出張日記

2009

8月14日

16時発のスカイライナー、日暮里発。京成船橋駅にて研究室で作った模型、レポート一式を受け取る。しかし、8号車のドアが開かない。2号車に乗っていたので慌てて車内を走り、5号車当たりで受け取る。かろうじて学生は2号車に戻り脱出できたようだ。

18時40分、成田発。今回の出張はダナン大学のキャンパスの第1回打合せと

ホイアン・フェスティバルのシンポジウムに出席することが目的。

22時半ホーチミン着。機内で溜まったメールを20通ほど打つ。

映画が良かった。「路上のソリスト」

空港に着くとほぼ同時にソウルから到着していた金先生が荷物受け取り場で待っていた。タクシーでREXホテルへ。

23時半には、部屋に。シャワーを浴びた後、メールをチェック。機内で打ったメールを送る。



8月15日

8時朝食。9時にホテルを出て、金先生とドンコイ通りにショッピングへ。頼まれたシルクのバックや自分用のシャツを2枚購入。タクシーで空港へ。ベトナム空港11時半の飛行機が大幅に遅れて14時発。急遽12時40分のJet Starの航空チケットを62ドルで購入し、飛び乗る。いつもの事だが、この国はそう簡単に事を運ばせてくれない。機内の飲み物などのサービスは有料。隣の英語を話す女性に聞いたらチケット代が安いためだという。彼女は何と事前購入で30ドルとのこと。僕は正規料金で購入したので倍以上。直前だからやむを得ない。13時50分着。N氏、K氏と空港で落ち合いキャンパスプロジェクトの敷地を見学。14時30分から16時まで大学学長、副学長、理事長を交え打ち合わせ。

完全に冷房なしで計画して欲しいとのこと。これは素晴らしい。日本では滅多にできない。これはやりがいがある。コルビュジェやカーンのインドに於ける建築のようにチャレンジングである。ローコストというのも魅力的である。9月中旬に再度プレゼンテーションする約束をして別れる。空港に行きN氏を送り、金先生をピックアップしタクシーでホイアンへ向かう。途中Marble Mountainに立ち寄り、次にHAI NAMリゾートホテルでカクテルを飲む。昨年の8月に比べると客がほとんどいない。昨年は、1泊1000ドルと言っていたのに今年は500ドルと半額。それでも客は来ないのだ。経済不況はこのようなリゾートをまず直撃する。18時半ホイアンのホテルに到着。

チェックイン後、レストランへ。ホテルで教えてもらったがここの味はすこぶる良い。

僕はベトナムで随分と色々なレストランで食事をしたが、これはワン・オブ・ザ・ベストである。その後、隣のマッサージに立ち寄る。約1時間以上のマッサージで10ドル。かなりきついが疲れがすっかり取れる。



8月16日

起床、7時朝食。北京の清華大学の人達に会い、一緒に朝食。7時半に会場へ。僕の担当するセクションは、建築教育。「卒業設計を通して考える」である。日本(仙台メディアテーク1位、2位の作品)、中国、韓国、ヴェトナムからの卒業設計のプレゼンテーションを通してアジアの将来の建築設計を考えるという企画、つまり「卒業設計 アジア一」展である。午前中はベトナムの五大学がプレゼンテーション。Hanoi University of Civil Engineeringが特に良かった。自然通風、自然光をテーマにしたものでデザインも新しい。3つの作品が発表されたが、土(斜面)、塩、竹とローカルな材料をテーマにしたものでそこから機械に頼らない自然を取り入れた新しいバナキュラー建築への挑戦は大いに好感が持てた。グローバリゼーションの中、デザインの新しさにそれ程、意味はない。そこに考えられたプロセス、思想、アイディアが勝負となる。午後は中国、韓国、日本のプレゼンテーション。

北京の清華大学からスタート。内容は驚くばかり。この10年であっという間に世界標準に達している。しかも都市計画から建築まで設計するという野心的なものだ。国の勢いが建築にすぐに現れるのだ。10年前は古めかしい社会主義独特の固いデザインが多かったのだが、あっという間に最先端のデザインになっている。聞けばオリンピックや様々な施設でコールハース、スティーブンホール、ジャンヌーベル、ヘルツオーグドムーロン、ザハハディドなどのスーパースター達が中国に出張した時に清華大学によるのだそうだ。しかも、卒業生が欧米のそれらの建築家の元で修行するものも増え、帰国後中国全土の大学で教えている。日本の建築が追い抜かれるのは時間の問題だ。いや、もう追い抜かれているのかもしれない。毎年中国の六大建築大学の優秀作品の展覧会を行い、それらのプレゼンテーションを行い、優秀作品を選んでいくのだそうだ。一方で、日本の学生の内的志向、しかも自分の世界に閉じこもる傾向は、日本の都市づくり、インフラストラクチャーがほぼ完成してしまったことそれに日本経済が行き詰まりに来てしまったことと、無縁ではあるまい。日本の若者は将来の日本ではやることがないと思ってしまうのかもしれないが、実は問題は山程ある。20世紀型の都市・建築は既に否定され、そこに代わる新しいアイディア、思考が求められているのだ。そこに挑戦していかないと日本の建築に未来はない。日本の国自身がマイナス志向、全てを悪く考え、全てを自虐的と言っていいほど悲観的にとらえる。何かのきっかけが必要なのだ。思考力をプラスに持っていくには、形だけの建築や都市を相変わらず求めていたのでは救われない。デザインのためのデザインは求められなくなるだろう。誰か考えたって科学・技術・機械に頼った近代建築の終わりがもうすぐそこまで来ていることは分かるだろう。21世紀の様式は、要は炭酸ガスを出さない建築の追及の中から生まれてくるだろう。実際、つい最近まで見向きもしなかったトップ・アーキテクトもそろり、そろりと世界に巧みにシフトしていることを見抜かなくてはならない。現代の日本・世界では「卒業設計アジア一展」は意義があった。仙台あたりで日本一といってもてはやしていては、日本は完全に世界から取り残されるだろう。世界は猛烈な速さで西側からアジア側にシフトしている。歴史は、シーソーゲームのようなものだ。歴史を振り返ってみるといつの時代でも、西洋と東洋を両端に据えたシーソーがバタンバタンと東と西に交互に降下する。今はあらゆる領域で東洋側に傾いている。こんな時に相変わらず西側を眺めているのも愚かだし、東側に乗り遅れてしまっては、子孫に申し訳けが立たない。最後に僕が日本の昨年の卒業設計日本一展上位の作品を説明するが進めていたが共通しているのは、私達が現代直面している日本社会の問題から目をそらしていること。都市を敷地にしてもそこでは、敷地のレイヤーを言ってみたり、敷地をグリットに切ってみてシャッフルしたりとおよそリアリティがない計画が多いようだ。リアリティが無いのも現代の日本の建築学科の学生の特徴なのか。東大からも3点程出展された。その一つが衝撃的だった。タイトルが「一人でいたい、でも人を感じていたい」といった内容で、都市に竹の子状に3階から4階建てのペンシル状のアパートが程ほどの距離をもって立っている。なるほどタイトル通り。しかし東大の先生が発表し出すと中国やヴェトナムの先生から「プッ」と笑いが漏れた。終了すると「今の日本は社会問題が沢山あるだろう。建築としても多くの提案がなされるべきだ。教師は何を教えているのだ」という強い批判があった。唯一、評価されたのはヴェトナムからの留学生の作品だったことは皮肉であった。

かつての僕らの時代はあまりにも野心的過ぎて非現実的だと言われたのと異なる。各国のプレゼンテーション終了後、最後に表彰式。グランプリ、中国賞、韓国賞、日本賞を決めて表彰する。グランプリはHanoi University of Civil Engineering。斜面に作られる集合住宅で自然の風を最大限利用とする計画である。形も新しい。最近はやりの曲線という声もあったが、斜面の等高線に合わせた曲線で、斜面を最大限に有効に利用している。




日本賞は僕が選んだもので、清華大学の卒業設計の海上都市計画。スポンジ計画といい、都市全体から建築までスムーズに吸収できるという発想がユニークで面白い。





韓国賞は日本の京都大学の学生の案で、建築にタッチするという面白いテーマである。都市に於いて超高層建築と人間の間には距離がある。時として威圧的である。この提案では超高層ビルを一度分解して、ピラミッド状のルーフテラスを持った建築に再構成しようとするものである。ルーフテラスは緑で覆われ人々は建築に直に触れることができるというわかりやすい提案である。中国賞は韓国の学生に送られていた。特に目に付いたのは、清華大学のもう一つの作品。古くなった大きな工場街の再開発である。

かつて社会主義の国々では、工業都市の中心に道路の上を飛ぶようにインフラ・ラインが縦横に走っていた。不要になったそれらに代わり、チューブ状の新しいインフラを含んだペデストリアンモールを作り、そこに走らせ、それを基幹として工場を立て直したり、リノベーションしながら新しい都市を作ろうという計画である。これは、コンセプチュアルな面白さをチュミばりの造形の面白さが目を引いた。



最後に全員で記念撮影を行い閉会。その後、ホイアンの旧市街に出る。日本橋の通りと平行する川側に一本入った道が面白い。ここは、かつての日本人街、中国人街と明らかに異なり、フランス様式とベトナム様式が混在する。ホイアンの古い商住宅の作りは共通している。

1階が店舗、2階が住居。1階を突き進んで行くと必ず中庭に当たる。京の町家と同じ構成で中庭から熱せられた内部の空気が吐き出され、住宅内部に気流を発生させる。街の面白い部分を中心に金先生に撮影してもらう。18時ホイアン発。19時ダナン空港着。チェックイン後、ラウンジで休憩。19時50分のホーチミン行きは結局20時40分発。この位なら優秀。ダナン発ホーチミン行きは結局20時40分発。ホーチミン空港着21時40分。そのまま隣の国際空港へ行き、ANAカウンターでチェックイン。

ここでベトナム空港でソウルに向かう金先生と別れANAのラウンジへ。23時55分、ANA便で成田に向かって出発。ぐっすりと眠る。







8月17日

7時55分成田着。まっすぐ大学へ向かう。10時前に会津の病院をJVで進めいている佐藤総合の大野氏が9階の製図室へ。古市研究室4年の学生が進めている1/100の模型とCGを見ながら2人でデザインの議論。11時JICAでブータンに派遣されていて8月11日に帰国した高木さんと今年の3月にブータンから帰国したJICAシニア・ボランティアの松野さんが来る。9月11日から20日まで千葉工業大学で教員5名学生(大学院中心)15名の編成でブータンの伝統民家の実測研究に行くが、その事前の講習会で講師として来てもらった。内容のある話しで教員・学生からも多くの質問が出された。研究室でゼミの後、事務所で18時から今日、瀋陽の現況調査から帰国したばかりの構造の新谷さん、スタッフの小林を交えて瀋陽博物館の打ち合わせ。


 
 

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