂木にもそのスパン長を短くするために垂木肘木とでもいうべきものが作られていること。しかも上部の垂木材とは全く同じものなので、それであの外観の三段垂木が出来ているのである。これは重源が作った東大寺南大門の挿肘木にも近く下から一手、二手、三手と重なっている。



  

ティンプーからプンツォリンまでは、車で7時間ほど。途中険しい山の肌を削って出来た道を等高線に沿って曲がりくねって行くので、かなり困難な旅。とにかく山を削りその土をそのまま谷間へ投棄し、その土がかろうじて道を支えているといった具合なので怖いことこの上ない。

 

途中、車輪が道路の端にかろうじてかかっているような所もあり、ヒヤヒヤの連続。


あちこちに相当の水量を持った滝が水直に落下している。ブータンはヒマラヤの雪解け水が流れ出て豊富な水が山間を流れ落ちる。それを利用した水力発電がこの国の国家収入なのだ。特に人口増加で電気が不足がちなインドに輸出されている。7時間の危険な行程を終わるとやがて、山の間からプンツォリンが見えてくる。この町はインド国境に接している。標高もブータンの中では低く気候も一年を通して暑い。ホテルにチェックイン後、ホテルで夕食。その後、JICAのプンツォリン在住の松野さんの自宅でパーティ。


10月23日

今日は、プンツォリン市内を視察。市長自らマイクを持ち、案内してくれる。プンツォリンには大きな河が流れる。


その土木工事に関する説明の後、市長主催の歓迎昼食会。

昼食後、再びプンツォリン市内を回る。プンツォリンはインドの町シリグリと国境を接していて、国境にはブータン門が作られている。往来はかなり自由だそうだ。


国境を示す壁は厳然と一見頑固に作られている。しかし、聞くところによるとあちこちに抜け穴があって名目上だけのものらしい。夕方、ホテルに戻って部屋から夜景の撮影。インド側に沈む夕日が美しい。


夜は市役所の庭で、市長主催の夕食会。ここは、気候もインドに近いので夜の野外ディナーは本当に気持ちが良い。


10月24日

午前8時半から午後6時半までプンツォリンの市役所ホールで日本から来た各分野の専門家によるプレゼンテーションを主とした都市計画会議。ここの政府に勤める土木、建築の専門家達はインドやオーストラリアに留学した人が多いそうだ。ブータンは公用語が英語なので助かる。通訳はこちらの話が途切れてしまいスムーズにいかない。

夜はホテルの中庭で夕食会。




10月25日

5時30分起床。

6時に予約したのだがタクシーが来たのは、6時20分。

6時30分、ブータン・ゲート(国境門)へ。手前のImmigration Officeで出国のスタンプをもらい、ゲートを出る。驚いたことにこのゲートは、ほとんど出入りが自由。特に車の出入りに対して厳しいチェックはない。人間もブータンからインドへ出るのはノーチェック。しかし、インド側からブータンへ入るのは、チェックされる。プンツォリンの土木工事や工場労働者は毎日この門を通って通勤している。この門を超えると町の様相は一変する。ここは、明らかにインドなのだ。看板も一変するし、突然ヒンズー寺院が目の前に現れる。Immigration Officeへ。しかし、誰もいない。7時30分にならないと開かないとのこと。それでは、バグドゥーラ発11時30分のフライトに間に合わない。やがて、タクシードライバーが担当官の所へ行き、Officeまで連れて来て何とか入国手続きを済ませる。結局、7時過ぎ出発。町中はブータン側に比べると圧倒的に人が多い。汚れた小型バスがもうもうと排気ガスを出して走るのもインド。何とか町を抜け出すと両側には、広々と茶畑が広がる。この辺は茶の産地なのだ。近くには、ダージリン、シッキムといった茶の名産地がある。窓を開けて走るが風が心地よい。インドの早朝の空気は、とても気持ちが良い。茶畑はある間隔を持って木を植えられている。木々の間から入る日の光に照らし出された茶畑は美しい。

 

途中、いくつかの町を通り過ぎるがとにかく人また人の波。シリグリを過ぎて10時30分前にバグドラ空港着。Jet Airwaysでカルカッタへ向けて12時30分発。1時間遅れて到着。その理由がふざけている。エプロンで45分近くも待たされる。目の前の滑走路をインド空軍の戦闘機が発着陸の練習を目の前で何度も繰り返しているのだ。民間の乗客などお構いなし。さすがに欧米人は怒り出す。しかし、ここはインド。何でも、ブータンと中国の国境を防衛しているインドの戦闘機がここで練習を繰り返しているのだ。こういう無神経さがインド人が馬鹿にあされる大きな要素となる。カルカッタ空港の国内線ターミナル到着。しかし、両替所がない。止む無く国際線空港へ。雨の中延々と歩いて辿り着くが中に入るのが大変。国際線のチケットを見せろとガードが言う。理由を説明して何とか中に入るが、Bankは荷物受け取りバゲージルームの中で、また中に入るのがまた一苦労。やっとのことでルピーに変え、pre-paid taxi counterに行くと誰もいない。ランチに行っているらしい。10分程度すると戻ってくる。文句を言うと「めしを食わないと仕事が出来ない。」サービスの概念がないのだ。230ルピー。(約500円)タクシーに乗るとボロボロ。約1時間程かけてLytton Hotelに到着。Pre-paid taxiは乗客4人荷物1個付の料金。ホテルに着くと早速荷物は別だと言い出す。これがインド人。しかしこちらも手馴れたもの一喝して追い返す。チェックインをすると例によって部屋は暗い中庭に面していて、しかもテラスはごみだらけの部屋に案内される日本人をなめているのだ。レセプションで散々文句を言うと今度は、本館のきれいなしかも大きな中庭に面した部屋に案内してくれる。とにかく主張し続けないと日本人は甘く見られる。荷物を解いて、町のマーケットに出る。裏通りと表通りの落差がすごい。裏通りは極端に貧しい人々が暮らしているが表は派手なライトに照らされている。大マーケットの本屋でインドの建築の本を探すが見つからず。インドとベンガルとコルカタの地図を求める。表のマーケットの建物は味気のないガラス貼りの建築。裏通りの建物は100年以上は経っている、うす汚れた建築の方がはるかに面白い。ベンガル様式というかエアコンが入る前の建築なので庇が付き、窓は細かく割り付けられている。この方がガラスが取り付けやすいし、大体安い。窓も開放窓がある。それに比べると表通りのスーパーマーケットの大きなガラスは無表情でつまらない。インターナショナルスタイルとは、こういうことなのだ。まだブータンのコンクリートにペンキの伝統様式の方が良い。暗くなっても路上の露店は活発に人の呼び込みを行っている。ホテルに戻りブータンのまとめをする。



10月26日

7時30分起床。

シャワーを浴び、パッキングをした後、9時にタクシーを呼んでもらいホテルを出る。ホテルのレセプションは300ルピーと言ったにも拘らずさっそく400ルピーと言い出す。”I change taxi” と言うと、

“OK 350 Rupis”さらにホテルに電話するぞと言いワーワーわめき、最終的に300ルピーでまとまる。空港へ向かう道が衝撃的だ。貧しい下町を通るが路上にいる人々の貧しさが半端ではない。ボロボロのサリーを着て路上にへたりこんでいる。全身ほこりと泥でこういう表現は使いたくないが、まるで野良猫や犬のようだ。とても同じ人間とは思えない。

路上は、ホームレスであふれている。路上一面は泥とほこりにあふれ、その中にまみれた紛れもない人間が、そこここにごろごろと横になっている。中には、日本のプータローのように仮テントを作っているものもいるが、汚い。日本のプータロー・ハウスを紹介してあげたい。昨夜テレビで見たまるでヨーロッパを思わせるテレビのショーはインドの真実の見せかけに思える。ここでは、90%以上が貧しい。インドは本当に繁栄しているのだろうか。Jet Airwaysでバンコクへ。11時45分カルカッタ発。アップグレードしてもらったのでビジネスへ。このJet Airwaysは、とに角サービスが良い。機体といい素晴らしい。JAL、 ANA 、SQも適わない。食事が圧倒的に旨いし。シャンパンもブブ・クリコ ワイン(赤)は、saint-Million これは、今年の5月にテイスティングしたボルドーの村だ。

バンコク空港近くになると田畑のランドスケープが見事だ。田畑が全く同じ方向に並んでいるのでこれはもうデザインと言って良い。


バンコク空港の建築は圧巻だ。空間は楕円形の断面が連続するシリンダー空港で、構造の鉄骨は、外側に露出している。外観は、構造体フレームが筒を包むように巻きついているような形態でかなり迫力がある。

 

 

18時50分バンコク発、20時20分ラオスのヴィエンチャン空港着。

空港にはN氏が迎えに来ていた。ホテルへ。ホテルは1日20ドルと安い所。チェックイン後、メコン河畔のオープンエアの飲み屋街へ。河辺にテント屋根がかかっただけの魚を中心とした料理が並んでいる。メコン河からの風が気持ちいい。焼き魚、焼肉、野菜などが中心。ビールで食を楽しむ。旨い。隣の台湾人と話す。日本語がうまい。





10月27日

起床後、噴水広場に面したスウェーデン人が経営するパン屋で朝食。客はヨーロッパ系が多い。

朝食後、近くの仏教寺院へ。周囲は、屋根に覆われた仏像が囲む。背後の壁には小さな穴があけられ、そこにも小さな仏像が納められている。壁面にびっしりと開けられた穴は、意匠的にも圧迫があって見応えがある。


 

中庭の中央には本殿が正座する。建築の特徴はタイの仏教寺院と同じように屋根が2枚、3枚と積み重ねられた意匠である。

そこから、真っ直ぐにラオス国立大学建築学科で講演会。学生の他に教員、実際の仕事をしている建築設計に携わる人々が聴衆。1時間程レクチャ。その後、質疑応答。面白い質問が飛ぶ。11時30分日本大使に表敬訪問。12時30分、大学主催の昼食会。13時30分空港へ行きチェックイン。市内から空港へは、わずか10分足らず。14時30分から16時前までラオスプロジェクトのプレゼンテーション。

 


プレゼンテーション後、16時30分ヴィエンチャン発、18時バンコク空港着。ここのスター・アライアンスのビジネスクラスのラウンジは素晴らしい。全体的にゆったりとしている。個室のシャワーも広々としていて、シャワー後休憩もできる。ここでゆっくりとシャワーを浴びる。シャワー後、ラウンジで、簡単な夕食。シンガポールのチャンボ空港がラウンジとしては豊かだが、ここははるかに良い。食事もきちんととれるし、食べ物も飲み物も種類が豊富だ。

23時55分バンコク着。





10月28日

朝7時35分成田着。



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