出張日記

2009

7月16日

13時半、中国南方航空で成田発。瀋陽へ向かう。途中、夏の富士が美しい。


ビジネスでも食事はまずくて食えなかった。それにしても満席。聞くと中国人の観光客が多いのだそうだ。最近の中国の映画で北海道を舞台にした映画が大ヒットし、それ以後、中国人の北海道への旅が大人気だそうだ。15時半、瀋陽着。空港に毛朋君、王さんが迎えに来てくれていた。今回の出張の目的はコンペの提出。瀋陽市立博物館。招待コンペである。昨夜まで徹夜で仕上げたものを持ち込む。模型はA1サイズ、レポート11部。空港から車でホテルへ。ホテルで荷物を解く。問題が一つ起きた。しかし、その前に中華料理。中国側はとにかく相手を夕食に招待するのが礼儀なのだ。


中国のコンペでは、ナレーション動画の入ったDVDの提出が求められる。最後にオリジナルからコピーをとる段階でミスが生じたらしく所々の画像、音声が抜けている。

東京と電話、メールでやり取りしながら対応を図る。一つはメール宅急便で送ってもらう。しかし、160MBもあり、中国側のデータ受信速度が遅く6時間もかかってしまう。これは断念。結局、毛朋君が音の抜けている部分に丁寧に音を1ケずつ入れていく。

結局、夕方5時半から始めて、夜の11時まで時間がかかってしまう。何とか完成させる。一安心。


7月17日

6時半起床。朝食後、瀋陽北駅へ。今年の初め開通したと言われる高速鉄道で北京へ行く。


8時、瀋陽発。北京には12時に着く。500kmを4時間であるからまだまだ新幹線に比べると遅い。しかし、2012年には2時間半になる。今、新幹線を建設中なのだ。

車両は、日本の新幹線を模したもの。僕が乗ったのは、一等席で一番後の席。窓際にもかかわらず、外が見えない。丁度、左の窓に当たる部分が、屋根を支える柱になっているのだが、日本に比べると幅が広く約60cmもある。その60cmがせっかくの景色を遮ってしまう。座席の配置を少しででも考えれば良いのだが乗客へのサービスの概念がないのだ。前の座席は逆に完全に外に開放された窓に面している。


一席ずつ、完全に見える席と見えない席が並んでいる。一等にも関わらず前後もあまり十分ではない。しかし、値段は驚くほど安い。260元。日本円で4000円弱。まだ中国人はこのような電車の乗り方を知らない。とにかく携帯電話のオンパレード。目いっぱいのヴォリュームの着信音が車内に響き渡る。しかも、中国人は声が大きいのだ。昨夜遅くまで仕事、今朝の起床が早かったので、アイマスクで眠っていたら突然、隣の男が大声で話しだした。こちらがアイマスクをしているのに。これが中国の現状。マナーを習得するまでは随分と時間がかかるだろう。天気は良くない。外は雨。携帯電話の大合唱は一向に止まない。

 7分ほど遅れて北京着。長い地下通路を通って出口へ向かう。とにかくすごい人の波。


やっとのことで外に出る。北京駅の外観を撮影する。前回は5月に来たが、その時は夜。

この建築は北京十大建築の一つとして建てられた。十大建築とは、中華人民共和国建国十周年を記念して建てられたもので人民大会堂もその一つ。十月十日がその日だった。十周年目の十月十日に。十大建築とは中国ではよくやる語呂合わせである。例えば昨年のオリンピックまで使われていた北京国際空港は、友人の馬さんの設計だが、その大きさは、747m×320mであった。Boeing747とAirbus320にかけたものである。

さて、十大建築に話を戻すとこの北京駅は、秀逸である。


南京工学院(戦前までは中国で最も有名な大学であった)卒業の建築家が設計したものである。どちらかで言うと骨太の中国建築にあっては、随分とスリムで日本人好みかもしれない。実際に使われなかったものの戦後建てられた瀋陽駅も彼のデザインである。中国の最近の十大建築としては、オリンピックスタジアム(H& de M)、オリンピック水泳センター(PTW)、北京新国際空港(ノーマンフォスター)、中国中央電視台(OMA)、国家大劇院・オペラハウス(ポール・アンドリュー)などがあるが、いずれも海外の建築家によるもの。何故、中国の建築家を採用しないのだろう。文化が育たない。タクシーで清華大学へ。東門で待っていると博士課程の李天鵬君が迎えに来てくれた。建築学棟の4階の張敏教授の部屋に。そこから芸術学部棟の1階アート・ギャラリーへ。中国の現代画家展を見る。再び建築学棟へ戻る。製図室が学年毎に分かれているので全員が製図板を持っていることになる。昨年の卒業設計優秀作品を見せてもらう。レベルが高い。

 

かつての日本のように大規模開発が目立つ。やはり、社会の要求が反映されるのだろう。その後、会議室で8月にベトナム・ホイアン市で行われる国際会議(第7回ホイアン・フェスティバル)の事前打合せ。その中の一つの分科会は日本、中国、韓国、ヴェトナムから各国の卒業設計の優秀作品を集め、発表を行い、アジアの設計教育に関してディスカッションしようという企画で僕がコーディネーターを務める。この中から卒業設計アジア一を決めようというもので来年から徐々に大きくしていきたい。打合せが終了した後、近くのレストランへ。学生も一緒。大学院、修士課程、博士課程の学生の中にはヴェトナム、フィリピンから来ているものもいて国際的だ。野菜を多めに張教授に頼んだら、本当に野菜中心にしてくれた。本来の庶民の中華料理とは、こういうものだったのだろう。学生がいるので酒はなし。助かる。胃が疲れている感じがするので。清華大学前からタクシーで空港へ。海南航空という珍しいフライト。長い列が出来ていて並ぶ。30分ほど並ぶがアナウンスがあると一斉に列に割り込んでくる。


文句を言っても知らぬ振り。思えば中国に通い出してから15年もなる。随分と変わった。街には大きな高い建物が林立し、人々の着ているファッションも日本人と見間違うほどセンスも良くなってきた。しかし、マナーの悪さは直っていない。列に割り込むのは悪いことだと感じていないのだ。これは中国の文化なのかも知れない。しかし、時間が解決するだろう。

かつて街という街で人々はつばを吐きまくり、手鼻は当たり前、飛行機に乗ると隣の空いている座席を利用して汚れた靴を磨いている。そんなことは、日常茶飯事であったことが、流石に最近はそういう人を見なくなった。列の割り込みも10年位すると直るのかと思い諦めた。僕が乗ったのは第1ターミナルビル。15年前はここが唯一の国際、国内空港だった。その横のターミナル2、ターミナル3(これは昨年オリンピック直前にオープンしたものでノーマンフォスターのデザイン)に比べると恐ろしく小さい。経済の拡大が空港の大きさとなって現れている。1時間程で瀋陽着。市が手配してくれた車と毛朋君が待っていてくれた。まっすぐホテルに。シャワーを浴びる。日本は幸福なことに、ほこり、砂漠の砂塵に覆われてしまうことは少ないが北京といい、瀋陽といい、のどの中がじゃりじゃりすると思われるくらい砂をかぶってしまう気がする。頭も洗う。日本とは違うシャワーの有難みをゆっくりと味わう。湯上りにメールを確認し急ぎのものは返事を送る。明日のモーニングコールを6時半に頼んですぐに眠る。明日も朝6時半起床。


7月18日

6時半起床。急いで朝食を済ませ、ロビーに。毛朋君、市の車が迎えに来てくれていた。チェックイン後、ラウンジへ。8時半瀋陽空港発。12時半成田着。まっすぐ大学へ。



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