出張日記

2009


2月21日

10時成田発、12時半大連着。大連理工学大学の関係者及びH氏が迎えに来てくれる。昼食後、大連理工大学出版部へ行き僕の作品集の出版の打ち合わせ。3時間ほど。その後、大学のホテルにチェックイン後、夕食会へ。星海広場。楕円形の広場。とにかく大きい。アジア最大だとのこと。この南の方に多くの高級レストランが入ったガラス貼りのビルがある。いつも、特に土曜日は人であふれているらしいが今日は、土曜日にもかかわらず人はパラパラ。しかも半分以上のレストランが閉まっている。この世界恐慌の中、流石の中国でも不景気の波をもろにかぶっているのだ。先が思いやられる。日本も同様だが製造・輸出に頼った経済は最悪の状況だ。これは一過性の話ではない。もう、ものを造る時代ではないのだ。日本でもカーシェアリングに代表されるように消費が拡大していくことは確実に減少するに違いない。

入ったレストランは魚貝料理専門の店。今夜は大連理工大学の招待。エントランスを入ると傍には数多くの水槽が並び、テーブルの上には、今日のお勧めの魚が並んでいる。更に奥には中に貝が沢山あった丼が棚の上を照明に浮かび上がるように並べられている。

 

丼の中を良く見ると数種類のものが、例えば肉と野菜、きのこなどが盛り付けられている。後で知ったのだが、中国の人はこれらの料理を選ぶ時に、調理方法まで指定するのだそうだ。客には必ず若い女性が電子手帳のようなものを持ち客の注文を打ち込んでいく。この情報はそのまま厨房に送られる。個室に入ると建築学部長と出版部の社長が我々を迎えいれてくれた。やがて白酒(バイチュー:中国で最も強い酒)をボーイが持ってくる。最高級の五根液を出してくれる。


そして、歓迎の挨拶と乾杯。この白酒は52度。乾杯は喉のマッサージュのようなものだ。乾杯と言ったら飲み干さなくてはならない。これが辛いのだ。料理は最高級レストランといわれる位で完璧。なまこの丸煮には驚いたが美味しい。貝類も旨い。特記すべきは、あわびのスープ。シェフが材料、鍋等をワゴンで運んで来て目の前でスープを作ってくれるのだ。出来上がりなのでとにかく旨い。あわびも1人1個くらいというから豪華だ。






2月22日

大学側が車を手配してくれる。市民広場へ。ここには、かつて日本が支配していた時代に作った3つの建築が面している。正面には旧関東逓信局、


右手には旧警察、左手には旧高等法院。日本でも言えることだが、かつてのシンボル的な市役所などの公共建築は現代から比べれば随分と小さく見える。実際ほとんどが3階建位のものが多い。これは当時の建設技術というよりも、エレベーターが無かったことが原因と思われる。

そのために東大の安田講堂にシンボライズされるように必ず塔が付けられる。この塔を付けることにより市のランドマークとしたことは当然のことであるが高さを強調するばかりではなく、デザイン的なことも大きな理由と思う。広場に面して3層の横長の建物が面していても面白くない。広場も含めて水平線に対して、垂直なエレメントがあってリズムが生まれたのは間違いない。

しかし、それにしても小さい。特にこの広場は中国的なスケールを持ち巨大でおまけに周囲を現代高層ビルが取り囲んでいるのでますます小さく見える。しかし、周囲の現代ビルと比べると建物に品格が備わっている。理由を考えてみた。スケールが細かい。線も多く面の凹凸も多い。それらが多いということはそれだけ労力がかかっていることに他ならない。だから表情が豊かになる。そのために建築家も労力に平行するくらいに設計に手間、時間がかかっているので、周囲の無表情な建物に比べるとこれらの古い建築は多くのことを語りかけてくる。素材を見ても均一な無機的に統一された素材に覆われた現代ビルに比べると古い建物は多種の材料が用いられ、しかも1つの材料、例えば、レンガにしても手焼きのものが多いので表面の仕上がりはムラがある。それがかえって表情を豊かにする。とにかく手間がかかればかかるほど表情は豊かになるのだ。この3つの中では、旧高等法院が良かった。


東大の安田講堂を思わせるように垂直線が強調されている。これはゴシックだ。赤レンガもきれいだ。レンガは建築素材の中では、最も美しいものの1つだ。レンガで造っただけできれいに見える。アムステルダムの表現派もライトもアーメダバットのカーンもレンガ建築の傑作を挙げたらきりが無い。そこから山本理顕さんが最近、完成させた大手不動産の販売のためのショールームを見学へ。これは、僕の研究室に所属していた一色君が担当したもので本人が待っていてくれて案内してくれた。中国にしては相当頑張ったものだ。

 

その後、ランチへ。昨日のヘビーな夕食がきつかったので、牛丼吉野家へ。中国の吉牛を食べるのも興味がある。

昼食後、中山広場に面した旧ヤマトホテル、旧大連市役所、旧横浜正金銀行、旧日本朝鮮銀行を見学。当時の日本がこれだけの円形バロック広場及びそれを囲む建築群を作ったのは驚きである。


 

 


そこから、旧大連埠頭フェリー・ターミナルビル及び周辺のかつての日本が作った建築群を見学。足をのばして、旧日本人街へ行く。更にロシア人が作った街へも。レンガ作りの印象的な建築があった。

 


最後に大連駅へ。これも日本人建築家の設計によるものだ。この建築は以前にも来たが旧満州で最も好きな建築だ。上野駅と良く似ている。映画「3丁目の夕陽」の上野駅のシーンが出てくるがあれは大連駅をコラージュしたもの。

 

モダニズム建築でシンプルなボックス状の駅舎建築の手前に空港ターミナルビルのように送迎の車が2階へ上り下りする大きなスロープが作られている。2階が出発レベル、1階が到着レベル。飛行場の考え方が1930年に出され、作られていたのは驚きである。そこからまっすぐ大連空港へ行き17時40分発。瀋陽着18時40。大連に比べると刺すように寒くマイナス14度。市政府の人が迎えてくれた。そこからまっすぐ市内の火鍋レストランへ。ここは最高級レストランで以前にも何回か来たことがある。市政府のS氏の招待。白酒で乾杯。料理は良かった。



2月23日

10時東北大学へ。10時半から11時半まで講演会。

その後、東北大学の招きで昼食。昼間の白酒はこたえる。14時半瀋陽建築大学へ。15時半から17時半まで講演会。終了後まっすぐ市内のレストランへ。北京ダックの店。中国特に北部の人は特に酒が強い。乾杯の連続はこたえる。10時半ホテルに戻る。





2月24日

午前9時半、市役所の人がホテルに来て、彼らが進めているプロジェクトのレビュー。スケッチを描いたりしながら11時半までアドバイス。午後12時過ぎ、瀋陽空港へ。

13時半瀋陽発。17時成田着。


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